中央アメリカに点在するマヤ遺跡は広範囲に点在し、2019年現在確認されているだけでも4,400か所あります。その中でもエルサルバドルには、ほかの国にはない珍しいマヤ遺跡があります。今回は、エルサルバドルにある3つのマヤ遺跡と、近隣の観光都市サンタ・アナの見どころをご紹介します。
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マヤ文明とは
マヤ文明は、現在の中米メキシコ、グアテマラ、ホンジュラス、エルサルバドル、ベリーズのメソアメリカ地域にまたがって繁栄した文明です。
- 出典:www.google.comマヤ遺跡の点在するメソアメリカ
マヤ文明といえば、高度に発達した天文学が有名です。周期の異なる複数のマヤ暦(マヤカレンダー)をもち、例えば、金星歴などは金星の動きを正確に把握して、その記録に基づき特定の定期的な儀式の日取りを決めていたようです。
紀元前3114年を基準日とした長期歴と呼ばれるカレンダーは、2012年冬至あたりに1ラウンドが終わるとのことで、日本でも人類滅亡説が出回りましたね!
マヤ文明の起源は古く、紀元前8000年に遡るとされています。2019年現在確認されている遺跡だけでも4,400か所を超えています。非常に多くの遺跡を残していますが、なかでも現エルサルバドルにあるマヤ遺跡は、とある自然現象をきっかけに1000年以上に渡って未発見だったものを含み、とても貴重なものとなっています。
中米エルサルバドル
エルサルバドルは、中米の太平洋側に位置する人口600万人程度の小国です。スペインからの独立後(1821年)、隣国との戦争や内戦を繰り返し、1992年に国連が仲介してやっと落ち着いた国です。
目立った産業もなく、天然資源も乏しいエルサルバドルは、自然災害(地震や噴火、ハリケーン)に脆弱で復興力の乏しい国です。
政治経済が脆弱ですと、犯罪組織や反政府組織が勢力を増すのはエルサルバドルに限りませんが、近年は麻薬カルテルがらみのギャング組織が横行。大きな麻薬組織はピラミッドのように子組織、孫組織を持ち、常に麻薬密売の覇権争いを繰り広げています。それらに属するギャングの数は推定6万人、人口の1%にあたります。100人に1人はギャングということで、もはやエルサルバドルでは誰がギャングで誰がそうでないのか見分けはつきません。
また、麻薬組織関連だけでも13,000人におよぶ受刑者は、国中の刑務所を溢れ返させています。世界でも際立って殺人事件が多い国の一つでもあり、治安悪化を理由に他国へ逃れようとする一般のエルサルバドル人もいらっしゃいます。皆様も目にしたことがあるかも知れませんが、最近では、多くの市民がキャラバン隊を組み、徒歩でアメリカを目指すような動きもありました。
しかし、ギャングたちは年がら年中、街中において銃撃戦を勃発させているわけもなく、どの都市も、行ってみると意外なほど穏やかです。
古代マヤ遺跡
ギャングマンたちが街のあちこちに横行し危険なイメージのあるエルサルバドルですが、一方で、訪問する欧米旅行者はあとを絶ちません。その理由の一つが、エルサルバドルにある、ここでしか観ることのできない歴史的価値の高い古代マヤ遺跡。それらは「ここを訪れずしてマヤを語れない」と云われるほど貴重なのです。
それでは、エルサルバドルにある3つの古代マヤ遺跡をご紹介します。
サン・アンドレス遺跡
サン・アンドレスは、農業の町として紀元前900年頃に始まったと推測されています。
西暦600年から900年の間、サン・アンドレスはマヤの首都にもなり、政治の中心となりました。アクロポリスが建設され、都市の南端と東端にはピラミッドが作られます。
隣国ホンジュラスにあるコパン(遺跡)との繋がりから強い権力を持ち、領土であった現ベリーズから貢物を受け取っていたことも遺跡から判明しています。
スペイン征服後の1658年、近郊のプラヨン火山が噴火したためにこの場所は灰で埋もれてしまいましたが、すぐに掘り起こされました。マヤ時代から伝わるインディゴ(藍)の生産が現代でも維持されていることでも有名です。
- サン・アンドレス遺跡
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タスマル遺跡
タスマルも、マヤ時代の遺跡のひとつです。都市活動が行われた近辺の遺跡の中では、比較的後世に繁栄した都市で、西暦4世紀以降に領域は拡大していき、西暦10世紀にいたって都市の中心であったと考えられています。
主要な部分は、ピラミッド構造の大神殿とその西側に立つ小神殿の、異なる2種類で構成されており、メキシコにある遺跡「テオティワカン」や「テトゥーラ・シココティトラン」にとても似た建築様式を持っています。
こちらの大神殿は、14の異なる期間に建築されました。最も古いもので紀元前6世紀から3世紀ごろ、最も新しいもので6世紀から11世紀ごろとされています。
これらは、2003年から2004年にかけ、日本の名古屋大学がエルサルバドルの国立文化芸術審議会と測量調査を行って判明したようです。また、1950年代に倒壊した小神殿の南側一部は、日本のJICA協力のもとで修復に伴う発掘調査が行われるなど、日本も興味を示し、深く関係している遺跡です。
出土品は円筒形土器やヒスイ片などがあり、19世紀末には大神殿の西側の基壇付近で「タスマルの聖母(virgen de Tazumal)」が、また「うずくまったジャガー(couchant jaguar)」と呼ばれる別の石造モニュメントも発見され、こちらは国立博物館で展示されています。
タスマルはグアテマラの谷にあるマヤの都市「カミナルジュユ」と重要なつながりがあるとされており、それらの多くは、メキシコの「チチェンイツァ」や「トゥーラ」ともリンクしているなど、マヤ時代には南端を治める重要な都市とされていました。
ホヤ・デ・セレン遺跡(Joya de Cerén)世界遺産
ホヤ・デ・セレン遺跡は、1976年、エルサルバドル政府の農業計画に基づいて一帯を平らにならす作業中に、ブルドーザーの運転手によって偶然発見されました。日干しレンガの建物17棟が出土し、貯蔵室、台所、居住区画、作業場などが見つかっているほか、共用施設としての共同浴場や大集会場、さらに、宗教的機能を持っていたと推測されているピラミッドも発掘されています。
調査の結果、この周辺には紀元前1200年ごろから農業を営む小さな集落があり、200人ほどが生活する村が築かれたと考えられています。
この村は、西暦590年頃に噴火した 近隣の火山ロマ・カルデラにより、わずか数時間のうちに4~8mの高さですっぽりと埋もれたようです。住民は、噴火前に差し迫った危険性を察知したのか慌ただしく避難したようで、巻き込まれた遺骸などは見つかっていませんが(2018年にここで初めて人骨が発見されましたが、噴火で死亡したわけではないと説明)、日用道具類、陶磁器類、家具、子供のおもちゃ、食べかけの食事までもが残されていたそうです。
また、植物に関する痕跡が多く遺されており、とりわけ重要なキャッサバ耕作地などは、世界の考古遺跡で発見された現存最古のものだそう。ほかにも、トウモロコシ畑、赤インゲン、カカオ、チリ唐辛子も見つかっています。マヤの人々も、現代の私たちと同じものを食していたのですね。
1300年の長きにわたり灰に埋もれたこの遺跡は、降り積もったロマ・カルデラの火山灰が比較的低温・湿潤であったおかげで、保存状態はかなり良好なものとなりました。このため、他のマヤ遺跡にはない当時の生活を知ることができる貴重な手がかりとなり、1993年にエルサルバドル初の世界遺産としてユネスコに登録されています。また、イタリアの古代都市ポンペイにちなんで、「マヤのポンペイ」とも呼ばれています。
ちなみに「ホヤ・デ・セレン」は、「セレンの宝石」という意味のスペイン語です。
- ホヤ・デ・セレン遺跡
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