鎌倉にある神社「鎌倉宮」は、日本でたった一か所だけの明治天皇が自ら命じ創建した神社です。貴重な神社でありながら、鎌倉では大定番の厄除けパワースポットで、いつも人の賑わいが絶えません。また、見た人は思わず唸ってしまう鎌倉宮の大鳥居は、訪れたならじっくり見るべき必見の鳥居でもあります。創建に至った歴史をやさしく紐解きながら巡る鎌倉宮散策と、神社ツウなら知っている鳥居の楽しみ方をご紹介します。
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唯一の天皇創建の神社
「宮」は「神社」と何が違うの?
日本でたった一社だけ、天皇が自ら創建した神社が鎌倉にあります。それがここ、「鎌倉宮」です。
ところで、神社といえば通常「〇〇神社」と最後に「神社」が付くのが一般的な名称ですね。ところが鎌倉宮は「宮」です。
「宮」や「神宮」が付く神社は、天皇家に関わる祭神をお祀りする傾向があり、非常に格式の高い神社なんですよ。
明治天皇が創建した宮
鎌倉宮を創建したのは明治天皇です。明治天皇は、護良親王(もりながしんのう)をお祀りするために神社を創建されました。
護良親王は、1335年に薨御(こうきょ、親王が亡くなること)されました。しかし鎌倉宮が創建されたのは、それから約500年もあとの1869年(明治2年)なんです!
薨御されて500年もたってから、明治天皇はどうして護良親王をお祀りしようと思われたのでしょう?
それは明治天皇ご自身のご経験の中で、護良親王に思いを重ねられることが多々あったからだと言われています。
創建に至ったお気持ちを理解するには、明治天皇と護良親王がそれぞれ関わった、歴史的事件をご説明する必要があります。
ここからすこ~し歴史の話になりますが、歴史を知っていると知らないのでは鎌倉宮散策の見方がゼンゼン違うので、頑張ってついてきてくださいね!
「大政奉還」と「建武の新政」の共通点
明治天皇は、大政奉還(たいせいほうかん)をご経験されています。大政とは国政のことで、奉還は返すことです。
江戸時代までは徳川幕府が国を治めていましたが、天皇に対し「国政をお返しします」として、朝廷に実権を移譲しました。
一方、時代をさかのぼること鎌倉時代、護良親王は天皇の命を受け鎌倉幕府と戦い、幕府を倒しています。
護良親王は後醍醐天皇の第三皇子です。この時の天皇、後醍醐天皇は、武士が政権を担う社会ではなく、「天皇自らが政治を行うべきだ!」と考えていました。
天皇が政治を行うことを、親政(しんせい)といいます。この時の元号は「建武」でした。これが後に「建武の新政(親政)」と呼ばれることになるのです。
この「大政奉還」と「建武の新政」は、どちらも武士から天皇に政治が移った出来事ですね。
明治天皇にとって、武士から天皇へ政治が移譲する世をご経験された護良親王には、何か親近感をお持ちだったのではないのでしょうか。
後述しますが、護良親王は鎌倉幕府を倒したあと、悲劇の死を遂げています。明治天皇はこの死を悼み、鎌倉宮を創建するに至ったのです。
鎌倉宮を創建された明治天皇と、鎌倉宮の神様である護良親王の歴史的共通点をご理解いただけましたか?
それではさっそく、鎌倉宮に向かいましょう!
鎌倉宮の鳥居と、その楽しみ方
鎌倉宮の鳥居
こちらが鎌倉宮の入り口です。赤と白の二色のツートンできっぱりとした印象の、珍しい大鳥居が目を引きます。
こちらの鳥居は非常に大きく、周囲の木々や建物の高さと比較しても、一般的にイメージする鳥居よりも、2,3倍の大きさはありそうです。
ついついその威厳に、しばし見惚れてしまうほど。とっても立派なんですが、ただ「大きいなあ」「立派だなあ」と思うだけではもったいない!
この機会に鳥居の楽しみ方について少しご紹介しましょう。鳥居の楽しみ方を知っていると、神社を巡る楽しみもググッと増えますよ。
鳥居の楽しみ方
神社には必ずある鳥居。神域への入り口であることを示す、神社にとって欠かすことのできない要素ですね。
通常、全国に数多くあるものは、工業製品であれば明確な規格が決まっていますよね。当然、鳥居も全国に沢山ありますから規格があるように思いがちです。
ところが、鳥居を作る大工さんごとに得意な形が異なるので、あまり同じ形のものって無いんです。実はここに鳥居を楽しむヒントが隠れているんです!
それぞれ大工さんによって形が異なると言っても、元々ある鳥居を参考に次の鳥居が作られていくので、「ここの鳥居は、どこの神社の鳥居を参考にして作ったんだろう?」と想像しながら鳥居を観察すると、どんどん神社の関連性が見えて楽しいんですよ。
鳥居を楽しむには、鳥居を構成している部位を覚える必要があります。沢山ありますが、今回は2つだけ覚えていただければ十分です。
写真は鎌倉宮の鳥居の上部のアップです。赤く彩色された角材の真下にある、横に長い角材を「島木(しまぎ)」と言います。その下にある、しめ縄が巻かれた短い角材を「貫(ぬき)」と言います。
鎌倉宮の鳥居は、この島木と貫を観察すると次の特徴があることがわかります。
①島木が端に行くほど反り返っている
②貫が2本の柱までで止まっている
③島木や貫を柱にとめるための部品は無い
この特徴を覚えておいて、他の神社の鳥居を見てみましょう。
写真の鳥居の島木は反り返っていますが、貫が柱を突き抜けて、島木くらいの長さですね。島木や貫を柱にとめるための部品も見えます。さらに島木と貫の中央には、額縁もあったりして、かなり形状が異なります。鎌倉宮の鳥居はもっとシンプルに見えます。
同じ「宮」の鳥居はどうなのでしょうか。写真は伊勢神宮の鳥居です。
鎌倉宮に近いシンプルな形です。ただし、鎌倉宮のように島木の端が反り返っている様子は見られず、真っ直ぐに見えます。また、貫と柱の接合部分には、小さな角材も見えます。
細かなところは違いますが、伊勢神宮の鳥居に近いのかな・・・?と推測して楽しむことができます。
こんな風に鳥居の形状を深く観察していくと、いろんな神社のつながりを想像できたりして楽しみがグッと増しますよ。
常に人で賑わう盃割り舎
鎌倉宮のシンボルの大鳥居をじっくり観察したあとは、いよいよ境内に入ります。大鳥居をくぐって参道を歩いていくと、自然と人がかたまっている場所に目が行きます。
こちらが鎌倉宮で大人気の厄除け、盃割り舎です。
大きな石のまわりに、細かく砕けた陶器がどっさりと積もっています。石の横には真新しい盃が重ねられていて、訪れた人々は次々と厄除け料の100円をお納めして盃を手に取っていきます。
盃を取った人は石の前に立ち、盃に大きく息を吹きかけたあと、盃を石めがけて「えいやっ!」という感じで投げています。投げるというより、石に叩きつける感じです。
それもそのはず、ここの厄除けは石に盃を投げつけて粉々にすることで、体の中にある悪いものが祓われると伝えられているんですよ。