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幕末争乱の舞台 京都
幕末期、討幕派と幕府派の間で数々の事件が起こった京都。坂本龍馬にとっても例外ではありませんでした。伏見の寺田屋では、襲撃されながらも一命を取り留めますが、その翌年に近江屋で暗殺。新しい日本を願いながらも、見ること叶わずその短い生涯に幕を閉じることとなりました。
1.円山公園
祇園・八坂神社の奥にある円山公園には、坂本龍馬の盟友であり、共に暗殺された中岡慎太郎の銅像があります。円山公園は、枝垂れ桜でも有名な桜の名所。春には花見客で賑わいます。
- 円山公園
- 東山・祇園 / 公園 / 紅葉 / 桜の名所 / 庭園の名所
- 住所:京都市東山区円山町地図で見る
- 電話:075-561-1350(京都市都市緑化教会)
- Web:https://kyoto-maruyama-park.jp/
2.京都霊山護国神社
幕末期に倒れた志士たちを祀るため、明治元年に創設された神社。境内には、多くの志士たちの墓碑が並びます。
坂本龍馬の墓石。銅像と同様に、墓石も中岡慎太郎と寄り添っています。今も多くの龍馬ファンが墓参りに訪れる場所です。
- 京都霊山護国神社
- 東山・祇園 / 神社
- 住所:京都府京都市東山区清閑寺霊山町1地図で見る
- 電話:075-561-7124
- Web:http://www.gokoku.or.jp/
3.寺田屋
伏見にある船宿。当時多くの志士が定宿としており、坂本龍馬もその一人でした。
1866年1月23日、薩長同盟の翌日に、龍馬はこの場所で伏見奉行所の役人たちに命を狙われます。共に宿にいた妻のお龍が入浴中、表の人影に気づき知らせたことで、龍馬は負傷を追いながらも一命を取り留めることができました。
現在の建物は再建されたものですが、龍馬が愛用した部屋やお龍が入っていたお風呂などが当時の様子を伝えてくれます。
4.酢屋
材木商兼旅宿で、こちらも龍馬の定宿でした。現在も同じ場所で材木商を営んでおられます。
愛用していた二階の部屋で、龍馬は姉の乙女に向けて、5mにも及ぶ長い手紙を書きました。この部屋が「ギャラリー龍馬」となっており、見学することができます。
- 酢屋
- 二条・烏丸・河原町 / その他スポット / 雑貨・インテリア
- 住所:京都市中京区河原町三条下ル龍馬通地図で見る
- 電話:075-211-7700
- Web:http://www.kyoto-suya.co.jp/ryoma/index.html
5.近江屋跡
1867年11月15日、醬油商・近江屋の2階にて、龍馬は中岡慎太郎と共にいるところを襲撃され、額に致命傷を受けて命を落としました。中岡慎太郎も2日後に死亡。坂本龍馬33歳、中岡慎太郎30歳というあまりにも早い死でした。
2人を襲撃した犯人については、幕府側の京都見廻組説が最も有力視されていますが、今なおはっきりと分かっていません。
近江屋があった河原町周辺は、現在は多くのお店が並び賑わうエリア。跡地にも碑が建つのみで、当時の面影は全くありませんが、龍馬ファンなら必ず訪れたい場所です。
さいごに
坂本龍馬ゆかりの地は、残念ながらその多くは再建されていたり、跡地に碑が建っているだけだったりで、当時の姿のまま残っているものはあまりありません。
しかし、今回ご紹介した場所だけではなく、各地にまだまだ龍馬ゆかりの地が存在しています。ぜひその場に立って、150年前に日本を変えようと奮闘した若き志士の足跡を感じ、その目で見たであろう景色を見てみてください。