リトアニアの首都ヴュリニュスの北西約200kmのところに「シャウレイ」という都市があります。リトアニア第4のこの都市は人口が12万人あまりと、そんなに大きな都市ではありませんが、とてもインパクトのある無形文化遺産で有名な都市です。その遺産とは、「見渡す限りの十字架」が広がる、「十字架の丘」です。今回は、その歴史をご紹介しながら、この「十字架の丘」をご紹介します。
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十字架の丘とは
その名の通り、小さい十字架から大きな十字架まで、沢山集まった「丘」。人が歩くための道はあるのですが、道以外のスペースには所せましと十字架が刺さっています。
また十字架だけではなく、イエス像、マリア像、ロザリオなども。どなたかのお墓なのかと思いますが、そうではなく、人々の「願い」の場所だったのです。
「十字架の丘」はなぜできた?
- 出典:www.flickr.comHill of Crosses by Dan
それは、この地での悲しい歴史に起源があります。
リトアニアはロシア帝国の領土下に置かれることになったあと、1831年と1863年にロシアに対して蜂起を起こしました。が、いずれも失敗。反乱軍の家族が、遺体の代わりに十字架を丘に建てたのが始まりです。
1918年にリトアニアは独立を回復したあとは、リトアニア人がこの丘で平和や独立戦争での亡くなった方々を祈る場所となりました。
また、1993年に教皇ヨハネ・パウロ2世がこの地へ訪れたとき、「希望と平和、愛、そして犠牲者のための場所である」と述べました。
いくつの十字架があるの…?
見渡す限りの十字架。正確な数字は分かっていませんが、現在は約5万あると言われています。旧ソ連が撤去を何度も試みるも、その度にまた十字架がこの地に集まったと言われています。この「十字架の丘」は、数えきれないくらい多くの人々の、絶え間ない願いの場所なのです。
願いを込めて十字架を置いていくこともできる
- 出典:www.flickr.comCross Hill by Petras Gagilas
この十字架の丘の駐車場近辺にはお土産屋さんが出ています。こちらでロザリオや十字架が売られているので、ここで購入し、丘に置くことも可能です。