オスマン帝国を最盛期に導いたスレイマン大帝の時代を題材にしたトルコの宮廷歴史ドラマ『オスマン帝国外伝』は、いよいよ2020年8月にシーズン4が公開されます。ドラマで最も注目を集めている人物、ヒュッレム妃にまつわるスポットをドラマの舞台イスタンブールでリサーチしました!
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【1】ドラマの舞台「トプカプ宮殿」
現在のウクライナにあったルテニアという地方から、奴隷としてコンスタンティノープルに連れてこられたロクセラーナは、大宰相イブラヒムに買われてスレイマン大帝に貢献されます。
とびきりの美人ではなかったものの、機知に富んだ陽気な性格が気に入られ、スレイマン大帝からヒュッレムという名を与えられました。彼女はスレイマンとの間に男の子を含む複数の子をもうけてハセキという称号を与えられ、ハレム内で徐々に権力を強めていきます。
そんなヒュッレム妃の活躍の場であり、ドラマの舞台でもある「トプカプ宮殿」は、イスタンブール旧市街の岬の先端にあります。ハレムの豪華絢爛な装飾は、スルタンの地位の高さや帝国の繁栄をいまに伝えているかのようです。
【2】現役のハマム「アヤソフィア・ヒュッレム・スルタン・ハマム」
ヒュッレム妃の活躍の場は宮殿のハレム内だけではありませんでした。イスタンブール旧市街には、ヒュッレム妃が当時造らせた建物がいまでも残っているのです。
彼女は、アッバース朝第5代カリフの正妃ズバイダを手本とし、ワクフという財団をつくって慈善事業にも熱心に携わったことでも知られています。その一つとして有名なのが、「アヤソフィア・ヒュッレム・スルタン・ハマム」です。
いまではイスタンブールを代表する観光スポットとなっているアヤソフィアは、ローマ時代に造られたキリスト教の大聖堂で、ヒュッレムが生きていた時代は、モスクとして使用されていました。そのアヤソフィア・モスクの前に、公衆浴場ハマムを造らせたのです。
ハマムの収入は、アヤソフィア・モスクへの財政支援に充てられました。当時宮廷に仕えていた建築家、ミマール・スィナンによる設計で、実際に入浴すれば伝統的なオスマン帝国のハマムの雰囲気を堪能することができます。
- アヤソフィア・ヒュッレム・スルタン・ハマム
- イスタンブール / ハマム
- 住所:Cankurtaran Ayasofya Meydani No:2 34122 Fatih/Istanbul地図で見る
【3】スィナンの初の国家プロジェクト「ハセキ・スルタン・キュッリエスィ」
ヒュッレム妃は慈善事業の一環として、さらにモスクとそれに付随する複合施設(キュッリエ)を造るようにスィナンに指示しました。「ハセキ・スルタン・キュッリエスィ」は、旧市街のトラムT1線ハセキ駅周辺に現存しています。
閑静な住宅街の合間を縫うようにして現存しているこの複合施設建設には、モスクのほかに神学校や病院、公共の食堂、教育施設が含まれており、1538年から10年以上の歳月をかけて段階的に建設されてきました。
前述した建築家スィナンの前任者とスィナン自身が設計を担当しましたが、この建設事業は、宮廷建築のトップの座を任されたスィナンによる最初の国家プロジェクトだったという点も注目に値します。
- ハセキ・スルタン・ジャーミィ(キュッリエスィ)
- イスタンブール / モスク
- 住所:Cerrah Paşa Mh. 34096 Fatih/Istanbul地図で見る
【4】ヒュッレム妃の霊廟がある「スレイマニエ・モスク」
宮殿のハレムで皇后として華やかな生活をしていただけでなく、ハマムやモスクを造って慈善活動にも精を出したヒュッレム妃ですが、自らの息子であるセリムとバヤジットのどちらが次代のスルタンになるのかを見届けることなく、1558年にトプカプ宮殿内で亡くなりました。
彼女の棺は、スレイマン大帝のために造られた「スレイマニエ・モスク」の敷地内にある霊廟に安置されています。いまでも多くの人が彼女の魂の平安を祈るため、霊廟を訪れる姿が見受けられます。
- スレイマニエ・ジャーミィ
- イスタンブール / モスク / 観光名所
- 住所:Profesör Sıddık Sami Onar Caddesi 16/1-25地図で見る
おわりに
ヒュッレム妃に関連するスポットは、『オスマン帝国外伝』のファンでなくても訪れておきたい、イスタンブール旧市街になくてはならない歴史的なスポットばかりです。異国で捕えられた奴隷の身分から皇后という地位にまで登りつめたヒュッレム妃が生きた証を、イスタンブールの街を歩いて確かめてみてはいかがでしょうか。