長野県は木曽にある道の駅【日義木曽駒高原】は、特産品を売っているだけではなく、美味しいものも食べられます。道の駅内にある食事所「巴」で出される蕎麦は、自家製粉の玄そば!この地域で知られる「権兵衛」が大好きだった蕎麦の味を今でも継いでいます。
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中山道にある【道の駅 日義木曽駒高原】は特産品がいっぱい
【道の駅 日義木曽駒高原】は、長野県にある木曽駒ケ岳の麓にあり、 中山道(なかせんどう) の中間地点にある「宮ノ越宿」にあります。中山道とは、江戸時代に整備された五街道の1つで、江戸の日本橋から京都をつなぐ街道です。特に木曽川に沿ったこのあたりは、かつては厳しい峠で「木曽路」と呼ばれてきました。
- 出典:blog.goo.ne.jp
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厳しい峠ということは、それだけ自然が豊かともいえます。今でも、木曽山脈や木曽川の自然に恵まれており、【道の駅 日義木曽駒高原】では様々な特産品を販売しています。そして店頭には、朝採れ野菜がたくさん!夏はトウモロコシ、冬はキノコが大人気。日本酒も地酒が豊富に揃っています。
- 道の駅 日義木曽駒高原
- 木曽町(木曽郡) / 道の駅・サービスエリア
- 住所:長野県木曽郡木曽町日義4730-3地図で見る
- 電話:0264-23-3644
- Web:http://www.michinoeki-kisokoma.jp/
朝日将軍「木曽義仲」が挙兵した場所
- 出典:tripnote.jp
この道の駅の名称【日義木曽駒高原】にある「日義」は、ここの地名でもあります。由来は、平安時代、源平合戦の真っ最中に、木曽で挙兵した源氏の武将「源 義仲」。どちらかというと「木曽 義仲」という名の方が知名度が高いでしょうか。
義仲が生きた乱世では、単純な「源氏 vs 平氏」ではなく、源氏の間でも様々ないざこざがありました。そのうちの一つが、義仲の父親 vs 叔父という争い。義仲の父親は従兄弟に殺され、叔父は義仲の殺害を部下に命じます。
しかし、その当時、義仲は2歳。叔父の部下は、こんな幼子を殺すことはできない…と、義仲の乳父(乳母の夫)に逃すように密かに託します。その乳父が木曽の武将 中原兼遠 。
中原が義仲をかくまった場所が、当時、木曽にあった 朝日村 だったから、「木曽 義仲」と名乗り、みんなからは 朝日将軍 と呼ばれるようになりました。すなわち、「日義」とは、朝日の「日」+ 義仲の「義」で「日義」なのですね。
美味しい特産品が食べられる「食事所 巴」
そんな事前知識を踏まえて、【道の駅 日義木曽駒高原】に話を戻します。ここには、義仲が挙兵した時の家紋「笹竜胆(ささりんどう)」にちなんだ「ささりんどう館」があり、【食事所 巴】が併設されています。
「巴」という店名は「巴御前」から
「巴」と書いて「ともえ」、歴史的にも人気な女武者「巴御前(ともえごぜん)」のことです。先ほど、乳父の 中原兼遠 が義仲をかくまったと書きましたが、巴はその中原の娘 です。
木曽に逃れた義仲と共に、幼い頃から一緒に父親から戦い方を学び、そんじょそこらの男では敵わないほどの女武者に。そして、義仲が死ぬ間際まで付き添って共に戦ったことは有名です。
史実上では “義仲の妻ではなく妾” とされていますが、実際は、幼い頃からずっと一緒にいる、心の奥深くで繋がった戦友のような関係だったのだろうなとも思えます。