島原城は、長崎県島原市にある安土桃山期の築城様式を取り入れた五層天守閣のお城です。海沿いにあり、背景に見えるのは空と海のみ!白亜のお城は青い背景に良く映え、浮かび上がる姿は壮麗です。天守の最上階からは360°のパノラマビューが臨め、島原市内から眉山、そして海の向こうには熊本の山々を展望する事ができますよ。キリシタン弾圧や日本最大の一揆「島原の乱」など、壮絶な歴史とも関係の深いお城。歴史に満ちた島原城へ出かけましょう!
この記事の目次表示
島原城の歴史
築城の名手、松倉重政が7年をかけ築城
1681年から、築城の名手、松倉重政が4年~7年の歳月をかけ築きました。この場所にはかつて森岳と呼ばれる小さな山があった事から、森岳城とも呼ばれていたそうです。
五層天守閣で、安土桃山期の築城様式を取り入れた壮麗なお城。その築城と同時に、城下町も整備され、武家屋敷も観光スポットになっています。
築城以来、松倉氏・高力氏・松平氏・戸田氏と4氏19代のお城として、繁栄した島原城ですが、明治維新の際、廃城となりました。
現在の島原城はまだ新しく、復元が行われたのは昭和39年の事です。
キリシタンの歴史に深く関わったお城
九州は、南蛮との貿易を行い利益を上げていたため、松倉氏はキリスト教徒に関して寛容でした。しかし、徳川幕府が鎖国政策を行った事により、徹底したキリスト教弾圧を行うようになります。
敷地内には天草四郎の銅像や、キリシタンの墓碑がある他、天守閣内には貴重な島原の乱にまつわる数多くの資料が展示されています。
昭和に入って復元された島原城
1960年(昭和35年)、島原市の方々の熱意が実り、島原城の復元工事が始まりました。まず1960年(昭和35年)に「西の櫓」、1964年(昭和39年)に「天守閣」と次々に復元されていきました。
完成した白亜の島原城は青い海と空に良く映え、美しく建つ姿は壮麗そのものです。
天守には島原の歴史が詰まっていた!
入口周辺
実はこの島原城の駐車場は他のお城ではあまり見ない、天守の前が駐車場になっています。おそらく、入場まで最短で行けるお城ではないかと思います。
入口には女性だけでつくられた「島原城七万石武将隊」の方が日替わりで衣装を着て案内してくれます。武将は、有馬晴信、天草四郎、松平忠雄、松倉重政、高力忠房の5名、平日は2名~3名、週末・祝日などは5名全員がお出迎えしてくれるそうですよ!記念撮影をお忘れなく。
1階から3階は島原の歴史資料がぎっしり
天守閣内は、1階「キリシタン史料」、2階「郷土資料」、3階「民俗資料」が展示されており、歴史の教科書で見たような物が沢山ありました。特に、1階のキリシタン史料は、島原の乱にまつわる数多くのものがあり、和洋ミックスの文化をが見れ興味深い場所でした。
沢山の方の人生を左右したであろう「踏絵」も展示されています。
甲冑や鉄砲、松平家家宝の神気・神息の太刀など、沢山展示されており、島原の歴史を知る展示品が沢山並んでいます。
大きな古い島原城の地図も必見です。
最上階からの眺望はあっぱれ
最上階の天守閣・展望所からは360°見渡すパノラマビュー!
西には1792年に地震により大崩壊を起こしたが眉山見えます。崩壊した土砂が一気に海に流れ出し、海を埋め立てたため「流れ山」と呼ばれる独特の景観をつくったそうでうす。
そして、海の向こうには熊本の山々を望む事もできますよ!
変身体験も!あなたは忍者になる?それともサムライ?
島原城では、忍者や甲冑を着けたサムライに変身する事ができます。着用はなんと無料!旅の思い出に1枚いかがですか。
その他城内の見どころ
西の櫓
重厚な造りの「西の櫓」。こちらには全国の名城画などが展示されています。
御馬見所(おんうまみしょ)
藩士の訓練状況を見る視察所として使われていた場所。江戸時代から残る建物で、国の有形文化財に登録されています。
民具資料館
明治から昭和の暮らしで使われた民具が展示されています。
終わりに
島原城はいかがでしたでしょうか。他ではあまり見られないキリシタン史料のエリアでは、キリシタン弾圧の様子を感じる事ができる貴重な品が沢山ありました。そして、青い海と空を背景に建つ白亜の島原城は壮麗そのもの。ぜひ、歴史ある島原城へ足を運んでみて下さいね!
基本情報
- 最寄り駅:島原鉄道 島原駅
- 開館時間: 9:00~17:30
- 休館日:無休
- 料金:【入館料】大人540円 小・中・高生270円 【駐車料金】一般車両320円/小型バス540円/大型バス1,080円
- 島原城
- 長崎 / 城 / 観光名所 / パワースポット / 桜の名所 / ツーリング
- 住所:長崎県島原市城内 1-1183-1地図で見る
- 電話:0957-62-4766
- Web:http://shimabarajou.com/