南ドイツにあるミュンヘンは、バイエルン公国時代から主要都市として栄えた大都市。歴史深い建物、教会、美術館は見応えあり、白ソーセージなどの伝統料理やビールも美味しい!たっぷりミュンヘンの魅力を味わえる観光スポットをご紹介します。
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ミュンヘンはどんな街?
「ミュンヘン」ってどんなイメージですか?中世、歴史深い街、南ドイツの大都市、サッカーチームのバイエルン・ミュンヘン、ビールが美味しい、白ソーセージが名物、…などなど色々ありますよね。
様々あるイメージの中でも、今回は「歴史深い街」のミュンヘンに焦点を当ててご紹介します。とはいっても結局は「歴史深い街」に、大都市になった所以、バイエルン、ビール、白ソーセージなどすべて繋がるんですけどネ。
そんな “ミュンヘンの歴史深さ” を観光で楽しむにあたって、事前知識としてちょっと知っておきたいのは、「バイエルン公国」と「バイエルン王国」、そしてこの2つに深く関わる「神聖ローマ帝国」と「ヴィッテルスバッハ家」のコト。なぜなら観光名所のほぼ全てが、これらが栄えた時代に造られているからです。
なぜミュンヘンは歴史深い街なのか?!
ドイツは「神聖ローマ帝国」(800年〜1806年)として栄えた時代がありますが、いわゆる「ローマ帝国」とは全く異なります。ローマ帝国は衰退に伴い西と東に分裂、そして一旦滅んだ「西ローマ帝国」を継承したのが「神聖ローマ帝国」なのです。でも “継承” というとカッコイイですが、血のつながりなどは全くなく、事実上は “言ったもん勝ち” といったところでしょうか。
1180年、その神聖ローマ帝国に「ヴィッテルスバッハ家」のオットー1世が「バイエルン大公」に任命され、ミュンヘンを与えられました。これが “ミュンヘンとヴィッテルスバッハ家がつながる所以” です。それ以来、ミュンヘンを首都に「バイエルン公国」が栄えます。
そして、神聖ローマ帝国が1806年に滅びると、バイエルン公国は ヴィッテルスバッハ家が治める「バイエルン王国」となり、その首都として引き続きミュンヘンが発展することに(1918年のドイツ革命まで)。
これで “「ミュンヘン」といえば「バイエルン」”と言われるワケ、サッカーチームが「バイエルン・ミュンヘン」なワケも、なんとなくご理解いただけたでしょうか?ちなみに、現在ミュンヘンは「バイエルン州」の首都となっています。
美男美女、そしてちょっと変わった人が多い【ヴィッテルスバッハ家】
ヴィッテルスバッハ家は、ヨーロッパ諸侯の中でも 美男美女 の家系で有名な名門なのですが、その一方でちょっと変わった人たちが多いのです。どう変わっているかというと…
美しさへの執着 と 浪費癖 がキーワード。その中でも特異な2人をご紹介します。どちらもWEBで検索すれば、その美貌っぷりはすぐにわかりますヨ。
バイエルン王「ルートヴィヒ2世」
1人は、“ドイツで見たい城といえば!”で日本人にも馴染みのある「ノイシュバンシュタイン城」を建てた美男子「ルートヴィヒ2世」です。
4代目のバイエルン王なのですが、女性嫌い、美男子好き、オペラに酔いしれ、中世に憧れて城をあちこちに建設、そして精神異常者として40歳で幽閉、その直後に湖で変死…まるで物語のような人生を送った人物ですが、彼のお墓が、ここミュンヘンにあります。(ノイシュバンシュタイン城とルートヴィヒ2世についてもっと知りたい方は こちらの記事 をどうぞ)
オーストリア皇妃「エリザベエト」
もう1人は、そんなルートヴィヒ2世の唯一の理解者だったと言われる「オーストリア皇妃エリザベエト」。彼女も “ヨーロッパきっての美女” と言われ、オーストリア帝国の王に見初められて嫁いだのですが、美貌と痩身に執着していたそう。
美容への多額の出資、宝石やドレスに名馬にもお金を使い、豪華旅行も大好き!加えて飽き易く好き嫌いも激しい…と散々な言われようで有名です。彼女もまたまっとうな死に方はできず、旅行先のスイスで「国王暗殺者集団」の一人によって殺され、60歳の生涯を閉じました。
ちょっと暗い話になってしまいましたが…。
ヴィッテルスバッハ家の人たちのおかげでミュンヘンは魅力的な街になり、今や観光大都市となったことは確かです。では前置きが長くなりましたが、歴史深いミュンヘンの見所をご紹介します!ちなみに最初に言っておきますが、スリには注意!です。
【カールス門】ミュンヘン中央駅から旧市街地へ!
ミュンヘンへ訪れる際の一番の窓口といったら「ミュンヘン中央駅(München Hbf)」。そこから目指すは東に広がる旧市街地ですが、その旧市街地へは【カールス門(Karlstor)】をくぐっていくことになります。
駅前の近代的な雰囲気の中に、どーん!と構えるこの カールス門、なかなか貫禄があります。
どこにでもある観光mapを見ればわかると思うのですが、ミュンヘンの旧市街地はぐるっと円形の道に囲まれています。今はもう無くなってしまいましたが、城壁と門が街を囲んだ要塞都市でもあったのですね。ちなみにカールス門は「バイエルン公国」時代の名残です。
カールス門の先は「ノイハウザー通り(Neuhauser.Str)」という歩行者天国のショッピングストリート。お店は近代的なのが多く、お土産屋さんや飲食店が立ち並び、多くの人でごった返しています。
【マリエン広場】旧市街地の中心!
ミュンヘンの見所はわりとこぢんまりとした旧市街に集中しているので、徒歩でも余裕で散策できます。その中心地にあるのが【マリエン広場(Marienplatz)】。上記で紹介したカールス門から、まっすぐ歩いていくとたどり着きます。
広場の中心に「マリア像(Mariensäule)」の塔があるので「マリエン広場」と言われるように。その台座では4人の天使がそれぞれが何かと戦っており、それぞれに意味があります。
1人の敵はライオンで「戦争」、1人はコカトリス(鶏と蛇を掛け合わせたような空想の怪物)で「ペスト」、もう1人はドラゴンで「飢饉」、最後がヘビで「異端」。それぞれ、都市に災いをもたらすものに打ち勝つ様子を象徴しているそうです。
ちなみに、今あるミュンヘン最大の市場は「ヴィクトアリエン市場(Viktualienmarkt)」ですが(後ほどご紹介します!)、バイエルン公国ができる前はこのマリエン広場が市場として使用されていました。
また、ここで騎馬試合 も行われていたとか!その騎馬試合にまつわる面白い 仕掛け時計 もあります。
必見!仕掛け時計【グロッケンシュピール】が大人気の【新市庁舎】
マリエン広場での一番の見所はやっぱり【新市庁舎(Neues Rathaus)】!バイエルン王国の時代、1908年に完成しました。ネオゴシック建築で細かい装飾も見応えあります。
そして新市庁舎の時計の下にあるのが【グロッケンシュピール(Glockenspiel)】と呼ばれる「仕掛け時計」。時報と共に「32体」のからくり人形が「43鐘」の奏でる音楽に合わせて踊り出します。
この仕掛け時計、作られたのはバイエルン王国の時ですが、仕掛け時計のストーリーはバイエルン公国までさかのぼります。また、上段と下段と2つあり、ストーリーが異なります。
上段は、1568年に行なわれた 「バイエルン公 ヴィルヘルム5世」と「ロートリンゲン公 レナーテ」の結婚式を再現したもの。ロートリンゲンといったらハプスブルグ家系の超名門!名門同士の結婚式、さぞかし壮大だったと思います。
そして先ほどご紹介した騎馬試合の一騎打ちも見られます。バイエルン VS ロートリンゲン で、もちろん負けるのはロートリンゲン騎士。首がカクっと折れると、広場に集まっている観光客からドッと笑いが起きます(笑)。
下段はバイエルン公国時代に猛威を振るった ペスト が終息し、羊飼いが喜んで踊っている姿です。日本ではあまり知られていないペストですが、いかに当時、ドイツ市民に恐怖をもたらしていたかが垣間見えます。
驚きなのは、人形の大きさ!地上から見上げると距離があるので人形は小さく見えますが、なんとその大きさは実物大!それが32体も動くのですから、スゴイですね。
仕掛け時計が観られる時間
4月の聖金曜日と諸聖人の日(11月1日)以外は毎日11:00、12:00、17:00に観ることができます。人形が踊っているのはだいたい10分ほどです(17:00は3〜10月のみ)。
また、3〜10月の21:00には、上記のようなストーリーは観られませんが、ホルンを鳴らす夜警 の人形が出てきて、ミュンヘン小僧 が「おやすみ〜」と挨拶してくれますヨ。
スリに注意!!!!
仕掛け時計が始まる少し前から、ここにはたくさんの観光客が集まります。しかも仕掛けを観るには見上げなければならない。カバンから手を離してスマホを構えていたら、スリの絶好の獲物です。十分ご注意ください。
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