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巨大なわらじ
さて、大仏胎内を出ると、目の前には巨大なわらじがあります。
これは、片足90cmx180cmで、重さ約45kgもあるという超特大サイズ。戦後復興中である1951年に開催された、とある産業祭に出品された大わらじを、「日本中の幸せを願って大仏さまに履いてもらおう」ということで奉納されたのがはじまりだそう。
今では、茨城県の子供たちが3年に1回のペースで作り替えて奉納しているのだそうですよ。
謎にあふれた大仏
さて、前述しているとおり、鎌倉の大仏様は非常に謎が多い存在です。通常、これだけ大掛かりなものであれば、その建立に関わる記録はしっかりと文献に残されているはずなのですが、鎌倉大仏は資料がなさすぎて、歴史的裏付けがとれないものが多いのです。
そのため、わずかに残る文献の中から、「はっきりとは書かれてないけれど、これはきっと鎌倉の大仏のことを書いたのではないか?」と思われる記述をつなぎ合わせて、様々な人がいろいろな推論をたてて研究しているのです。
多くの人が支持している代表的な説を例に、鎌倉大仏の謎をご紹介しましょう。
・1238年に大仏殿と大仏の建立が始まる。
・1242年の時点で青銅ではなく木造の大仏が目撃されている。※1
・1247年に台風で大仏が倒壊してしまう。
・1252年に金銅の大仏の建立が始まる。※1
・1334年に台風発生、1369年に台風発生、1498年の大地震と度重なる自然災害によって大仏殿が失われる。
・江戸中期に大仏の修復を行う。※2
※1: 1242年の木造の大仏と、1252年に金銅の大仏が作られています。これは、木造大仏が後に作られる金銅大仏の鋳型として作られたとする説と、木造大仏が何かの理由で無くなってしまい、代わりに金銅の大仏が作られたとする説があります。
ところが、現在の大仏は青銅色ですね。実は金銅の大仏の名残と言われている部分があります。大仏様のお顔をご覧ください。
右の頬の部分に、色の違う個所があるのがわかりますか?これが当時の金箔と言われています。
※2:江戸中期には台座を修復しています。当初、32枚の蓮弁(ハスの花弁のことで、仏様の台座の装飾などに使われます)を作る予定でしたが、どのような理由があったのか、完成したのは4枚のみでした。これは、大仏の背後に設置されています。
建立についての謎を紹介しましたが、そもそも、何のためにこのような大がかりな仏像をつくったのか、依然としてわかっていないのです。
古今東西で人気者の大仏
そんな謎だらけの大仏ですが、昔から今までその人気は不動のものでした。
鎌倉大仏を訪れると、外国人観光客の姿を多く見かけます。これは昔も同じ状況だったようで、鎌倉大仏に関する記述は、海外の古い書物の中にも多く見られるのだそうです。
主に16世紀頃、イギリス、オランダ、スペイン、ポルトガルなどの各国から大仏を訪れる人がいたらしいですよ。初めて見る異国の巨大な像は、きっとものすごいインパクトがあったに違いありません。
後に、鎌倉から少し離れた横浜に、外国人居留地が整備されます。この外国人の間でも、鎌倉は大人気観光スポット。近くて異国の様式の建物がわんさかある鎌倉と鎌倉大仏が、人気となったのも想像がつきますね。
当然日本でもその人気は不動のもの。著名人が大仏に時折触れています。境内にはこんな歌が残っています。
歌人、作家である与謝野晶子が歌を詠んでいます。「かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼は 美男におはす 夏木立かな」
「夏の木立のなかに鎮座する鎌倉の大仏様は、御仏という存在にもかかわらず、イケメンだわ~。」という、女性的な独特の観点で大仏様を評価しています。聖なる存在の大仏様を、「美男」と人間的な感覚で表現しているのが面白いですね。
さて、与謝野晶子は大仏様を「釈迦牟尼」と詠んでいますね。実はこれも小さい謎なのです。鎌倉大仏は、釈迦牟尼(釈迦如来)ではなく阿弥陀如来。意図してそうしたのか、はたまた間違えたのか?こんなところも謎だらけなのでした。
おわりに
いかがでしたか?超有名な鎌倉大仏は、意外にも謎だらけ!
謎を知っているのと知らないのでは、その楽しみ方が全然違いますよ!ぜひ、ご自身の目でその謎を確かめてみてくださいね。

- 鎌倉の大仏
- 鎌倉 / 寺
- 住所:神奈川県鎌倉市長谷4丁目2番28号地図で見る
- 電話:0467-22-0703
- Web:http://www.kotoku-in.jp/