日本有数の観光地である鎌倉。鎌倉幕府によって多くの寺院が立ち並び、一大都市として栄えたました。その鎌倉は、もともとどういう由来で「鎌倉」という地名になったのかご存知ですか?いくつかいわれがありますが、鎌倉にある禅宗のお寺「浄妙寺」境内には、地名の由来となった伝説が残っています。御由緒あるお寺を訪ねながら、鎌倉の名の由来を探ってみませんか?意外にこわ~い由来もあったりして!?ドキドキヒヤヒヤの鎌倉散歩をご案内します。
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「浄妙寺」はどんなお寺なの?
「浄妙寺」は禅寺として、鎌倉にあるお寺の中でも、とっても格の高いお寺にランク付けされています。
もともと鎌倉は、源頼朝に台頭される武士がおさめた鎌倉幕府によって栄えた土地です。その武家社会に受け入れられたのが禅宗でした。
禅とは、心を澄まして自分の中にある真理を知るという教えです。武士の己を磨くストイックな当時の生き方にフィットしたこの教えは、瞬く間に武士の間に広がっていきました。そして幕府によって代表的な禅寺が選定されます。
この時選定された禅寺を「鎌倉五山」と言います。名が示すとおり5つあり、「第1位 建長寺」「第2位 円覚寺」「第3位 寿福寺」「第4位 浄智寺」「第5位 浄妙寺」と、位と共に制定されました。
今回訪れる浄妙寺は、鎌倉五山の一つとして栄えた非常に格式の高いお寺なのです。
地名に残るかつての跡
浄妙寺は、鎌倉五山の一つとして栄えたお寺です。かつては広大な土地に、多くのお堂が建つ大寺院でした。残念ながら、火災により大部分を焼失し、現在ではいくつかのお堂が建つのみとなっています。
ところが、今でも広大な土地を有していた形跡がお寺の外にあるのです。さっそく、その証拠を探りながら浄妙寺に向かいましょう!
鎌倉駅東口を出ると、目の前にはバスプールがあります。平日・休日問わず、常に観光客であふれる鎌倉駅前は活気に満ちています。
浄妙寺へは、鎌倉駅東口から京浜急行バスの「鎌倉霊園正門前太刀洗」「金沢八景駅」「ハイランド」行のいずれかに乗り、15分ほどで到着します。乗り場は鎌倉駅の改札を出て、右側に歩くとすぐにある5番乗り場です。
降りるバス停は「浄明寺」というバス停です。本日向かうのは「浄妙寺」。降りるバス停は「浄明寺」。真ん中の漢字が「明」と「妙」で異なりますね。
前述したとおり、かつて浄妙寺は広大な土地を有していました。現在でもその名残として、この付近一帯の地名として残ったのが「浄明寺」です。
浄妙寺にあやかって付けられた地名ですが、本家の「浄妙寺」に少し遠慮して、あえて真ん中の漢字を変えて「浄明寺」としたのです。遠慮しつつも地名に残したということに、当時の人々の浄妙寺への敬意や親しみが感じられますね。
あたりには当然のように「浄妙寺」へ誘導するための案内板もあります。漢字が違うためか、「浄明寺」のバス停付近では、「名前の似ているお寺があるんだ~」という声もチラホラ。違うお寺があるわけではなく、地名なんですよ。
山門
バス停から案内版に従って歩くこと1分ほど。さっそく浄妙寺の山門が見えてきました。
山門に近づいてみると、やはり格式のある鎌倉五山に数えられるだけあって、質素ながらに歴史を感じさせる厳かな雰囲気が、しみじみとにじみ出ています。
門の上部には「稲荷山(とうかさん)」と書かれた山号(さんごう、山号とはお寺に付けられる別称のこと)が掲げられています。
「鎌倉」の地名の由来となった鎌足稲荷神社
神社へ向かう道
山門をくぐる前に、境内を少し寄り道してみましょう。本堂のあるエリアから少し離れて、裏山にある「鎌足稲荷神社」に向かいます。
場所が不安な場合は受付の方に確認しておきましょう。離れていても浄妙寺の境内なので、受付の前に掲示されている境内見取り図には「鎌足稲荷神社にお越しの方は係にお尋ねください。」の案内書きもあるほどです。
鎌足稲荷神社へは、山門の右脇の小さな道を通っていきます。
この道の突き当りを右に曲がると、小さな石の階段が続いています。浄妙寺の裏山に続く階段は、住宅地の間にひっそりとある感じです。
階段を登っていった左側に、長い年月を経たためか、角がずいぶんと丸くなった石段が連なっています。
やや急なその階段の先には、素朴な木造りの鳥居と、紙垂が山からの風でゆるやかに揺れていて、なんだか急に神域といった厳かな雰囲気。
鳥居をくぐると、そこに小さな小さな祠がありました。ここは、「鎌足稲荷神社(かまたりいなりじんじゃ)」と言います。
とてもひっそりとしていますが、こここそが「鎌倉」という地名の由来となった場所なんですよ。
鎌倉の由来
「鎌足」は藤原鎌足(ふじわら の かまたり)のことです。藤原鎌足は、大化の改新の中心人物であり、なんといっても藤原氏の始祖という超有名な人です。
ところで「鎌足」って不思議な名前だと思いませんか?こんなお話が伝わっています。
鎌足が生まれたときに、どこからともなく、真っ白なお狐様が現れました。そのお狐様は口に立派な鎌槍をくわえていて、この鎌槍を鎌足の足元に置いたのだそう。「鎌」槍を「足」元に置いたから「鎌足」なんですね。ものすごく明快な名前です。
そして今度は大人になった鎌足が、この付近に滞在した夜のこと。鎌足がぐっすり休んでいると、夢の中に老人が現れます。老人は鎌足に向かってこう告げました。
「あなたに鎌槍を授けて守護してきましたが、大化の改新を成し遂げたのだから、授けた鎌槍を我が地に奉納しなさい。」
不思議な夢を見たなあと思っていると、また目の前に白いお狐様が現れました。そして鎌槍を埋める場所まで鎌足を案内したのです。そしてたどり着いたのが、ここ浄妙寺の裏山でした。実は鎌足、生まれたときにもらった鎌槍をず~っと持ち歩いていたんです。
案内された場所に、その鎌槍を埋めました。それがここ、「鎌足稲荷神社」です。祠の近くには、このお話の概要が記された説明板があります。
この伝説が由来となって、「鎌槍」から「鎌倉」という地名になったと言われています。
お狐様は稲荷神のお使いとされています。藤原鎌足を案内したのがお狐様であったことから、埋めた場所を稲荷神社として祀るようになったのですね。
鎌倉は、ここ以外にも夢の中でお告げを受けて、なぜか地面に何かを埋めたり、掘ったりする逸話が多いのも特徴です。もともとこの土地自体に不思議なパワーがあるからかもしれませんね。
花のお寺の浄妙寺
さて、鎌足稲荷神社のある裏山から戻ってきたら、いよいよ浄妙寺本堂へ!山門をくぐって境内に入ると、きれいに整備された石畳がまーっすぐ続いています。
山門から本堂まで空が開けていて、周囲よりとっても日当りがよく、なんだか無条件にいい気分になります。実は秘密があって、浄妙寺は南に向かって開けているので、「南向き日当り良好」と言う感じで冬場も周囲に比べてポカポ力しているんです。
そのせいか、浄妙寺の花々は他のお寺よりも早く開花することで知られています。鎌倉の他のお寺に比べて、ひと足先にお花見ができてしまうという、お花のお寺としても有名なのです。