この記事の目次表示
相楽園にある3つの重要文化財
相楽園には、3つの重要文化財 がありますが、何も知らないで見るとその価値はよく分からないかもしれません。でも事前知識があれば見る目は変わると思います。1つは元からここにあったもの、他の2つは保存のために、ここに移築されたものです。その3つをご紹介いたします。
1. 戦火を免れた「旧小寺家厩舎」
今はとても平和な雰囲気ですが、相楽園は2度の災難を乗り越えてきました。1つは 第二次世界大戦、もう1つは 阪神淡路大震災 です。
第二次世界大戦の終戦直前、1945年6月の 神戸大空襲 で、本邸を含むほとんどの建物は焼失してしまいました。その戦火を免れた1つが【厩舎】です。
いわゆる馬小屋なのですが、馬車庫や厩務員の宿舎がある2階建てで、明治時代の西洋スタイル、かつ戦火を逃れた貴重な建築物と言うことで重要文化財 に指定されています。
帽子をかぶったような丸い塔や、レンガ造りがレトロで素敵ですね。
また、とんがった屋根や窓の飾り(切妻飾り)は、ドイツ民家 を真似ているそうです。
- 旧小寺家厩舎
- 神戸 / 建造物 / 穴場観光スポット / 歴史的建造物
- 住所:神戸市中央区中山手通5-3-1地図で見る
- Web:http://www.sorakuen.com/shisetsu.html#a04
2. 日本に現存する唯一の川御座船「船屋形」
2つ目は、日本庭園の中心部に置かれている【船屋形(ふなやかた)】。これは、もともと江戸時代に姫路藩が使用していた 御座船(ござぶね) です。
御座船とは、大名や将軍といった “お偉いさんが乗る豪華な船” のこと。今でいう “豪華なクルーザー” といったところでしょうか。
日本全国で残っている御座船は数体しかなく、特に河川専用の「川御座船」として現存しているのは、相楽園の【船屋形】のみ なんだそう!これは希少ですね。日本庭園の景観にも見事にマッチしています。
でも、見ての通り、船そのものではなく、御座船の一番豪華な上部の「屋形」だけです。明治初期の陸揚げによる解体の際、屋形のみ「茶室」として、垂水の資産家の邸宅に取り付けられました。
その後、保存管理するために、1980年に相楽園に移築されることに。様々な経緯を辿りつつも、今でも当時の豪華さを感じさせる、威厳ある佇まいです。(より詳しい歴史解説はこちらが参考になるかと思います。)
定期的に外部解説ツアー、また予約限定の内部観覧も行っています。スケジュールは 神戸市のホームページ で告知されるようです。
3. 元は北野の異人館街にあった【旧ハッサム住宅】
もう1つの重要文化財が 【旧ハッサム住宅】です。突如現れる洋館なので、「これは何?!」と思うかもしれませんが、前述した通り、【旧ハッサム住宅】も、もとは相楽園にあったわけではありません。
外国との貿易が神戸港で盛んだった頃の1902年、インド系イギリス人の貿易商 J.K.ハッサム が、北野の異人館街 に私邸として建てたものを、神戸市が保存管理するために相楽園に移築したそうです。
当時、設計した建築家は、北野で異人館の多くを手がけたイギリス人の A.N.ハンセル です。彼の代表作と言える建築物は、この「旧ハッサム住宅」はもちろん、今や北野の観光名所になっている「萌黄の館(シャープ邸)」や「シュウエケ邸」などたくさん!その多くが重要文化財です。
普段は住宅内には入れませんが、つつじが見頃のゴールデンウィークや、毎年恒例の菊花展に合わせて10月〜11月は一般公開されています。相楽園の入場料300円を払えば、見学は自由です。なかなか見る機会のない内部をご紹介します。
1Fの応接室や食堂は煌びやかな雰囲気
まず玄関から中に入ると、赤い絨毯、そして階段が目に入ります。まさに洋館らしいエントランスですね。
入ってすぐ右は 応接室 です。派手すぎず、でも威厳あるデザイン。また、窓側は南向きなので、日当たり良好!(公開日以外は、日焼けしないよう窓は閉ざされています)
また、入ってすぐ左は 食堂 。奥に続く、少し暗い部屋は 配膳室 です。使用人がここからご飯を出していたのですね。厨房は地下にあったようです。
応接室から繋がる奥には 居間 と呼ばれる部屋が。ここも広々としています。そして、ひときわ目を引くのが グランドピアノ 。
これは「ホルーゲルピアノ」といって、東京銀座にあった「小野ピアノ」が製造販売した伝統あるピアノのようです。当時のピアノは全て手作りだったため、家1つ買えるほどのお値段だったとか。ホームコンサート なども開催していたそうです。
トイレも公開されています。トイレにしては広すぎて、今の日本人にとっては逆にソワソワしてしまいそうな空間ですね(笑)。
2Fは落ち着いた雰囲気の寝室 & 大震災後の修復の様子を展示
2Fにある部屋4つは、ともに寝室です。ベッドは置かれていませんが、代わりに、阪神淡路大震災時の修復の様子が展示されています。
あの大震災で、三宮あたりの建物の多くは崩れ落ちたというのに、ここは少し山寄りにあり地盤もしっかりしていたのでしょうか、屋根や天井、床は破損したそうですが、柱や屋根は無事だったそう。
面白いのが、浴室が2Fにあること。寝室のすぐ近くに…ということなのでしょうか。当時の給湯器も残っています。
2本のガス灯は「外国人居留地」から
庭の左右にある2本の ガス灯 は、ハッサム邸のものではなく、別の場所から移設されました。ハッサム邸が建てられる30年ほど前、まだ日本でガス灯はほとんどなかった頃、神戸港すぐ近くの 外国人居留地 に街灯として活躍していたものです。現存するガス灯としては 日本最古 だそう。
阪神淡路大震災で屋根から落下した煙突
【旧ハッサム住宅】を真正面から見ると、庭に突き刺さったような煉瓦の建造物が目に入ります。筆者も最初は「なんだ?!あの景観にそぐわないモノは?!」と驚きましたが、これは、阪神淡路大震災の時に【旧ハッサム住宅】の屋根から落下した 煙突 なんだそう。
住宅内は階段を中心に、右と左に分かれている構造で、全ての部屋に暖炉を設置していたため、右と左に1つずつ煙突がありました。その片方の煙突は、大震災で配膳室に落下!
あの大震災を忘れないために…ということで、前庭に展示しているんだそう。
ハッサムさんはどこへ?!
ここでまた疑問が。この家の持ち主ハッサムさんはどこへ…?!邸内には係員さんがいるので、また聞いてみると、旧ハッサム住宅の持ち主は5,6回ほど変わったんだそう。
北野の異人館街に住む人たちのほとんどは貿易商。仕事が終わったら自国へ帰るため、その度に誰かに売って…が続いたのでしょうね。個人的な所有者が居なくなった後は取り壊し予定でしたが、神戸モスク(神戸回教寺院)が買い取り、保存運動も大きくなったことで、1961年に神戸市へ寄贈されました。
ちょうどその年に、明治時代の異人館の特徴を伝える名建築として 重要文化財 に指定され、その後、きちんとした管理ができるようにと、相楽園の中に移築された、というわけです。
- 旧ハッサム住宅
- 神戸 / 建造物 / 歴史的建造物
- 住所:神戸市中央区中山手通5-3-1地図で見る
- Web:http://www.sorakuen.com/shisetsu.html#a04