幕末時代最後の剣豪集団・新選組を語る上で外せないのが、新選組結成の地・京都。新選組ゆかりの地を、厳選して11スポットに絞りご紹介します。半日あれば観光できるので、ゆかりの地をめぐり、ぜひ彼らの鼓動を感じてみてください!
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新選組についておさらい
1863年、近藤勇を筆頭に、土方歳三、沖田総司をはじめとした腕の立つ剣豪たちが、将軍警護のため壬生浪士組を結成します。これがのちの新選組です。
新選組としての活動期間は1863年から1869年までの約7年間。たった7年間の活動年数からは考えられないほど、ジャンルを問わず人気を博している彼らですが、その生活はどんなものだったのでしょうか?まず、京都駅付近から巡ってみましょう!
新選組最後の屯所周辺・京都駅付近エリア
【1】此付近 新選組最期の洛中屋敷跡
京都駅から西へ歩いてすぐのホテル、京湯元ハトヤ瑞鳳閣の前にある石碑は、2009年に建てられた比較的新しいものです。
1867年6月、新選組は将軍徳川慶喜直属の軍隊となりました。それにあわせ、西本願寺から葛野郡不動堂村へ屯所を移動。ここが、彼らが構えた最後の屯所となります。
しかし激動の時代だった当時、新選組はわずか半年でこの屋敷を離れることとなります。厳密な位置は不明ですが、この付近であることは確実だそうです。
- 新選組最後の洛中屋敷跡の碑
- 京都駅周辺 / 遺跡・史跡
- 住所:京都市下京区西洞院塩小路下ル南不動堂町802 ハトヤ瑞鳳閣前地図で見る
【2】新選組・不動堂村屯所跡
「此付近 新選組最期の洛中屋敷跡」の石碑から目と鼻の先にあるのがこちら。
ここにも、彼らが構えた最後の屯所の位置を示す石碑があります。実はこの新選組最後の屯所、上記でも述べたように厳密な位置は不明なんです。なので、推測されている複数の箇所にそれぞれ石碑が建っている、というわけなんですね。またこちらには近藤勇の歌碑の他に、誠の文字と段だら模様も刻まれています。
「此付近 新選組最期の洛中屋敷跡」から目と鼻の先にあるものの、知らずに行ってしまうと少しわかり辛いところにあります。なぜかというと・・・
リーガロイヤルホテル京都の敷地内にあるからです。訪れる際は、リーガロイヤルホテルを目印に行かれるといいと思います。
- 新選組・不動堂村屯所跡
- 京都駅周辺 / 遺跡・史跡
- 住所:京都府京都市下京区東堀川通り塩小路下ル松明町1 リーガロイヤルホテル京都前地図で見る
【3】本光寺
元新選組の参謀、伊東甲子太郎。彼の絶命の地が本光寺です。
同じ攘夷派でありながらも、近藤勇率いる新選組とは「思想が異なった」伊東甲子太郎は新選組を離脱、御陵衛士を結成。
その後、近藤勇の暗殺を企てたとされ、1867年11月、こちらの油小路通で新選組に暗殺されました。これが油小路の変です。油小路の変では、新選組隊士・藤堂平助も絶命したとされています。
本光寺には、油小路の変に関する資料、伊東甲子太郎について詳しく書かれた書籍、おみくじ等の販売もあるようなので、ぜひ中にも入ってみてくださいね。