「人は死ねばお山さ行ぐ」と言い伝えられる青森県下北郡にある恐山。社会がいかに発展しようとも、恐山に足を運ぶ人は決して少なくありません。何故、人は恐山を目指すのか。恐山と宿坊吉祥閣をご紹介します。
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霊場恐山とは
青森県下北半島にある霊場恐山の歴史は古く、9世紀頃に天台宗の慈覚大師円仁が開基したといわれています。恐山はカルデラ湖の宇曽利山湖を中心に火山性ガスがあちこちから噴出するとともに、奇岩が立ち並ぶなど、死後の世界に擬して、地元の信仰を集めるようになりました。「人は死ねばお山さ行ぐ」と言い伝えられ、死者供養の場とされてきた恐山は、今では全国に知れ渡っています。開山期間は、毎年5月1日から10月31日までの半年間。この間に約20万人の人がこの恐山を訪れます。
何故、人は恐山に向かうのか
恐山について、多くの人が持っている印象は、「幽霊が出る」、「荒涼とした死後の世界」という、文字通り恐ろしい山というイメージが圧倒的に多いのではないでしょうか。あるいは、近年注目を集めるパワースポットとしても、恐山は有名になりつつあります。いずれにしても人知を超えた「あなたの知らない世界」的なイメージを多くの人が、恐山に対して持っているのではないかと思われます。しかし、何故そのような地に年間20万人もの人が集まるのでしょうか。
恐山院代、南直哉師の言葉
恐山の菩提寺は仏教の曹洞宗に属する禅寺です。その菩提寺の院代(住職代理)を務められているのが、南直哉師です。多くの著書を上梓し、語る禅僧としても知られています。恐らく、恐山という場所が持つ意味を最もよく理解されているお一人と言っても過言ではないでしょう。
南師は、ご自身の著書『恐山ー死者のいる場所(新潮新書)』の中で、恐山を死者との想い出・関係性を「預かってもらう場所」であると以下のように表現しています。
大事に育てた一人息子が不幸な事故で亡くなったとしましょう。それでも、父親は父親なのです。(中略)それは息子が死んでも変わりません。(中略)私たちの想い出す、懐かしむ行為によって、死者は現前し続けます。不在のまま、我々に意味を与え続ける。だけど、生者はその意味を(中略)抱えきれない。(中略)相手が生きていれば、その関係性や意味を互いに持ちあうことができます。(中略)生者は、死者という『不在の関係性』を持ちきれません。その代わり、死者にその『不在の意味』を担保してもらうほかないのです。(中略)そのための場所が、ここ霊場・恐山なのです。
思い出すことが最高の供養
逝ってしまった人との関係性は、人それぞれあることでしょう。それは必ずしもかけがえのない関係であった人ばかりではありません。近しい関係だけに複雑な思いを抱き続ける関係性もあるはずです。そうしたあらゆる思いを預け、おろすことができる場所が恐山なのかもしれません。
南師のもとへは様々な相談が持ちかけられてくるといいます。中には、故人をどのように供養すればいいかと率直に尋ねる人もいるようです。南師はその問いに対して「思い出してあげることが、最大の供養です」と語っています。そこには、仏教を超越した死者供養が厳然と存在します。
筆者はこれまで恐山に三度足を運びました。そのうちの二度は故人に会うために訪ねたものです。死後の世界があるかは分かりませんが、逝ってしまった人への思いを預けに、人は恐山へ向かうのかもしれません。
イタコの口寄せ
恐山といえば、死者と交信することができるイタコさんの存在を思い出す人も少なくないでしょう。イタコさんは恐山に所属しているわけではありませんので常駐はしていません。主に夏と秋の祭典時に来られるということですが、筆者の場合運がよかったのか、祭典期間ではないもののイタコさんがいらっしゃいました。
境内に小さな小屋があり、口寄せと呼ばれる死者との交信を行います。筆者の場合、10分間で5,000円のお金をお支払いしました。イタコさんを介して発せられる故人の言葉は嘘か真(まこと)か、それは我々が知る由もありません。
しかしながら、南部訛りの言葉で発せられる温かみのあるイタコさんの言葉。それを聞くことに大きな意味があるのだと思うのです。