東山・祇園
東山・祇園観光
清水寺や東福寺をはじめ多くの社寺が集まる

祇園祭

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祇園祭大船鉾
コレはなんと言う物ですか?
祇園祭の時コレを立て、揺らし支柱に鐘🔔を当てながら歩きます。此の鉾の様な物はなんでしょう。教えて下さい。

#サント船長の写真
祇園祭の山鉾で後の祭りに黒主山が有ります、此の山の御神体は、六歌仙の一人、大伴黒主です、六歌仙とは平安時代前期の『古今和歌集』の序文に記された六人の歌人で僧正遍昭、在原業平、文屋康秀、喜撰法師、小野小町、大伴黒主の六人です。

そんな凄い方が、宮中で事件を起こします。それは同じ六歌仙の一人小野小町とです。
大伴黒主は歌では勝てないので、
宮中での歌合せの前夜秘かに小町の邸に忍び込みます。 そして、小町の詠草 『蒔かなくに何を種として浮草の波のうねうね生ひしげるらん』 を盗み聞きし、それを『万葉集』に書き込み、歌合せの席でその草紙を突きつけて小町の歌は盗作だと言いはります。しかし身に覚えのない小町は、一計を案じ白金のたらいに水を汲ませ、草紙を水に浸して洗ってみせました。するとあとから書き入れた部分だけは一字も残らずに消えてしまい、小町は身の潔白を証明することができました。 黒主は自害しようとしますが小町の取りなしで帝も許され、めでたい雰囲気となり、小町は勧められて和歌の徳を讃えた舞を舞います。
トンデモない爺さんですね。
#サント船長の写真
祇園祭 大船鉾

大船鉾の始まりは、四条町では「祇園社記」の記事に基づき、嘉吉元年(1441年)の建立とされています。「康富記」の記述から、応永29年(1422年)にはすでに存在したという説もあります。いずれにしても応仁の乱以前からの古い歴史を持っています。その応仁の乱(1467年)には他の山鉾とともに焼失、23年後の明応9年(1500年)に再興したといわれています。しかし、その年の鬮順の記録には出ていないので、完全な復興は数年後かもしれません。その頃は人形だけを乗せた比較的簡素な「舟」でしたが、江戸時代に入り、次第に装飾が加えられ、囃子も加わって、「船鉾」と呼ばれるようになりました。

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祇園祭り神幸祭
京都祇園石段下

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祇園祭り(日本三大祭り)7月17日に祇園祭りの巡航が有りました。

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京都祇園祭後祭山鉾巡行
鷹山
辻回し
ハンドルのない大きな車輪を回すのは見応えはありますが、やはり大変そうでした。無事回し終えられた時、観客は拍手喝采です。
京都
祇園祭後祭山鉾巡行
大船鉾
ガラス張りの建物をバックに、この鉾の美しさが際立ちます。
京都
祇園祭後祭宵山
南観音山 あばれ観音
23日午後11時15分ごろ、布でぐるぐる巻きにされた観音様がお出ましになりました。ここら辺を激しく揺さぶられながら、3回お回りくださいます🙏
京都
祇園祭後祭山鉾巡行
鈴鹿山
ご利益 安産、盗難除け、雷除け
京都
祇園祭後祭山鉾巡行
鷹山
京都
祇園祭後祭山鉾巡行
八幡山
ご利益 夫婦和合、夜泣き封じ
京都
祇園祭後祭山鉾巡行
鯉山
ご利益 厄除け、立身出世
京都
祇園祭後祭山鉾巡行
浄妙山
ご利益 厄除け、勝ち運
京都
祇園祭後祭山鉾巡行
役行者山
ご利益 疫病除け、腰痛封じ
京都
祇園祭後祭山鉾巡行
大船鉾
ご利益 厄除け、安産
2023年 祇園祭
屏風祭り
宵宵宵山から山鉾町の御店では、祖先から伝わる屏風を出し町衆に見せる習わしがあります、期間は短いですが、山鉾と合わせてごらん下さいね♪ 先の祭りでは見学料を徴収する所も有りますが、後の祭りでは無料です。

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京都
祇園祭宵山(後祭)
前祭の時ほどの人手はありません。
平家打倒の橋合戦
祇園祭 浄妙山

橋合戦の筒井浄妙と一来法師の活躍の場面が祇園祭の浄妙山に登場して来ます。
筒井浄妙は大活躍をしますが、更に同じ僧兵の一来法師が「悪しう候う浄妙坊」と声をかけ、筒井浄妙の頭に手を着いて飛び越えて活躍をします。その場面が祇園祭に浄妙山です。

ですが❗️コレは昔の話しで、実は牛若丸と弁慶の五条大橋の場面ではないか?
次の投稿で書きます。

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祇園祭後祭
山鉾巡行
祇園祭後祭
三年ぶりの山鉾巡行、お天気にも恵まれ無事に終わって良かったですね。
祇園祭後祭
鷹山
196年ぶりの復活晴れ姿
京都
祇園祭後祭
浄妙山
祇園祭り後祭り
7月17日は祇園祭り先祭りで、7月24日は後の祭りです、その後の祭りの山鉾に浄妙山が有ります、祇園祭りの長刀鉾を始め沢山の山鉾がある中で何故浄妙山が興味深いかと言いますと、筒井浄妙と一来法師で、
特に謎の人物の弁慶なんですね、弁慶は映画・お芝居では、事細かく演じられて居ますが、弁慶の事は殆どなにも判って居ません、判っている事は源義経の家来で有った事だけで、歴史書には弁慶に関する記録がほとんどなく、まして怪力の猛者など書かれたものは存在しません。
そこで目を付けたのが、浄妙山です。
筒井浄妙は三井寺の僧侶で弁慶は延暦寺の僧侶です。延暦寺と三井寺の僧侶は互いに争いが絶えなかったらしい。
弁慶の事は皆様良くご存知ですが。
俺等は筒井浄妙と武蔵坊弁慶とは同じ人物ではと思います(汗)
弁慶(筒井浄妙)と牛若丸(一来法師)の五条大橋 それと筒井浄妙と一来法師の宇治橋で平家から60人以上の兵士から40本以上の矢を身体に射られます、
それが弁慶の立ち往生が有りますね。

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浄妙山
祇園祭り後祭り 筒井浄妙

平家物語の宇治川の合戦です、治承4年(1180)宇治川の合戦に三井寺の僧兵筒井浄妙が橋桁を渡り一番乗りをしようとすると、一来法師がその頭上を飛び越え、「悪しゅう候、御免あれ」と前に進み出て先陣をとってしまったという。御神体(人形)は一来法師が浄妙の頭上を飛び越える一瞬をとらえ木片の楔で一来法師の人形を支えている。黒漆塗の橋桁にも数本の矢がささり戦さのすごさを示している。かつては「悪しゅう候山」とも呼ばれていた。

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浄妙山
祇園祭り後祭り
此の人形は一来法師です、戦いの時筒井浄妙の頭の上を飛び越えて行きます。

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浄妙山
祇園祭り後祭りの浄妙山
宇治橋の戦いの時、筒井浄妙の上を一来法師が飛び越えて行きます。

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浄妙山
祇園祭り後祭り
コレは山に飾られ宇治橋です、無数の矢が射られて居ます。

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京都
祇園祭宵山(後祭)
鷹山
祇園祭り後祭り
【鷹山について】
①鷹山は応仁の乱以前から巡行していた由緒のある山鉾で、「くじとらず」の大きな曳山でした。御神体は鷹匠、犬飼、樽負の御三方で、中納言在原行平様が光孝天皇の御幸で鷹狩りをする場面です。鷹山も他の山鉾と同じく幾多の災害にあいながらも七転び八起きで立ち上がってきました。そして鷹山は他と競いあうようにして豪華になり、江戸時代後期には黒漆塗で破風裏は金という華麗な屋根を持つ曳山になりました。

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鷹山
祇園祭り後祭り

②文政9(1826)年の巡行で大雨にあって懸装品を汚損したことを理由に、翌年から加列しなくなりました。
それから現在まで約190年もの間、御神体をお飾りする居祭を三条通室町西入の町家等で続けてきました。
近年、復興の気運が高まり、2014年に鷹山囃子方、2015年5月に一般財団法人鷹山保存会を設立いたしました。そして2016 年1月に公益財団法人の認定されました。


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鷹山
祇園祭り後祭り


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鷹山
祇園祭り後祭り


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鷹山
祇園祭り後祭り


#サント船長の写真
初の祇園祭りです。
山鉾が大きくてビックリしました。
晴れてて良かった。
3年ぶりの開催の京都祇園祭。
早くコロナが落ち着きますように。。
祇園祭
京都祇園祭り鉾町 菊水鉾

コンコンチキチン、コンチキチン。祇園囃子とともに、7月の京都は祇園祭一色。祇園祭は千年以上の歴史を持ち、7月1日(吉符入)から31日(疫神社夏越祭)まで、1か月にわたって多彩な祭事が行われる八坂神社の祭礼です。なかでも17日(前祭)と24日(後祭)の山鉾巡行、そしてそれぞれの宵山には大勢の人々が訪れ、京のまちは祭りの熱気に包まれます。

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京都祇園祭り鉾町 月鉾

開催期間:7月1日~31日
[山鉾巡行]
前祭:7月17日 / 後祭:7月24

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京都祇園祭り鉾町 菊水鉾

令和4年の山鉾巡行につきましては、本来の形で催行することが決定されました。
※緊急事態宣言及びまん延防止等重点措置が発出された場合は、計画の大幅な見直しや再検討が行われます。
※祇園祭へお越しの際は、基本的な感染症対策と熱中症対策を十分に行ってください。

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京都祇園祭り鉾町



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京都祇園祭り鉾町 長刀鉾



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祇園祭り(後祭り)

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祇園祭り(後祭り)

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祇園祭り(後祭り)

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祇園祭り(後祭り)
此の鉾は大船鉾です。
中心部はほぼ同じ組み立てですが、此処から船になりますね。

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祇園祭り(後祭り)

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祇園祭り(後の祭り)
祇園祭りには第二部が有り、一部が先祭りで二部が後祭りです、後祭りは18日から山鉾の組み立てが始まりました、此の鉾は大船鉾です。

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祇園祭り
八坂神社の大政所御旅所(おおまんどころ-おたびしょ)の地には、かつて祇園祭の御旅所が置かれていた。牛頭天王が祀られ、神輿の渡御も行われていた。

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祇園祭り
 祇園会(ぎおんえ)の神輿(みこし)三基のうち、素盞嗚尊(すさのおのみこと)(牛頭(ごず)天王)と八王子との二基を大政所とよび、妃神奇稲田(くしなだ)姫の一基を少将井とよんだ。

 江戸時代にはこの大政所の神輿は八坂神社を出て四条通を経て神泉苑に入った。この御旅所は円融天皇の時代に秦助正という人が夢に八坂大神の神幸を見、また自宅の庭から八坂神社まで蜘蛛(くも)が糸を引いているのを見て朝廷にこのことを奏上した結果、助正の家が御旅所となり、その後大政所といわれるようになったという。

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祇園祭り 
祇園祭りの時だけ注目される祠
 後奈良天皇の天文5年(1536)に騒乱のため焼失し、天正19年(1591)豊臣秀吉の命により四条寺町に御旅所が移されたが、そのあとに町の人々が小祠を建て、八坂大神を奉祀し、大政所町鎮護の社として毎年7月16日を例祭日と定めた。下京区烏丸仏光寺下る東側大政所町

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