鎌倉にある海蔵寺は通称「花の寺」や「水の寺」と呼ばれ、ゆったりと自然を楽しむ人々に人気のお寺です。常に観光客で賑わう鎌倉駅から少し足を延ばすだけで、すがすがしい自然と静寂を楽しむことができます。日々の忙しさや騒々しさから離れて、静かにゆっくり自分と向き合いたい。そんな人にお勧めの海蔵寺をご紹介します。
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海蔵寺ってどんなところ?
海蔵寺は四季を通じて花が絶えない「花の寺」として有名です。同時に鎌倉でもいわれのある井戸を有し、「水の寺」としても人気があります。
そして今回海蔵寺で一番にお勧めしたいポイントが、何よりも静かなお寺だということ。
鎌倉といえば、平日でも多くの観光客でにぎわい、常に人の気配が絶えない人気の観光地ですが、ここ海蔵寺は鎌倉駅から少し足を延ばしたところにあるので、静かにのんびりしたいという人にピッタリ!
訪れる人も「花の寺」「水の寺」である、自然や風景美を愛でる目的が多いためか、みな穏やかな気配で境内をまわっている感じがします。
そして見どころもたくさん。順番にご紹介してまいりましょう。
底脱の井
山門をくぐる前から、海蔵寺の見どころは始まっています。知らないとそのまま素通りしてしまう人も多い、知る人ぞ知る見どころ。
山門を正面に右側に細い道路が通っています。その脇にひっそりと「底脱の井(そこぬけのい)」があります。
鎌倉にはいくつか歴史的な水場があり、代表的なものを総称して「鎌倉十井(かまくらじっせい)」と呼んでいます。これは良質な水源であったり、曰くが残っている井戸を選定して名付けられました。
ここ底脱の井は鎌倉十井のひとつなのです。どのような歴史的いわれがあるのかご紹介しましょう。
室町時代に、とある女性が尼僧として修業に励んでいたときのこと、この井戸で桶に水をくんだところ、桶の底がズボッと抜けてしまいました。この底が抜けたことで、この女性は悟ったと言われています。
ええー、桶の底が抜けただけで悟っちゃうの!?と思ってしまいますが、私なりにその理由を想像してみました。
今のように蛇口をひねれば水が出るという時代と違って、必要な水量を人の手によってくみ上げるというのは大変な労力を要するものだったことでしょう。せっかく大変な思いをして汲み上げた水が、桶の底が抜けてバシャっと一気に台無しになってしまったのですから、日常のささいな事とはいえ、「ああ~もう!!」とムシャクシャしてしまいそうです。
でも、この女性はその事が「何かにこだわりを持ったとしても、しょうがない時はしょうがない。」というような気持になったのではないでしょうか。物事に対するこだわりがとれ、結果として悟ることができたのではないかと、井戸を見ていたらそんな考えが浮かんできました。
ちなみに、この底脱の井の「底」は、単に桶の底という意味にとどまらず、心の底という意味があるとも言われていますよ。
庫裏
山門を抜けると、右奥に木造2階建ての建物があります。これは「庫裏」と呼ばれているもので、読み方は「くり」です。そのまま読むと「こり」と読んでしまいそうですが、この機会に覚えてしまいましょう。
この庫裏(くり)とは、「裏」という漢字がつくように、お寺のバックヤード的な建物です。
どのように使われるかというと、僧侶の住居、調理場、寺務所という用途が一般的だそう。住居という用途から、一般の民家と似たような外観を持つものも多いのです。
なるほど、ここの庫裏も住居としての用途なのか「古民家」という雰囲気を持っています。雰囲気だけでなく純正の古民家で、なんと建立は江戸時代!
鎌倉にある寺院の庫裏の建築様式を代表するもののようで、歴史的価値が非常に高いと言われています。
薬師堂
庫裏の真正面には、薬師堂と呼ばれる仏殿があり、薬師三尊像と十二神将像を安置しています。
薬師三尊像とは、薬師如来を中央に、向かって右側に日光菩薩、左側に月光菩薩を配置した仏像の総称です。
自らの場所を伝えた薬師如来
薬師如来はなんとなく「薬」関係のなのかなと漠然としたイメージがありますが、この機会にお勉強してしまいましょう。
薬師如来は病気をいやしてくれる如来で、基本的には「薬壺(やっこ)」と呼ばれる壺を手に持っています。薬壺の中には、どのような病気も治す万能の薬が入っています。
海蔵寺の薬師如来は面白い逸話があります。
その昔、当時の和尚さんが赤子の鳴き声を耳にしました。毎晩のように聞こえるその鳴き声の出所をたどっていくと、その声は地面からしているではありませんか!(状況的にはすごく怖い・・・)
和尚さんが地面を掘ってみると、薬師如来の頭部が出てきたと言われています。
現在の薬師如来像には、胸のところに扉がついていて、なんとその時に出土した頭部が収められているのだそう。胸のあたりにある、扉っぽいもの見えますか?
日光・月光菩薩
日光・月光菩薩は、実は何々菩薩と「菩薩」がつく菩薩界の中では、最上の位を持つ菩薩なのです。
名が示す通り、それぞれ太陽の光と月の光を象徴しています。菩薩界で最上ということと、安定したたたずまいが大人然としていますが、もとは薬師如来の子供の「日照・月照」でした。
子供だったんだ・・・!という驚きと、薬師如来に子供がいたんだ・・・!というWの衝撃。深く知ろうとすると、いろいろ面白い発見があるものです。
日光は煩悩の闇を太陽のように照らし、月光は慈悲の光を照らすと言われています。
十二神将
十二神将は薬師如来の眷属(けんぞく、従者のこと)で、薬師如来とセットで配置されることが多いのです。つまり、薬師如来ファミリーがいらっしゃるときは、けっこうにぎやかな集団になるわけですね。
十二神将は、薬師如来のボディーガードです。十二神将のそれぞれが、7,000の夜叉を従えていて(薬師如来ファミリー規模でかすぎ!)、薬師如来のみならず薬師経を唱えるものも守っています。
ボディーガードですから、それぞれ戦えるように甲冑を身につけ、武器を持ち、顔は憤怒の表情で「いつでもかかってこいや!」的な臨戦態勢をしています。