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【4】すみだ北斎美術館
都営大江戸線の両国駅から、徒歩で約7分。北斎通りを直進すると、特徴的な外観のすみだ北斎美術館があります。
画家として有名な葛飾北斎は墨田区内で生まれ、同区内で過ごしながら多くの作品を残しました。この美術館では、北斎が晩年に娘と共に住んでいたアトリエの再現模型や生み出した数々の作品を通して、北斎の生涯を紹介しています。海外の収集家から寄与された貴重な作品も多く展示されており、見応えがあります。
館内の案内は日本語が中心ですが、一部に英語の併記もあります。パンフレットやウェブサイトは、英語を含めた4カ国語で紹介しています。
- すみだ北斎美術館
- 錦糸町・両国・清澄白河 / 雨の日観光 / 美術館
- 住所:東京都墨田区亀沢2-7-2地図で見る
- 電話:03-6658-8936
- Web:http://hokusai-museum.jp/
北斎お休み処
北斎通りにある無人の休憩所で、都営大江戸線両国駅とすみだ北斎美術館の中間あたりにあります。室内には自由に使用できるテーブルや椅子がありますので、飲み物や食べ物を持ち込んで休憩するのに最適の場所です。冷暖房もありますので、疲れた時や悪天候になった時の避難場所として覚えておくと便利です。
【5】回向院
回向院(えこういん)は、JR総武線の両国駅西口から徒歩約3分、都営大江戸線の両国駅から徒歩約10分の場所にある、浄土宗のお寺です。
明暦3年(1657年)に開かれたこのお寺の歴史は、当時の大火事で亡くなり無縁仏となった多くの人々を葬る「万人塚」が設けられた事にはじまります。境内には「猫塚」や「オットセイ供養塔」といった動物の慰霊碑や供養碑もあるのですが、これは「有縁・無縁に関わらず、人・動物に関わらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くもの」という回向院の理念が守られてきた所以です。
以下より、境内にある名所をいくつかご紹介します。なお、境内の案内の一部には英語も追記されていますが、殆どは日本語のみです。
その1: 鼠小僧次郎吉の墓
黒い服に身を包んだ鼠小僧次郎吉が、大きな屋敷から盗み出した千両箱から小判を抜き取り、貧しい町民が暮らす長屋に置いて立ち去る・・鼠小僧次郎吉に抱く現代人のイメージはこのような感じだと思いますが、その信仰は江戸時代より続いてきました。
結局は捕らわれて処刑されてしまった鼠小僧次郎吉。引取り手のない無縁仏となった事から、回向院にお墓が建てられました。現在も残っているこのお墓には、長年捕まらなかった運にあやかるために、今でも受験生はじめ多くの人が訪れています。
その2: 猫塚
病気で貧しい飼い主を思いやり、商家からお金を持ち出そうして殺されてしまった猫の報恩話は、江戸時代より語り継がれてきた有名な昔話です。ここ回向院にある猫塚は、そんな飼い主思いの猫を哀れんだ商家と飼い主が建てたお墓として有名です。
この猫塚は、文化13年(1816年)に実在した猫のために建てられました。墓石は長年うけた雨風の影響でだいぶ形が変わっていますが、現在ではガラス張りの小さなお堂の中に入り、大切に守られています。江戸庶民の生活や猫との暮らしの様子に思いを馳せながら、特に猫が好きな方にとっては、何かしんみりとした気持ちになって手を合わせたくなる場所です。
その3: 力塚
回向院の境内では、江戸後期から旧両国国技館が開館する明治42年(1909年)までの長きに渡り、江戸相撲が行われていました。旧両国国技館ができたのも、元々は江戸相撲が回向院を中心に行われてきたからと言われています。
京葉道路に面した山門をくぐるとすぐに見えるこの力塚は、力強い刻印と、堂々とした佇まいが印象的な石碑です。歴代相撲年寄の慰霊のために建てられましたが、現在は新弟子たちが力を授かるようにお祈りする碑でもあります。
その4: オットセイ供養塔
回向院には「膃肭臍(オットセイ)供養塔」と彫られた石碑があります。なぜ両国にオットセイのお墓があるのか・・?と不思議に思いますが、昔は回向院の境内に見世物小屋があり、そこにいたオットセイを納めているそうです。石碑には、大正15年(1926年)8月に、國技館有志一同によって建てられたことが記されています。
- 回向院
- 錦糸町・両国・清澄白河 / 寺
- 住所:東京都墨田区両国2-8-10地図で見る
- 電話:03-3634-7776
- Web:http://ekoin.or.jp/
【6】江島杉山神社
JR総武線の両国駅から、徒歩で約7分。住宅地の中にあるこの神社では、神奈川県藤沢市の江島神社の弁財天の御分霊を祀る洞窟や、杉山神社の本殿などがあります。敷地は広くないのですが、境内には見どころがたくさんある場所です。
その昔、徳川綱吉にもその腕を買われた盲目の鍼師である杉山和一という方が江戸にいました。綱吉は、自身の難病を治療し回復させた杉山氏の功を称え、高齢になっても江ノ島弁財天への月参りを続けていた杉山氏のために、この場所に弁財天の御分霊を祀る社殿を建てました。そして、江戸庶民の信仰を集め、境内に杉山神社も創祀された弁天社は、昭和27年に江島杉山神社となりました。
こちらの神社では、江島神社と同様に弁天様を岩屋と呼ばれる洞窟の中に祀っています。弁天様の御使いは白蛇といわれていて、岩屋の中には親指の先ほどの小さな白蛇がたくさん納められています。薄暗い岩屋の中に浮かび上がる弁天様や白蛇の姿は、とても神秘的です。
境内には銭洗弁財天もあり、銭洗や美玉洗もあります。弁天池にはアーチ型の小さな石橋がかかっていて、池に反射する日光や水の音が相まって素敵な雰囲気です。境内には他にも、墨田区内に37個あるといわれている力石の一つがあります。この力石は93貫(348.75kg)あり、一番重いものになります。力石は、江戸中期から末期に、力比べとして庶民に楽しまれたスポーツに使われていたそうです。
診療所の他に鍼治講習所も開いていた杉山和一氏は、鍼や按摩(あんま)技術を多くの弟子に教育し伝授しました。杉山氏は鍼や按摩を職業として確立させるとともに、盲人教育の場をはじめて作った人物でもあります。
なお、境内にある案内は全て日本語です。
- 江島杉山神社
- 錦糸町・両国・清澄白河 / 神社
- 住所:東京都墨田区千歳1-8-2地図で見る
- 電話:03-3863-1308
- Web:http://ejimasugiyama.tokyo/