イラン
イラン観光
宮殿や古代遺跡、美しい装飾のモスクが点在

【イラン】古代オリエント人のレリーフは必見!ペルシア帝国時代の遺跡「ペルセポリス」

取材・写真・文:

東京在住
訪問エリア:191ヶ国

2021年5月17日更新

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写真:toshel

現在のイラン南部にあるペルシア帝国時代の遺跡「ペルセポリス」には、他国の遺跡には見られない興味深いレリーフが遺っています。支配下だった各国の朝貢者がどのような衣装でどのような貢物を携行して訪ねて来たのか?今回は、古代オリエントの国々の様子を如実に遺している、筆者にとって世界で一番興味深い遺跡をご紹介します。

この記事の目次表示

ペルシア帝国アケメネス朝の歴史

イラン南部にある砂漠近くの乾いた大地に、古代オリエントを統一した大帝国の都がありました。紀元前550年ごろ成立したペルシア帝国は、初代国王キュロス2世が周辺の強国であったメディア、リディア、新バビロニア、果てには中央アジアのバクトリアやソグディアナまでも征服して、空前絶後の広大な大帝国を築き上げます。

ペルシア帝国の都ペルセポリス

そして、のちにペルシア帝国の王を引き継いだダレイオス1世は、紀元前520年から現在のイラン南部ラフマト山の麓に、総面積125,000㎡にもおよぶ「ペルセポリス」の建設に着手しました。

  • 写真:toshel

ペルセポリスは、ダイオレス1世の息子クセルクセス1世、その息子アルタクセルクセス1世の代まで60年間にわたって継続して建築が行われ、宮殿群をはじめ支配下各国から使者を迎える広間や、それらの財宝を保管した宝物殿など、莫大な富と強大な勢力を誇示する壮麗な建築群が建設されました。

ペルセポリスの崩壊

しかし紀元前330年、ペルセポリスに侵入したアレクサンドロス大王は、これらの美しい建築物を焼き討ちし陥落させます。火の海となったペルセポリスから人々は逃げ、廃墟となったペルセポリスの壮麗な宮殿を破壊しつくしたアレクサンドロスは、宝物庫に保管されていた全財宝を、すべてマケドニアへ持ち帰ります。膨大な数の財宝を運ぶために、10,000頭のロバと5,000頭のラクダを要したといわれています。

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ペルセポリス遺跡群(世界遺産)

かつて世界の中心と呼ばれたペルシア帝国の都ペルセポリスは、現イランで最大の遺跡です。実務的な行政都市だったスサに対し、儀式や祝祭を行う神聖な役割をもったペルセポリスは、とにかく煌びやかでそこに存在する全てが豪壮絢爛だったといわれています。ペルシア帝国アケメネス朝の栄華を結集したペルセポリスは世界遺産にも登録され、その規模や発掘された文化財からレバノンのバールベック、ヨルダンのペトラとともに中東の三大遺跡と呼ばれています。

それでは、世界中の遺跡を訪ねる筆者も震えた古代都市遺跡、ペルセポリスをご紹介します。

クセルクセス門(万国の門)

ペルセポリスの正門となるクセルクセス門は、ダレイオス1世の息子クセルクセス1世が建造しました。正式には「万国の門」と称されています。人々を出迎える正面には人面無翼獣身像があります。愚像崇拝を忌むイスラム教徒によって、後年に顔全体を破壊されてしまっています。

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しかし、正門を潜り抜けていくと、

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反対側にあるペルセポリス側へ向いた人面有翼獣身像は、顔こそ少々潰されているものの当時の姿を保っています。人の顔に動物の体、そして翼のあるこの像は、宮殿全体と俗界の境界神として、ペルセポリスの聖域を守護する役割があったとされています。

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また、正面の像が「無翼」なのに対し、宮殿側の像が「有翼」なのは、俗と聖域の境地を意味しているといわれています。日本でいう神社の鳥居と同じですね。

儀杖兵の通路と双頭鷲の像

クセルクセス門を背にすると、まっすぐに延びた儀杖兵の通路があります。儀礼や警護のために武器や武具を身に着け、高位の者の警護に当たる将兵の通る道です。

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その先には、鷲の頭とライオンの下半身をもつ双頭の鷲。のちのローマ帝国やヨーロッパの貴族などに好んで使われ、現在でもアルバニアの国旗に使用されるなど主にヨーロッパで好まれていますが、元はバビロニアなど初期メソポタニアが発祥です。

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百柱の間

双頭の鷲を背に進むと「百中の間」が現れます。クセルクセス1世が着工し、アルタクセルクセス1世が完成させた、かつて100本の柱が支えたペルセポリス最大の広間です。

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今となっては見る影もありませんが、デザインの美しい柱礎だけは等間隔に並んでいます。百柱の間には、帝国の繁栄と富を象徴する展示物が所狭しと並んでいたそう。自国軍隊と接見するなど、大人数を収容する際に使用されたようです。

中央宮殿

百中の間をさらに進むと中央宮殿があります。

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中央宮殿は「会議の間」とも呼ばれ、ペルシア人やメディア人が集って会議をする場でした。彼らが中央宮殿へ向かう様子のレリーフは、ペルセポリス内の壁にあちこち彫られており、ほとんどの人が酒杯を持っています。これらは実際、彼らがお酒を飲みながら会議をしていたことを表現しています。

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片手に酒杯、もう一方は前後の人と手を繋ぐなど、どことなく楽しそうに見えます。きっと壮大なテーマを、若干酔いながら自由闊達に話し合っていたのではないでしょうか。

現在のイランでは、宗教上の理由からアルコールを飲むことは固く禁じられていますが、当時のペルシア帝国では、事あるごとに酒席が設けられており、世界のTOPに立つ余裕なのでしょうか。若干、浮かれている様子も垣間見えます。

そのほかの習慣的な部分(例えば同性愛など)でも、当時のペルシア帝国と現イランは真逆の政策を課している点が多く、ペルシア帝国時代の浮世離れを、アレクサンドロスに簡単に突かれて滅びた当時を戒めているようにさえ感じられます。

タチャラ

タチャラは、「冬の宮殿」という意味のダレイオス1世プライベート用宮殿です。

  • 写真:toshel

ペルセポリスの他の建築物に比べ、それほど破壊されずに満遍なく遺っており、当時の様子を想起しやすくなっています。

  • 写真:toshel

こちらは、牡牛に噛みつくライオン像です。このレリーフはペルセポリス内のあちこちで見られます。「順調な季節の移り変わりを示している」という説と、「強大な権力を誇示した」という2つの説があります。

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季節の移り変わりに関しては日本でも同じですが、北半球では冬に牡牛座、春には獅子座が天上に輝きます。星座の起源は、少なくとも紀元前10世紀までさかのぼり、現在のイラク周辺メソポタミア地方で既に方角や季節を知る目印として確立されていましたので、春から夏への移り変わりをデザインしたものかも知れません。

しかしその説ですと、なぜ四季のはっきりしたイランで、夏や秋の星座の動物が彫られなかったのか疑問の残るところです。

筆者個人的には、やはり猛牛をも狩る勇敢なライオンを描いて、ペルシア帝国の強大な権力を他国へ誇示したかったのではないかと思います。

ペルセポリス最大のみどころ:アパダーナと東階段

ダレイオス1世によって建てられた、面積1,000㎡、高さ24メートルの支柱72本が聳える巨大な建築物です。ペルシア帝国歴代の皇帝が支配国の朝貢使を迎えて謁見し、外交関係と経済秩序を築いてきた宮殿です。

  • 写真:toshel

アパダーナ片隅にある東階段は、ペルセポリスの最大の見どころです。今からおよそ2500年前の各国朝貢使がどのような特徴をもち、どのようなファッション(衣装や装飾)を身に着け、どのような地産の貢物を献上したのか、各国ごと緻密に観察され彫られたレリーフが遺っているのです。

  • 写真:toshel

どのような人でも自分のレリーフを残すとなると誇張してしまいがちですが、他国の朝貢使を捉えたこれらのレリーフに忖度はなく、客観的に彼らの特長を捉えているため、古代人を知る上で非常に希少で、また他国の遺跡には見られない貴重なものです。オリエントを統一した強大な朝廷のもとに各国から集まる人々があったからこそのレリーフともいえますね。

  • 写真:toshel

尚、各国のレリーフはレバノン杉で区切られており、その先頭にいる者はペルシア人、もしくは近隣の大国メディア人の案内係です。ペルシア人は四角いストレートキャップ、メディア人は丸い帽子を被っています。案内係とその次に描かれている各国の朝貢使は手を繋いでいます。これは、朝貢使を迎える朝廷が賛辞を呈している表われです。

  • 写真:toshel

それでは、ペルシア帝国支配下にあった古代オリエント歴代各国の特長を、筆者私見も交えてご紹介したいと思います。

①ソグディアナ

ソグディアナは、現在のウズベキスタン・サマルカンド辺りのシルクロードにおける東西要衝となった古代都市。ペルセポリスからは最も遠い国の一つです。メディア人に手を引かれたソグディアナ人は、頭に「クーフィーヤ」を巻いています。よく見ると額部分が二重になっていますので、ターバンを巻いた上に着けているのでしょう。

  • 写真:toshelソグディアナ

クーフィーヤは、現代でもアラビア半島を中心に使われている正方形の布です。

  • 写真:toshel
  • 写真:toshel

筆者は、中東を旅した際に度々クーフィーヤを購入し、スカーフにしたりテーブルクロスにしたり、何かと使い勝手が良く重宝しています。

古代から変わらず主に、頭に巻く頭巾として使用され、中東を中心に国や地域によっても色や巻き方は様々です。因みに日本製のクーフィーヤは質が良く、現地でもよく売れているようです。

パレスティナの故アラファト議長の巻き方は、地位の高い人のみ許された巻き方です。

  • 出典:commons.wikimedia.orgCopyright World Economic Forum (www.weforum.org) swiss-image.ch/Photo by Remy Steinegger, CC BY-SA 2.0

このあとも度々クーフィーヤを巻いた古代オリエント人は登場しますが、少しずつ巻き方の違うところも興味深いです。

先程ご紹介したレリーフからソグディアナ人の服装は、膝丈のチュニックは紐ベルトで腰を締め、ゆったりしたズボンを履いており、遠方から砂漠や平原を超え、馬に乗って来たであろうことが伺えます。ソグディアナ人は眉毛が極端に吊り上がり、少し険しい顔をしているように見えます。全使者のチュニックの裾下から、短剣の先が見えており、全体的に武装スタイルで疑い深さや警戒心が垣間見えるように思います。

献上品はアキナケス(剣)や弓、斧などの戦闘道具と、楕円形の装飾リングです。最後尾には、たてがみの立派な馬がいます。

  • 写真:toshelソグディアナ

②バクトリア

バクトリアは、ソグディアナの南方に位置し、現在のアフガニスタンやタジキスタン辺りを中心としたシルクロードのオアシス都市でした。使者は、現代のサッカー選手が使用しているような細いタイプのヘッドバンドを着用しています。髪と長いひげはストレートで、よく見ると耳にフープイヤリングを着けています。フープには長楕円形の何かがぶら下がっていますよ。服は騎兵スタイルで、ゆったりしたズボンをブーツに入れています。全体的に穏やかな印象で、ちょっとカッコイイ系です。

  • 写真:toshelバクトリア

献上品は、深型と平型のカップ。この中に入っているものが献上品なのか、これ自体が献上品なのか不明ですが、デザインが凝っていて素敵ですので、カップ自体が美しい代物だったのでしょう。

  • 写真:toshelバクトリア

バクトリアは、シルクロードのオアシス都市らしくラクダが有名です。このフタコブラクダは「バクトリアラクダ」といい、こちらも堂々の献上品です。

  • 写真:toshelバクトリア

③アーリヤ

アーリヤ人は、中央アジアのステップ地帯を出自とする民族で、現代においても超美形が多いとされています。使者の皆様も大きな目が強調されて描かれていますね。カラクム砂漠の乾燥と砂嵐から身を守るため、被っている「タゲルマスト」は綿素材のターバンで、長さは10メートルほどになります。こちらも現代においても着用されていますよね。

タゲルマストを口まで覆ったアーリヤ人は騎馬服を着用し、ゆったりとしたズボンを膝上まであるロングブーツに入れています。ペルセポリスまでの道中、砂嵐などから全身をプロテクトする必要があったのでしょう。砂塵・砂埃対策はバッチリですね。

  • 写真:toshelアーリア

アーリヤ人の献上品は、ボウルに入った何かとフタコブラクダ(バクトリアラクダ)です。

  • 写真:toshelアーリア

④パルティア

現イラン北東に位置したパルティアは、ペルシアのアケメネス朝が滅びた後に起こったアルサケス朝の王国です。アケメネス朝時代は周辺一帯にヘレニズム文化が広く伝わりましたが、王朝がパルティアに移ると、芸術や衣服などにイランの伝統文化を復権させる動きが見られたといわれています。

使者は、アーリヤ人と同じく頭部にタゲルマストを巻き、耳から口元まで覆っています。アーリヤ人との違いは、巻いたタゲルマストの頭頂部が丸いことです。巻き方に違いがあったのでしょうか。よく観察していますね。パルティア人も騎馬服を着てズボンを膝下までのブーツへ入れています。

  • 写真:toshelパルティア

使節団としては少ない3人の朝貢使の貢物は、両手に持った2つの盃とラクダです。(え?これだけ?)

⑤ガンダーラ

ガンダーラ人は、膝丈のチュニックの上に、脇下からスリットが入った踝(くるぶし)まであるロングケープを羽織っています。髪型と髭の様子から直毛ではなく、天然パーマかウェーブヘアをヘッドバンドで留めています。毛量が多そうです。髭も相当、濃そうです。

足元はトング・サンダルを履いており、ふくらはぎの筋肉が強調されています。走るのが早そうで長距離走にも向いてそうです。どことなくオシャレに感じるのは筆者だけでしょうか。さすがヘレニズム美術が発展しただけあります。

  • 写真:toshelガンダーラ

献上物は、先頭を歩くこぶのあるバッファローと、5つの長いランス(槍)、1つのシールド(盾)です。強そう。

  • 写真:toshelガンダーラ

ヘレニズム文化の発展したガンダーラでは、美しい仏像や仏塔などが世界に広く知られていますが、当のガンダーラ人に関する情報はほとんどありません。この彫刻は、ガンダーラ人の特長を知る上でも貴重なレリーフです。

⑥アラコシア

アラコシアは、現在のアフガニスタン南部からパキスタンにかけて存在した国です。服装は現アフガニスタンの男性民族衣装である「ペラン・トゥンバン」とあまり変わらないように見えます。頭部にはクーフィーヤを巻き、後ろで結んでいる様子が彫られています。耳にはイヤリングをしているようです。

  • 写真:toshelアラコシア

使者が両手に持つボウルには何が入っているのか不明ですが、アラコシアは路地物のメロンやザクロなどがよく採れたので、フルーツなどが献上されたかも知れませんね。ラクダも献上されています。

⑦インディア

ペルシア人に手を引かれた先頭のインディアンは、現代においてもインドの正装であるドレープがかった「ドーティ」を着ています。しかし、そのあとに続く人の上半身は裸のようですね。膝丈の巻きスカートのようなものを腰部分で留めています。

カースト制度は、少なくとも紀元前1000年ごろには確立されていましたので、その身分の違いをレリーフで表したのでしょうか。皆、頭に布の鉢巻きのようなものをして後ろで結んでいます。

  • 写真:toshelインド

上半身に服を着ていない人は肩に天秤棒をかけており、前後の籠には高さのあるボトルが入っています。インダス渓谷で豊富に獲れた砂金が入っていたとされる説が有力ですが、筆者は古代インドで儀礼に使用されていたスラー酒やソーマ酒が入っていたのではないかと思っています。とにかくペルシア人はお酒が好きですから。

  • 写真:toshelインディア

その後ろにはロバと、斧を持った使者が続きます。

⑧スキタイ

スキタイは、黒海北岸からコーカサス地方にかけて存在した、イラン系遊牧騎馬民族の国です。騎馬に必要となる手綱、クツワなどを製作する技術に長けたほか、高度な金属文化をもっており、遺物には純金で作られたものが驚くほど多いそうです。しかし、遊牧民であるが故、定住でないと得られない衣食に不自由し、近隣諸国でしばしば武力による略奪を繰り返したのだとか。

こちらのレリーフでは、全員が腰に巻いた紐に剣差しを着けて短剣をぶら下げ、全体的に武装スタイルであることが分かります。頭部に着けている魔法使いのように先の尖った特徴のある帽子は、当時のスキタイ戦士が日常的に被っていたものです。因みに戦士は男性とは限らず、13歳以下の女子も多くいたようですよ。

  • 写真:toshel

献上品は、たてがみがふさふさの馬を先頭に、純金だったであろうと思われる二つのリング。そのあとに続く使者は織物を持っているようですが、こちらは略奪品ではないでしょうか(これは筆者の勝手な想像です)。

  • 写真:toshelスキタイ

3人の持っている織物のボリュームがそれぞれ違います。二番目の人の布は腕袖のようなものが分かりますので、上着となるジャケット。最後部の人の持つ布は二股に分かれており、ズボンなのではないかと思われます。そうなると一番目の人は一番ボリュームがあるのでコートかオーバーなど、寒さをしのぐための服でしょう。

⑨アルメニア

アルメニアは紀元前860年ごろに成立し、現エレバンを首都として領土を拡大していった王国です。ペルシア帝国の支配下にあっても半独立を保ち、その後パルティアやローマなどの侵攻を受けながらも独立と従属を繰り返し、長きに渡り存続し今に至ります。

アルメニア人は、耳当て部分を後ろで結んだ、つばのない帽子を被っています。髪はウェイビーですが、髭はストレートですね。

  • 写真:toshelアルメニア

献上品は、たてがみのストレートな馬、そして取手にグリフィンの模られた注ぎ口のある大きなアンフォラを持っています。グリフィンとは上半身が鷲、下半身がライオンの想像上の伝説生物です。アンフォラは、ワインをはじめ様々な液体を運ぶのに適した素焼きの陶器で、古代から一般的に用いられてきました。

アルメニアなどコーカサス地方はワイン発祥の地ともいわれ、現代において7000年前のワインも発見されていますので、こちらのアンフォラも古代から飲まれていたアルメニアワインが入っていたと思われます。

前述通り、現代のイランでは宗教の厳しい戒律により決してアルコールを飲むことはできませんが、ペルシア帝国時代は支配下各国から産地特有のお酒が豊富に届けられ、さぞかし会議や宴会が盛り上がったことでしょう。

⑩カッパドキア

カッパドキアは、現在のトルコ中部にある奇岩で有名な地域です。帽子はアルメニアと同じで耳当て部分を後ろに結んでいるよう。アルメニアとは隣国ですので同じような帽子が流行ったのでしょうか。服装は全員が騎手の格好をし、上に羽織ったマントをフィブラ(ブローチ)で留めています。

  • 写真:toshelカッパドキア

献上品の馬は、頭部のたてがみがリボンで結ばれているように見えます。プレゼントの印でしょうか?そのほかにも、スキタイと同様にコート、ジャケット、ズボンを献上しているようです。

  • 写真:toshelカッパドキア

⑪アッシリア

アッシリアは、現在のイラク北部からシリア、レバノンやイスラエルにかけて存在した王国です。歴史は非常に古く、紀元前6000年には集落が存在し、紀元前3000年には現在のエルビルからシリア、レバノンやイスラエルにかけて広く都市が形成されていました。アケメネス朝が起こる少し前の紀元前900年には、イランも含む全オリエント世界を支配下に置いています。

レリーフには、毛糸で編まれたようなボーダー柄の丸い帽子を被り、肘が隠れる五分丈袖と膝下丈のワンピースを着て、幅のある紐のベルトでウェストを閉めています。足元には、編み上げのハーフブーツを履いています。

  • 写真:toshelアッシリア

献上品は、両手に盃を携えた二人。そして、次の人は右手に小さな酒盃、左手にはかなり大きいシンプルなアンフォラを持っています。当時のアッシリアでは相当量のワインが生産されており他国へ輸出されていました。

アッシリアで発掘される壁画や遺跡、遺品にはワインや葡萄にまつわるものが数多く描かれておりますので、こちらのアンフォラにもアッシリアワインが入っていたのではないかと思われます。そして、ほかにもオーバーコート、羊二頭が献上品として朝貢されたようです。

  • 写真:toshelアッシリア

⑫メディア

メディアは、現在のイラン北西部ハマダーン周辺にあった王国です。アパダーナ東階段では正面に向かって一番右の一番上に描かれており、最も重要で近親であったことが表現されています。メディア人はペルシア帝国の側近として仕えており、ペルセポリスに遺るレリーフの中にも、警備や傭兵、使者の案内などで多く描かれています。

メディア人の使者は、現代ではムスリムの女性が着けるバスリク(Baslik)風のクーフィーヤを頭部に巻き、顎までそれを覆っています。後ろの首の付け根あたりに少しだけ見える髪から、ウェイビーであることも表現され、改めて「よく観察しているな」と感心させられます。

  • 写真:toshelメディア

献上品は、先頭のアンフォラ、ボウル、装飾のついたアキナケス(刀剣)です。そのほか、装飾のついたリング、コートやジャケット、ズボンも献上されており、仲良しで近いだけあって盛り沢山な献上品の数々です。朝貢者の数も他国より多く彫られています。

  • 写真:toshelメディア

⑬サガルティア

サガルティアは、現イランのヤズド辺りに存在した砂漠の王国です。先頭の人はラウンド帽、次の人はクーフィーヤを巻いて口元まで隠し、三番目の人はつばのない、耳当て部分を後ろに流した帽子を被っています。

東階段のレリーフの中で、一国の朝貢者の被り物が統一されていないのはサガルティアンのみです。個性豊かで自由主義であることの表れなのでしょうか。若しくは、朝貢者を選抜したのではなく、暇な人を適当に集めただけかも知れません。

  • 写真:toshelサガルティア

使者は服を手にしています。また、写真にはありませんが牡牛も献上しています。

⑭バビロニア

バビロニアは、現在のイラク南部にあった王国です。旧約聖書にも出てくるバビロニアは、紀元前4000年には既に農耕が盛んとなっていたほか、法律、文学、宗教、芸術、天文学などが発達し、ペルシア帝国に敗れるまで古代オリエント文明の中心地でした。使者は、タッセル(房飾り)の着いた円錐形の帽子を被り、くるぶしまであるインナーの上にドレープのかかった半袖のローブを羽織っています。

  • 写真:toshelバビロニア

献上品は、浅いボウルを持つ人と、端が美しくデザインされたブランケットのような織物。こぶのある牛も献上品となったようです。

  • 写真:toshelバビロニア

バビロニアは、ペルシア帝国にその座を奪われこそしましたが非常に裕福で、ペルシア帝国軍の1/3の費用を賄っていたそうです。

⑮エラム

エラムは、イラン高原の山脈沿い西にある地域で、アケメネス朝時代には行政の首都となるスサを中心に住んだ人々です。歴史は古く、紀元前2000年にはエラム文字と呼ばれる楔形文字を使って記録を残しています。しかし、現代に至ってもすべての解読には至っておらず、何が書かれているのか未だに謎の部分も多くあるようです。

  • 写真:toshel

エラム人は、頭部にダイアデム(冠の一種)と呼ばれる装飾されたヘッドバンドを着けています。そして、現代では主に女性の着るカフタンドレスを身に着け、その上に腕裾部分がかなり広いマントを羽織っています。編み上げのハーフブーツも特徴的ですね。献上品は、弓と装飾の着いた短剣。短剣の持ち方が痛そうです。

  • 写真:toshelエラム

そして、自ら進む大きなライオンと、子ライオンを胸の前で抱っこする使者の姿があります。子ライオンの目が可愛いですね。親ライオンは、子ライオンを心配しているのか、振り向いて様子を確認しているように見えます。

ライオンは、いつの世界でも権力の象徴でした。現代ではアフリカが主な生息地ですが、ペルシア帝国時代(紀元前)には、インドからギリシャまで広く分布していました。二つの弓と短剣も献上されています。

  • 写真:toshelエラム

⑯アラビア

アラビアの献上品は、現代のアラブでもお馴染みのヒトコブラクダです。写真ではちょうど切れしまっていますが、タッセルの着いたドロメダリー(水を運ぶ袋)も献上されています。アラブらしいですね。連れて歩く使者は、片方の肩を出したドレープを身にまとっています。当時からとても暑かった様子が伺えます。暑い地域からの使者はほとんど帽子やクーフィーヤをしていませんが、これはペルシア人にとっては非常に珍しいファッションだったそうです。

  • 写真:toshelサウジ

⑰トラキア

トラキアは現在のブルガリア周辺にあった地域です。当時、現地で広く浸透していたとされるフエルトで作られたトラキア帽をかぶり、長袖のインナーの上に片袖のないチトン(ドレープがかった民族服)に身を包んでいます。

  • 写真:toshelトラキア

トラキアからの献上品は、二組のランスとラウンドシールド(円形の盾)です。

⑱イオニア

イオニアは、現在のトルコ南西部イズミル近くにあった地域です。レリーフは、イスラムワッチのようなものを被り、胴体部分は縦縞、腕の部分は横縞のインナーの上に片方の肩を出すローブを羽織っています。このあたりの上流階級はシルクを好んだことから、ロングの内服と外服に分かれたこのドレープある光沢の服には、シルク素材が使われていたのではないかと想像します。他国のレリーフと違い何故か耳が強調されています。耳に特長があったのでしょうか。

  • 写真:toshelイオニア

献上品は、浅型のリブ付きカップと、丁寧に畳まれたシルクと思われる織物生地。その後ろの二人が持っている横波型の丸いものは、毛糸玉かシルク玉なのではないかと思われます。

⑲リディア

リディアは、現在のトルコの西半分を支配していた大国です。被っているとんがりコーンのような円錐形の帽子が特徴的です。帽子から耳の後ろに垂れている紐を見ると、日本の烏帽子にも見えます。リディア人も耳が強調されています。当時のトルコ人は耳が大きかったのでしょうか?このレリーフを作成したペルシア人には印象的だったのかもしれないですね。

デザイナー「ISSEY MIYAKE」のファッションブランド「PLEATS PLEASE」のような、とにかく細かいプリーツの肘丈ロングインナーを着け、その上に片方の肩出しローブを羽織っています。足元には、つま先の尖ったハーフブーツを履いています。日本のビジネスマンもこのように尖った革靴を履いている人がいますよね。

  • 写真:toshelリディア

献上品を携える一番目の使者は、グリフィンのついた小ぶりのアンフォラを両手に持っています。トルコワインが入っているのでしょうか?縦縞のデザインが素敵です。二番目の使者は平型の盃、三番目の使者はグリフィンの模られた金属リングを持っています。その後ろには馬二頭と戦車が続きます。

  • 写真:toshelリディア

⑳カリア

カリアは、現在のトルコ南西部にあった地域です。カリア人は、長袖膝丈のインナーの上に片方の肩出しローブをはおり、長ズボンを履いています。

  • 写真:toshelカリアン

特徴のある立派な角を持った牡牛を献上しています。表情が他の動物より荒々しく勇ましく描かれており、農耕目的ではなくライオンとの闘牛鑑賞などの目的として使われたのではないでしょうか。

㉑リビア

リビアは、現在の北アフリカにあるリビアと同じ場所にありました。リビア人は髪型に特徴があります。前髪がピョンと前に跳ねているうえ、頭部はストレートで毛先は巻き髪の、イマドキでいう「ゆるふわ」な感じです。羽織っている足元まである長いローブには、端のすべてに鋭角な襞(ひだ)がついており高級感を漂わせています。また、手には肘まであるグローブを着けているようです。

  • 写真:toshelリビア

そして、スパイラルした角が軽くウェーブしているクーズー(カモシカ)を献上品としたようです。この見事な角を持つ動物は、現代でもアフリカ大陸の北東部にしか生息しておらず、ユーラシア大陸では目にすることがなかったはずですので、これを見たペルシア帝国の歴代王は喜んだのではないでしょうか。また、馬二頭と車輪のついた荷馬車も献上されているようです。

  • 写真:toshelリビア

㉒アレクサンドリア(エジプト)

エジプトは各国のレリーフの中でも損傷が激しく、上部半分が剥がれ落ちてしまっており、残念ながらお顔や手に持った献上物を確認することができません。場所はスキタイの上側です。

  • 写真:toshelエジプト

下半分だけ見ると、足のくるぶしまでくるロングの召し物を着けられていたようです。最後尾にいる動物の足は、前後足の長さから筆者はライオンではないかと思いますが、皆様はいかがでしょうか。一大文明を築いた大国ですので、きっと素晴らしい献上品を納めたのではないかと思われますが、エジプト人の表情や服装、朝貢品はどのような物だったかを知ることができないのは残念です。

㉓エチオピア

エチオピアンは、見た目の特長がうまく表現されています。髪型は強いくせ毛の短髪で、髭は生やしていません。片側の肩を出した腰丈のマントを羽織り、インナーにはくるぶし丈のロング巻きスカートを着けています。足の指が描かれており、サンダルを履いている様子が伺えます。先頭で案内するメディア人と比べ、極端に背が低いことも特徴の一つと言えるでしょう。

  • 写真:toshelヌビアン(エチオピン)

献上品である盃は他の国のものと違って蓋があり、使者は右手でそれを押さえています。何か零れてしまうようなものが入っていたのでしょうか。そして次の使者は、長い象牙を片方の手で肩に担ぎ、もう一方の手でオカピを引いています。いかにもアフリカらしいです。

各国朝貢使のご紹介は以上です。少し長くなりましたが、いかがでしたでしょうか。

ペルセポリスは、世界中に数多くある遺跡のなかでは珍しく、他の古代国の人々を如実に写したレリーフを見ることのできる世界で唯一の遺跡です。また、知ろうとすればするほどに紀元前世界の想像力は広がり、「遺跡は語る」を感じられる素晴らしい古代帝国遺跡です。

  • 写真:toshel弓矢を持って謁見の間へ向かうペルシア人

最後まで書いてみて、改めての筆者の発見は、ほとんどの古代国の名称母音が「a」で終わっていること。さらに、古来の男性の装いは、現代では主に女性の身に着ける服装や装飾であることです。

そして、これら各国朝貢使の特長を的確に捉え、彫って遺したかった古代人の強い好奇心と、現代を生きる自分とに重なる部分があり、2500年もの時は違えど人間的な感情の共通点に親近感を覚えました。

尚、各国のレリーフは『地球の歩き方』に掲載されているものと若干の違いがあります。

  • 写真:toshel槍を手にどこかへ向かうメディア人

ペルセポリスの入場料は200,000イラン・リヤル≒500円です。

ペルセポリスへの行き方

日本からイランへ

ペルセポリスは、イラン南部の大都市シーラーズから60Kmほど離れた場所にあります。日本からイランまで飛行機の直行便はありませんが、周辺各国からシーラーズ国際空港へのダイレクトフライトがありますので、日本からの直行がある中東主要国やトルコのイスタンブールを経由しシーラーズにて入国することができます。

イランからシーラーズ、そしてペルセポリスへ

個人で行く場合、シーラーズ市内からミニバスで「Marvdasht」へ行き(日本円でおよそ30円)、そこで常時待機しているタクシーに乗り換えます。ペルセポリスの入り口まで200~300円を目安に交渉すると良いでしょう。シーラーズからペルセポリスへダイレクトに行く場合は、タクシー往復上限およそ5,000円で交渉すると良いです。シーラーズ市内からペルセポリスまで1時間ほどです。

  • 写真:toshelバス
ペルセポリス
イラン / 遺跡・史跡
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この記事を書いたトラベルライター

地球旅~現在191ヵ国~
行ったことのない国を中心にひとり旅しています。他国の歴史、文化、宗教、遺跡、そしてそこに住む人々の考え方に興味があります。

車の運転が好きなので、海外ではドライブ旅を楽しんでます。普段は会社員です。

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