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11番 金剛山 藤井寺 (こんごうざん ふじいでら)
創建以来二度の火災に遭いながらも難を逃れている本尊の薬師如来は、「厄除け薬師」と信仰を集めています。大師が修行の後、藤を植えたことかが寺の名前のゆかりで、今もその藤の花は春に咲き誇ります。
12番 摩廬山 焼山寺 (まろざん しょうさんじ)
弘法大師が訪れた際、大蛇が火を吐き行く手を阻んだため、大師が法力で蛇を封印したという伝説から、この名前が付いたと言われています。焼山寺山中の標高700メートルに位置し、歩き遍路では約13キロの山道を5~6時間近くかけて登る必要があり、「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」と言われる阿波三難所の一つです。
13番 大栗山 大日寺 (おおぐりざん だいにちじ)
元々は、道向かいにある一ノ宮神社の別当でしたが、明治時代の神仏分離令により、神社にあった十一面観音像が大日寺に移り、本尊となりました。
14番 盛寿山 常楽寺 (せいじゅさん じょうらくじ)
八十八箇所で唯一、釈迦入滅後56億7000万年後にこの世に現れ、人々を救うと言われている弥勒菩薩を本尊としています。「流水岩の庭」と言われる岩の上に本堂や大師堂が建っています。
15番 薬王山 国分寺 (やくおうざん こくぶんじ)
聖武天皇の勅願で、全国に置かれた国分寺・国分尼寺のうちの一つ。創建当時は、広大な寺領を持ち、隆盛を極めましたが、戦国時代に焼失してしまいました。
16番 光耀山 観音寺 (こうようざん かんのんじ)
小さな集落の中にある札所。境内には、子供の夜泣きを止めてくれるという「夜泣き地蔵」が祀られ、御利益を求める方たちによって、多くのよだれかけが奉納されています。
17番 瑠璃山 井戸寺 (るりざん いどじ)
本尊は、聖徳太子作の薬師如来像。大師が一夜にして掘ったという伝説の「面影の井戸」があり、のぞき込んで自分が映れば無病息災、映らなければ3年以内に不幸が訪れると言われています。
18番 母養山 恩山寺 (ぼようざん おんざんじ)
かつては女人禁制でしたが、修行中の大師に会いに来た母のため、解禁を成就させ迎え入れました。大師の母、玉依御前はここで出家し、その際に剃髪した髪がお堂に祀られています。
19番 橋池山 立江寺 (きょうちざん たつえじ)
行基が光明皇后の安産を祈願したのがはじまりの寺。四国霊場にある4つの関所寺の一つで、悪行をした遍路は改心しないと山門から進めず、天罰がくだると言われています。
20番 霊鷲山 鶴山寺 (りょうじゅざん かくりんじ)
標高475メートルの山を登った先にある難所の一つの寺。弘法大師が修行中に訪れると、二羽の鶴が金の地蔵を運んできたと言われています。
21番 舎心山 太龍寺 (しゃしんざん たいりゅうじ)
弘法大師が100日間の修行をした寺で、「西の高野山」とも呼ばれています。先ほどの鶴山寺と同様、難所の一つで歩き遍路にとっては、かなりハードな道のり。ふもとからロープウェイもあるので、こちらを使うと楽に参拝できます。
22番 白水山 平等寺 (はくすいざん びょうどうじ)
弘法大師が修行していると、薬師如来が現れたため、供養しようと加持水を求めて井戸を掘ったところ、白い霊水が湧き出しました。大師はその水で100日間身を清めたのち、薬師如来を彫り本尊としたと伝えられています。その水は今も境内に湧き、万病に効くという「弘法の霊水」として知られています。
23番 医王山 薬王寺 (いおうざん やくおうじ)
徳島最後の霊場。厄除けの御利益があるとして有名で、境内には、男厄坂42段、女厄坂33段、還暦厄坂61段の3つの厄坂があり、厄払いのために、一段ごとに賽銭を置いて上っていくのが慣習となっています。
おわりに
徳島1番から23番までの総行程は、徒歩での遍路道の場合、約160キロ。昔は全行程を徒歩で巡っていましたが、 今は徒歩以外にも車やバイク、自転車等で巡られる方も多くいらっしゃいます。徒歩の遍路道には、けもの道、時には険しい山道もあります。ご自身に合った方法で、無理なく結願(修行の完了) を目指しましょう!