軍艦島の通称で知られる長崎県・端島。幅160メートル、長さ480メートルほどの小さな島で、1890年に三菱社が石炭の発掘を開始したことから急成長を遂げます。上質な石炭が取れる軍艦島は日本の近代化を支え続け、出炭量が増えるにともない人口も増加していきます。1960年には約5,000人が暮らし、人口密度は当時では何と世界一でした。ですが主要燃料が石炭から石油に移り変わるにつれ衰退し、1974年に閉山、無人島化しました。今回は、2015年に世界遺産に登録されさらに注目が集まる軍艦島の見所を紹介します。
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まさに軍艦のような外観の軍艦島
海上から見た時の軍艦島の姿は非常に特徴的です。写真を見て頂くと分かるように、まさに軍艦のようなシルエットをしています。
軍艦島という通称も、当時作られていた軍艦「土佐」と似ていることからつけられたといわれています。
もう参拝できない。島を守り続けた端島神社
まずは、上陸する前に遠くから見学することができるスポットを紹介します。
軍艦島上陸前、島の1番高いところに小さな建物が建っているのが見えるはずです。これは、端島神社という島内唯一の神社の神殿です。かつては金毘羅様が祀られ、宗派問わず法事を行ってきました。ですが島内では見学通路が定められているため、残念ながら一般の観光客はもう参拝することはできません。
多くの子どもが学んできた端島小中学校
見学通路からも特に目立つ巨大なこの建物は、端島小中学校です。現在の校舎は1958年に建てられました。内部には今でも机や文字の書かれた黒板、様々な備品が残されています。
ですが、基礎部分が折れるなど深刻なダメージを受けており、今後の存続が危ぶまれる建物です。
1916年に建築。日本最古の鉄筋コンクリート造りの30号棟
最盛期には世界一の人口密度を誇っていた軍艦島。狭い敷地に多くのアパートが建っており、この30号棟(写真中央の黒い廃墟)もその1つです。1916年に建てられ、2016年には築100年を迎える日本で最も古い鉄筋コンクリートのビルの1つです。
中央に採光のために中庭を持っており、コミュニケーションスペースとして活用されていました。
ちなみにすぐ左の折れ曲がった建物は31号棟で、30号棟と31号棟の間からのぞいているのは25号棟です。
多くの石炭を運んできたベルトコンベア
発掘、精製された石炭は貯炭場にたくわえられます。貯炭場まで石炭を運ぶ際にはベルトコンベアが使われており、今でも支柱だけが残っています。
残された数少ない鉱山施設、第二竪坑坑口桟橋跡
ほとんどが瓦礫の山と化した鉱山施設。かろうじて残っている数少ない遺構が、深さ600メートルを超える第二竪坑に行くための桟橋の階段部分です。作業を終えた多くの人がこの階段を通ったため、階段の中央が黒ずんでいます。
鉱山の中枢だった総合事務所
灰色の瓦礫や廃墟の中でひときわ目立つ赤いレンガの壁。これは総合事務所の跡です。鉱山の中枢をになう重要な場所であり、炭鉱の作業員の共同浴場もありました。
軍艦島を訪れるにあたって
大人気の軍艦島ですが、訪れる際に知っておくべき注意点がいくつかありますので以下にまとめます。
- 軍艦島に行くにはツアーへの参加が必要です(地元の漁船と交渉し独自に渡る人もいますがお勧めはできません)。
- どのツアー会社も似たようなプラン、価格ですが、飛び入り参加はできず、事前にネットで予約が必要となります。予算としては大人1人あたり3,600円~4,200円程度(別途軍艦島の施設使用料300円がかかります)、所要時間は2時間30分~3時間20分ほどです(いずれも軍艦島の上陸時間は約1時間)。
- ツアー会社によって年齢の下限は異なりますが、小さい子どもは参加できないので気をつけましょう。
- 波が高い時には出航中止、あるいは上陸中止となることがあります。事前に天気予報や波の高さを確認する他、上陸できなかった時の代替プランがどのような内容かもチェックしておくと良いでしょう。
- ツアーに参加する際は「立ち入り禁止区域には立ち入りません」という内容の誓約書を提出する必要があります。誓約書の内容の通り、島では見学用通路から出ることはできない点も注意です。
上陸できるかは天候しだいであり運がからんでしまいますが、日本の近代化を支えてきた歴史的な遺産は、一生に一度は見る価値があるものです。ぜひあなたの目で確かめに行ってみてくださいね。
関連リンク
- 端島
- 長崎 / 観光名所 / 絶景 / 島・離島 / インスタ映え / 世界遺産
- 住所:長崎県長崎市端島地図で見る
- Web:https://www.nagasaki-tabinet.com/guide/51797