韓国・ソウルにある五大古宮をご存知ですか?古宮は、約500年続いた朝鮮王朝時代の生活を見ることができる歴史的な建物です。今回は、そんな五大古宮で唯一の世界遺産に登録された「昌徳宮」について、その歴史や現存する建物など詳しく解説します。
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朝鮮王朝の世界へ!五大古宮とは?
韓国・ソウル市内には「五大古宮」と呼ばれる宮殿が5つあります。「古宮」とは、約500年続いた朝鮮王朝(1392年〜1910年)時代に王や王族たちが暮らしたり、政治を行ったりした場所のことです。
その5つは以下です。
- 景福宮/경복궁(キョンボックン)
- 昌慶宮/창경궁(チャンギョングン)
- 徳寿宮/덕수궁(トクスグン)
- 慶煕宮/경희궁(キョンヒグン)
- 昌徳宮/창덕궁(チャンドックン)
今回の記事で紹介するのは、最後の「昌徳宮」です。それでは「昌徳宮」の魅力に迫っていきましょう!
「昌徳宮」はこんなところ!
【その①】自然と調和した美しい古宮
朝鮮王朝の古宮の中でも、最も美しいと称されるのがこの「昌徳宮」です。効率よく政務を行うために建てられた「景福宮」に対して「昌徳宮」は自然の地形に沿って建てられています。
保存状態の良さ、当時の趣を色濃く残した姿、自然と建築とのバランスの良い配置といった観点から、上記で紹介したソウル市内にある5つの古宮の中で唯一、1997年ユネスコ世界文化遺産に登録されました。
特別観覧でのみ見学できる「後苑(フウォン)」は韓国伝統庭園の真髄とも言われており、日本でもNHKで放送され、人気となった歴史ドラマ『宮廷女官チャングムの誓い』の撮影がここでも行われています。
【その②】日本とも関わりの深い古宮
ここから触れる話題は、日韓の歴史です。日韓の歴史問題となるとシビアな面も多いですが、ここでは、どちらが正しい・悪いということではなく、純粋に日本と韓国の関わりを少しでも知ってもらえればという気持ちを込めて、紹介させていただきます。
1.文禄・慶長の役/壬辰倭乱(1592年〜1598年)により焼失
歴史には詳しくないという人でも、日本の歴史上の人物としては、誰もが知っているであろう豊臣秀吉。
天下統一を果たしたことでとても有名な秀吉ですが、彼が晩年に起こした戦いがきっかけとなり、この「昌徳宮」が焼失してしまうことになります。それが「文禄・慶長の役」。韓国では主に「壬辰倭乱(イムジンウェラン)」と呼ばれる所謂、朝鮮半島での戦いです。
天下統一を果たした秀吉が次に目を向けたのが外交。理由は諸説ありますが、朝鮮に服属を求めたものの拒まれたため、遠征軍を朝鮮へと送った16世紀最大の国際戦争です。韓国国内は混乱し、宣祖(ソンジョ:朝鮮王朝第14代国王)が漢城から逃亡すると治安が乱れ、日本軍が入城する前に朝鮮の民衆によって略奪や放火の対象となり焼失してしまったのです。
秀吉や文禄・慶長の役を題材としたドラマ・映画は日本でも沢山ありますので、日本人であれば何かしらは見たことがあると思います。韓国側で、このときに大活躍したのが李舜臣(イ・スンシン)という人物。
日本では聞き慣れない名前だと思いますが、韓国では英雄と言われるほど有名で、彼を題材としたドラマや映画が数多くあります。韓国側ではこの戦いがどのように描かれているのか興味を持った人は韓国の作品を見るのも面白いかと思います。代表的な作品を下記で紹介しておきますね。
2004年〜2005年に韓国のテレビ局「KBS」で放送
『不滅の李舜臣』
2.朝鮮王朝最後の皇太子・李垠の妃となった李方子が暮らした宮殿
朝鮮王朝(大韓帝国)最後の皇太子・李垠に嫁いだ日本の女性を皆さんはご存知ですか?それが梨本宮家の第一王女であった方子。1910年、日韓併合後の内鮮一体(朝鮮を差別化せず日本本土として一体化しようとするスローガン)を目的とした政略結婚でした。
日本の敗戦により、夫妻は居場所をなくし様々な困難に合うものの、1963年になりようやく韓国へ帰国します。そして、昌徳宮内に住むことになったのです。帰国時には既に夫は病に倒れており、その後、死別。
夫が生前に語っていた「福祉事業に貢献したい」という思いを引き継ぎ、韓国国内の障がい児教育へ取り組みました。その取り組みは次第に認められ、後に「韓国のオモニ(母)」と呼ばれるほど慕われました。現代に生きる私たちには到底考えられないほど、激動の時代を強く逞しく生き、最後まで夫を愛し続けた女性なのです。
2006年11月24日フジテレビ系列で放送
スペシャルドラマ『虹をかける王妃〜朝鮮王朝最後の皇太子と方子妃の物語〜』
【その③】約270年もの間「正宮」として使用された古宮
1405年の太宗(テジョン:朝鮮王朝第3代国王)の時代に、景福宮の離宮として創建された「昌徳宮」。先述した秀吉による戦いがきっかけで焼失した後、1615年に再建されました。
しかし「正宮」の景福宮がなかなか再建されなかったため、光海君(クァンヘグン:朝鮮王朝第15代国王)以降、約270年間に渡り「正宮」として使用されることになりました。
朝鮮王朝末期に景福宮が再建されると再び離宮として使用されることになりますが、王が最も長く住んだ宮殿として当時の朝鮮王朝の生活を垣間見ることができます。