
15歳の頃にギリシアのティノス島からオスマン帝国のハレムに連れてこられ、のちにヴァリデ・スルタン(母后)として権力を握るキョセムに関連するイスタンブールのスポットをご紹介します。
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【1】ドラマの舞台 トプカプ宮殿
キョセムが故郷から奴隷の身分として連れてこられたのは、オスマン帝国の政治や文化の中心地、トプカプ宮殿です。トプカプ宮殿の後宮(ハレム)でスルタンやその家族は過ごしていました。
トプカプ宮殿は、1453年にコンスタンティノープルを攻略したメフメト2世により建設が開始されたオスマン帝国の宮殿で、スルタン(オスマン帝国の皇帝)が代わるたびに、増改築されました。現在は博物館として一般公開されています。
【2】アフメト1世のモスク(スルタンアフメト・モスク)
先述の通りキョセムはオスマン帝国に奴隷の身分として連れてこられ、ハレムで過ごすことになりますが、そこで出会ったのがアフメト1世です。オスマン帝国のスルタンは、自らの権力を示すために自分のモスクを帝都に造らせることがありますが、アフメト1世も先代のスルタンに倣い、スルタンアフメト・モスク(ジャーミィ)を造らせました。
スレイマン大帝のモスクを設計したのはトルコ最大の建築家として知られるミマール・スィナンでしたが、スルタンアフメト・モスクの設計を手掛けたのは、スィナンの最後の弟子ともいわれるセデフキャル・メフメト・アーです。内部のイズニック製タイルの青の美しさから、ブルー・モスクという愛称でも親しまれています。
【3】ムラト4世の功績 レヴァン・キョシュクとバーダット・キョシュク
キョセムはアフメト1世との間に複数の子供を授かりました。そのうちムラト4世とイブラヒムが皇帝となったため、キョセムは母后(ヴァリデ・スルタン)としてオスマン宮廷で権力を握ります。
ムラト4世は1635年、アルメニアのエレヴァンを征服することに成功しました。この功績を称えて造られたのが、トプカプ宮殿に数ある建築物の中でも一際美しいレヴァン・キョシュクです。トルコ語でキョシュクは「東屋」を意味します。
またムラト4世は1638年にはサファーヴィー朝からバグダッドを奪回することにも成功し、この戦勝を記念してバーダット・キョシュクが同じくトプカプ宮殿に造られました。

- レヴァン・キョシュク
- イスタンブール / 建造物
- 住所:Revan Kiosk,Topkapı Sarayı地図で見る

- バーダット・キョシュク
- イスタンブール / 建造物
- 住所:Bagdat kosku,Cankurtaran Mh. 34122 Istanbul地図で見る
【4】キョセムの権力を示すビュユク・ヴァリデ・ハン
オスマン帝国では通常、スルタンの母が母后としてハレムを取り仕切り、自分の子(スルタン)が崩御した母后は旧宮殿で隠居生活を送りますが、キョセムはムラト4世とイブラヒムの時代が終わったあとも、孫のメフメト4世の摂政を務めようとし、権力の座から降りようとはしませんでした。
そんなキョセムは自らの権力を示すべく、1651年、イスタンブールに最大規模の隊商宿(トルコ語でhan)を造らせました。この宿は大母后のハン(Büyük Valide Han)と名付けられ、シルクロード交易でイスタンブールを通過する商人たちの身のより処となりました。

- ビュユク・ヴァリデ・ハン
- イスタンブール / 建造物
- 住所:Mercan Büyük Valide Han Mercan Çakmakçılar Ykş. no:31 34116 Fatih/İstanbul地図で見る