鎌倉幕府が制定した鎌倉の代表的な禅寺を「鎌倉五山」といいます。「浄智寺」はその第4位に名を連ねるとっても格式高いお寺です。境内には、趣き溢れる石段、日本では珍しい中国風の鐘楼門、そしてフォトインパクト大の布袋様と見どころが沢山あるんです!特に布袋様はお腹をなでると元気モリモリになれちゃうご利益が。そして人間よりちょっと大きいサイズの布袋様の横に並んで写真を撮ると、まるでボケとツッコミの漫才コンビのような写真がとれますよ。もちろんツッコミは布袋様!さっそく浄智寺をご案内しましょう。
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浄智寺ってどんなところ?
鎌倉でも代表的なお寺「鎌倉五山」のひとつ
かつて鎌倉幕府が制定した、鎌倉の代表的な禅寺を「鎌倉五山」といいます。
もともと鎌倉は、源頼朝に台頭される武士がおさめた鎌倉幕府によって栄えた土地です。その武家社会に受け入れられたのが禅宗でした。
禅とは、心を澄まして自分の中にある真理を知るという教えです。武士の己を磨くストイックな当時の生き方にフィットしたこの教えは、瞬く間に武士の間に広がっていきました。そして幕府によって代表的な禅寺が選定されます。
名が示すとおり5つあり、「第1位 建長寺」「第2位 円覚寺」「第3位 寿福寺」「第4位 浄智寺」「第5位 浄妙寺」と位と共に制定されました。
浄智寺はその第4位に名を連ねる、とっても格式高いお寺なんです!
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どんな理由で建てられたお寺なの?
もともとは、「北条宗政」という人が29歳の若さで亡くなってしまい、その魂を弔うために、その息子である「北条師時」が創建したと言われるお寺です。
と・こ・ろ・が、この創建当時、息子の「北条師時」はわずか8歳!
さすがにその若さでお寺を建てるのは無理なので、実際には宗政の妻が作らせたのでは?と言われています。
浄智寺は、創建当時はと~っても立派なお寺と言われていました。現在でも十分立派なお寺なのですが、当時は沢山のお堂が境内に並び、500人もの人が働いていたと言われています。ちょっとした企業という感じですね。
しかし、鎌倉幕府が滅亡すると、武士に支えられていた禅寺は次第に衰退していきます。さらに火災や大地震により多くの建物を失ってしまいました。
現在の建物は、関東大震災以降に復元されたものなんです。
でも、現在では沢山のお堂が建っていた広い境内には、日本でも珍しい中国風の鐘楼門、清々しいパワーをチャージできちゃう竹林や、フォトインパクト大の布袋様と見どころが沢山あるんです!
それでは、さっそく浄智寺にお邪魔してみましょう。
鎌倉十井のひとつ「甘露ノ井」
浄智寺の境内に入る前、総門の手前には鎌倉の代表的な井戸である「甘露ノ井」があります。
鎌倉では、昔から大事にされてきた井戸のうち、代表的なものを「鎌倉十井」と呼んで大事にしてきました。
この「甘露ノ井」はそのうちの一つに数えられる曰くのあるもの。
しっかりとその存在を示すように、「甘露の井」と掘られた石柱があります。
- 甘露ノ井
- 鎌倉
- 住所:神奈川県鎌倉市山ノ内1402地図で見る
- Web:https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/kamakura-kan...
好きな人にはタマラナイ浄智寺の石段
浄智寺の玄関口は、緩やかに長い石段です。
石段をよく見てみると、ところどころ石材の端がまあるくなっていたり、多くの参拝者が歩いてきたためか、敷き詰められている石材の高さがまばらになっています。
ああ、鎌倉を長い年月見守ってきたんだなあ・・・と感じさせる趣ある雰囲気が素敵ですよね。
濃い緑が浄智寺の入り口を守るかのように、石段の周りを縁取っています。ここ浄智寺の緑は鎌倉のお寺の中でも、なぜだか理由はわからないけれど他に比べて、「濃い」と言われていて、厳かな雰囲気の写真を好まれる方に人気のあるスポットでもあります。
珍しい中国風鐘楼門
そんな濃い緑に守られるようにして、石段を登っていくと、2階建ての門が現れます。
パッと見て普通のお寺の門と、かなり雰囲気が違うと思いませんか?実はこれ、とってもめずらしい中国風のつくりなんです。
中国の影響を受けた建物は、屋根が大きく反り返っているのが特徴。この鐘楼門も屋根の端に進むにつれて上へ反り返っていますよね。
また2階部分には、壁をお花のような縁取りでくりぬいた窓があります。これを「花頭窓」と言います。
鐘楼をくぐると、ビャクシンの木が立っています。こちらは、鎌倉市指定天然記念物です。
曇華殿
仏のメッセージを伝える三世仏
境内に入るとすぐに見えるのは、「曇華殿(どんげでん)」。「どんげでん」とは少し舌を噛みそうな名前ですね。
仏教界では、3,000年にたったの一度だけ咲く花があり、そのお花を「優曇華(うどんげ)」 と言うんです。
3,000年に一度しか咲かないわけですから、私たち人間にとっては、よっぽどタイミングよくないと見れないお花ですよね。つまり、とっても珍しく貴重なものの意味で、このお堂を「曇華殿」と名付けたんです。
曇華殿の内部には、向かって左に「阿弥陀如来」、中央に「釈迦如来」、右には「弥勒如来」が安置されています。この3人が一緒にいるのには意昧があり、阿弥陀如来は「過去」を表し、釈迦如来は「現在」、弥勒如来は「未来」をあらわしているんですよ。3人セットで「三世仏」と言います。
心もち現在を表す「釈迦如来」が大きいですね。仏教は、現在の一瞬を大切に生きる!というお釈迦様の教えが根幹にあります。過去でもなく未来でもなく、現在。ここに何か参拝する者に向けたメッセージを感じます。
この三世仏像は、室町時代に作られたと言われています。
見逃さないで!観音様
三世仏を見て、曇華殿を見た気になってはいけません!「え、ここに!?」という意外なところに観音様が隠れていらっしゃるのです。
曇華殿の建物をぐるりとまわり、裏側に行ってみましょう。
裏側には、人ひとり通れるくらいの幅に、格子がはめ込まれた窓があります。この奥に観音様がいらっしゃるんです。
知らないと、通り過ぎてしまいそうなくらい、ひっそりといらっしゃいます。