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植村邸
1927年(昭和2)に現在の中央区新富二丁目に建てられました。関東大震災後に多く建てられた看板建築の特徴をよくあらわす、全体を銅板で覆われた建物で、全体は洋風ですが2階は和風になっており和洋折衷のデザインとなっています。1階部分の銅板に多数の傷が残っているが、これは戦時中の空襲による爆弾の破片が突き刺さってできたもの。
丸二商店(荒物屋)
昭和初期に現在の千代田区神田神保町三丁目に建てられた店舗兼用住宅です。関東大震災後に多く建てられた「看板建築」と呼ばれるつくりで、この建物では創建時から昭和20年中頃まで荒物屋を営んでいました。内部の展示は、昭和10年代の荒物屋を再現しています。
村上精華堂
1928年(昭和3)に現在の台東区池之端二丁目、不忍通りに面して建っていた化粧品店です。奥の土間で化粧品の製造を行い、卸売りや小売りを行っていました。建物は関東大震災後に多く見られた「看板建築」の一種。1942(昭和17)には本店が浅草向柳原に移り、この建物は支店に、そして1955(昭和30)頃には化粧品店として使われなくなりました。
川野商店(和傘問屋)
1926年(大正15)に現在の江戸川区南小岩八丁目に建てられた出桁造りの建物です。重厚な屋根や江戸以来の町屋の特質を継承する格子戸などに、この建物の特徴がみられます。川野商店で傘をつくっていたのは明治末から大正5年頃まで。それ以降は昭和20年頃までは問屋として営業していました。
大和屋本店(乾物屋)
1928年(昭和3)に現在の港区白金台の目黒通り沿いにあった木造3階建ての商店です。大和屋本店は創業当初から乾物類の販売を行い、海産物の仕入れが困難になった昭和10年代後半以降は、お茶と海苔を販売していました。大和屋本店ではタバコも販売しており、店舗全面にタバコ屋の造作が取り付けられていました。たてもの園で見ることができるタバコ屋の造作は昭和20年代のもので、寄贈されたもの。
万徳旅館
青梅市西分二丁目、青梅街道の南側にあった木造三階建ての旅館で、江戸時代末期から明治時代初期に建てられたと推定されています。明治中期頃に2階部分を増築し客室を増やしましたが、内部の造作などに大きな改装が少なく、古い状態のまま平成5年頃まで営業していました。建物は創建当初に近い姿に、そして室内は1950年(昭和25)頃の様子を復元しています。