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イエズス会の功労?!【Dulce Nombre de Maria Cathedral Basilica 聖母マリア大聖堂】
スペイン広場の芝生のすぐ隣にあるのが 【Dulce Nombre de Maria Cathedral Basilica 聖母マリア大聖堂】。グアムで初めて建てられた カトリック教会 として、由緒ある立派な佇まいです。
中はとても広く、本当に立派!ステンドグラスも素晴らしいです。しかし、ふっと思いませんか? なんでカトリックなのか?チャモロには地元の宗教はなかったのか?
もちろん、グアムにもチャモロが昔から信じるものがありました。それは「先祖の魂は一族の土地に宿る = 土地は神聖なもの」 。
しかし、マゼラン発見から100年後に、スペインの イエズス会の宣教師 がグアムに来たことによって大きく変わります…というより、“強制的” にカトリック教へ変えさせられます。
例えば、チャモロは、先祖の魂と土地を守るべく、亡くなった一族の頭蓋骨は家に吊るして、亡骸は一族の土地に埋めていましたが、スペイン人宣教師はそういった慣習を「悪しきもの」として禁止しました。しかも宣教師は「亡骸は共同墓地に入れろ」と言う…土地と先祖を大切にしてきたチャモロにとっては、他者と一緒に葬るなんてありえなかったんです。
また、カトリック教の「洗礼」を受けたくないチャモロに対しては、武力をチラつかせて無理やり洗礼した事例もたくさん。これでは、チャモロが腹立つのも当然です。
スペイン・チャモロ戦争で100,000人いたチャモロ人は5,000人に
カトリック教の無理やりな宣教活動に、チャモロ人もだんだん不満を募らせ、とうとう勃発しました、スペイン・チャモロ戦争。
1668年に始まって、27年後の1695年にチャモロが降伏するまでに、 スペイン人は反カトリックの村はとことん焼き払い、見せしめに、反カトリックの酋長には酷い罰を与えたとか。
この戦争の結果、 マリアナ諸島に 100,000人ほどいたチャモロ人は、5,000人以下 にまでに減ってしまったそう。要するに、スペイン人の虐殺により グアムで生き延びたのは、カトリックに反抗しなかったチャモロ人だけ ってことなのでは?!
そう考えたら、グアムの75%がカトリック教 であることも、グアムで初めて建てられたカトリック教の 聖母マリア大聖堂 がこうして立派に建っていることも、最初に宣教師としてやって来て、この大聖堂を建てた サン・ヴィトレス神父 が敬われていることも、サン・ヴィトレス神父に洗礼を受けて「ここにカトリック教会を建てて良いですよ」と土地を提供した、当時の 大酋長キプハ さんの銅像が立派に建っていることも、こういう歴史があったからかぁ…腑に落ちてしまいます。
もちろん今となっては、カトリック教のもと、とてもグアムは平和です。大聖堂のすぐ隣には「GUAM」の文字、背景に映る グアムミュージアム や ローマ教皇 ヨハネパウロ2世像 が、写真スポットとして大人気です。
アメリカ vs 日本!激戦が繰り広げられた【Ga'an Point ガアン・ポイント】
さて、スペインが「うちの領土だー!」と支配したグアムは、なぜ現在アメリカの一部なのでしょうか?
それは 1898年に勃発した 米西戦争 = スペイン vs アメリカ により、スペインが負けたからです。この戦争により、多くのスペイン領はアメリカ領となりました。グアムもその1つです。
ですが、その後、 日本が一時的に占領したことがあるんです。 1972年に グアムのジャングルで発見された残留日本兵の横井さん と言えば、ピンとくる方も多いかもしれませんね。太平洋戦争 のきっかけとなった、ハワイ真珠湾攻撃で勢いづいた日本は、グアムも攻撃。占領した期間は31ヶ月ですが、グアム各地に日本軍が作った防空壕などがあります。
しかし軍事拠点として、グアムを押さえておきたいアメリカは、奪回すべくグアムに上陸し、3週間もの間 、アメリカ vs 日本の激戦が繰り広げられました。その場所が【Ga'an Point ガアン・ポイント】。
今は 【太平洋戦争国立歴史公園】となって綺麗に整備されており、観光スポットとしても有名な場所です。
海から攻めてくるアメリカを攻撃したであろう大砲が2つ遺されていたり…
’'トーチカ'' というミニ要塞もあります。
グアムはサンゴ礁に囲まれており、外海からくる波は、遠くの方でサンゴが止めてくれるので、とっても遠浅で穏やか。浜辺では遊んだりもできる、とても気持ちの良いビーチです。
でも、戦時下においては、この穏やかな遠浅の海が、アメリカ軍にとっては上陸しやすいポイントだったそう。
インスタ映えもする【タリファク・スペイン橋 Talaifak Bridge】
ガアン・ポイントまで来る機会があったら、ぜひ、もう少し西にある【タリファク・スペイン橋 Talaifak Bridge】にも足を運んでみてはいかがでしょう?ここには、スペイン統治時代に活躍した橋があります。
村と村の間を行き来するのに使われていたそう。眼鏡橋みたいな2つのアーチとその後ろに見える海の構図が良くて、上のような記念写真を撮ることができます。多くの観光客の写真スポットになっていますヨ。ガアン・ポイントからは車で数分です。
- タリファク・スペイン橋
- グアム / 遺跡・史跡
- 住所:Talaifak Bridge地図で見る
最後に…
グアムの歴史って、他国に侵略され、彼らが勝手に戦争していったりと…こんなに壮絶だったんですね。自分たちの意思と関係なく、自分たちの島が戦場になっていくのを見るチャモロたち…辛かっただろうと思いますが、今はとっても平和なリゾート地。この平和がどうか続きますように、と願ってしまいます。
ビーチで楽しく遊ぶのはもちろんグアムに来る醍醐味ですが、ぜひ、グアムの歴史という一面も楽しんでみてくださいね。