クスコから車で2時間ほどで行ける【オリャンタイタンボ】は “聖なる谷” にある遺跡。侵略してきたスペイン人に追われるインカ帝国の「要塞」とも言われ、マチュピチュに勝るとも劣らない立派な遺跡です。段々畑を登るのは大変ですが、登った先では素晴らしい光景を見ることができますよ!
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インカ帝国とスペイン人の侵略
いきなり【オリャンタイタンボ】をご紹介する前に、事前知識として インカ帝国とスペイン人の侵略のこと をまずはお話ししたいと思います。この2つの関係なくして【オリャンタイタンボ】は語れません。
13世紀ごろから始まったと言われる【インカ帝国】は、今でもペルーの有数な都市の一つ「クスコ」を中心地として、約200年間に渡って発展しました。しかし、スペイン人の侵略により、1533年に滅ぼされてしまいます。
今やクスコ市街地は世界遺産に登録されましたが、これらの建物のほとんどはスペイン人がインカ帝国を滅ぼした後から築いたもの。インカ帝国時代のものは破壊し尽くされ、地下に眠っていると言われています。
そんなクスコの周辺には、インカ帝国の人たちが スペイン人から逃れながら 、各地で生活していたと思われる遺跡がたくさん見つかっています。【オリャンタイタンボ】は、その中の1つです。
要塞だった?!【オリャンタイタンボ Ollantaytambo】
クスコの北には【Río Urubamba ウルバンバ川】が流れており、川を挟む谷の周辺にはインカ帝国の遺跡がたくさん点在していることから【聖なる谷】とも言われています。かの有名な マチュピチュ は、この川の下流にあります。
【オリャンタイタンボ Ollantaytambo】は、この【聖なる谷】にあり、居住区はもちろん、要塞と言われる所以の遺跡もある貴重な遺跡。その見所をご紹介します!
遥か上まで続く「段々畑」
【オリャンタイタンボ Ollantaytambo】に来ると、まず圧倒されるのは、とても大規模な 段々畑 。平地にも遺跡は見られますが、やはりこの急斜面はとても見応えがあります。
遠目からだと小さく見えますが、近くに来ると、1段1段が大きい!
段々畑があるということは、上の方まで水を引くシステム、すなわち 灌漑施設 が整っていたということになります。こんな高山の地域で、500年も前から灌漑の仕組みが出来上がっていたのですね。
「要塞」と言われる所以となった「巨大な岩の壁」
なぜ【オリャンタイタンボ Ollantaytambo】が “要塞” と言われるのか? それは、この「巨大な岩の壁」が所以です。
とても大きな一枚岩が、インカ帝国の「石組み技術」によって並べられて見事な壁となっています。大きさは、高さ10m、横5m! 筆者のカメラでは4枚しか写らなかったのですが、実際は 6枚 並んでいます。
ですが、ここが本当に要塞だったのかどうかは、実は未だ明確にはされていません。「要塞だったのではないか?」と言われているのは、後にこの遺跡を発掘した現代人の予想にすぎないのです。
というのも、インカ帝国は 文字を持たない「アンデス文明」。彼らが遺した文献などはなく、岩に文字や絵が彫ってあるということもありません。その上、何も解明されずにスペイン人に滅ぼされてしまったので、インカ帝国については「あくまで現代人の予測」ということになります。