丘に佇む羊、そして目下に広がる牧草地。そんな風景が広がるイギリス・ヨークシャー地方で奮闘する若い獣医師の物語を描いた自伝的小説『ヘリオット先生奮闘記』は、自然の美しい描写と次々に起こる動物や農夫との物語に心を奪われる、人気のベストセラーです。物語に登場し、自宅も兼ねていた診療所「スケルデール・ハウス」は現存する建物で、40年代の内装を再現した博物館として一般公開されています。この記事では、そんな博物館「ワールド・オブ・ジェイムズ・ヘリオット」の見どころをご紹介。国内唯一の獣医博物室も必見です!
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ベストセラー 『ヘリオット先生奮闘記』(原題『If Only They Could Talk』)について
日本では、『ヘリオット先生奮闘記』や『ドクター・ヘリオットの動物物語』などのタイトルで本が刊行され、発売から30年以上がたった今でも幅広い年齢層の読者に愛読されています。では、何故イギリスの田舎町で奮闘する獣医さんの物語が世界中で愛され、日本でもファンができる程に人気を得るまでになったのでしょうか?
ここでは物語の内容を簡単にご紹介し、その魅力に触れてみたいと思います。
物語のあらすじ
時は1940年、グラスゴー獣医大学を卒業した主人公のジェイムズ・ヘリオットは、イギリス北部の田舎町ダロウビーにある動物診療所でアシスタント獣医になります。当時は診療所に犬や猫などの小動物が連れてこられることは少なく、主な患畜である馬や牛、羊、豚が怪我や病気、難産などで診療が必要になると、飼育されている農場や放牧場を訪ねて診療を行っていました。
動物たちの具合が悪くなれば、朝も夜も関係なく訪問診療を行う必要があります。そのため、院長も新米獣医のジェイムズも毎日大忙しです。ジェイムズは、夜中に呼び出された挙句に「新米じゃ嫌だ」と農場夫に文句を言われたり、真冬の凍てつく小屋の中で難産に苦しむ豚の分娩介助に奮闘したり、羊の出産シーズンにあたる4月と5月は息つく間もなく車で走り回ります。
そんなハードな仕事に翻弄されながらも、ジェイムズは日々にささやかな楽しみを見出し始めます。風変りだが素朴なヨークシャーの人々の憎めない人柄にひかれ、長時間の難産を終えた若雌豚の満足に満ちた「ブー」という鳴き声で自分を取り戻し、子羊たちの誕生に春の訪れを知るようになります。そして、そんな日々を過ごしていたある日、ジェイムズは生涯を伴に過ごす事になる運命の女性に出会います。
主人公のヘリオット先生と、著者のワイト獣医師について
- 写真:Nozジェイムズ・アルフレッド・ワイト氏の写真。
- 写真:Nozヘリオット先生のボスで院長のシーグフリード・ファーノン(Siegfried Farnon)のモデルになった、Donald Vaughan Sinclair氏の写真。
ベストセラー『ヘリオット先生奮闘記』をはじめ、その他に出版されているシリーズに登場する主人公ヘリオット先生は、著者のジェイムズ・アルフレッド・ワイト氏(James Alfred Wight)が自身をモデルにしたキャラクターです。
獣医師だったワイト氏は、54歳だった1969年に、自身が新米の獣医師だった頃の経験をもとに書いた自伝的小説『If Only They Could Talk (邦題『ヘリオット先生奮闘記』)』を書きます。小説は実在する地域や人物をもとに描かれており、ワイト氏の描写や表現は情景が目に浮かびやすく、イングランド北部という地域を良く知らない読者をも魅了し、その人気は世界に広がっていきました。
物語の舞台「スケルデール・ハウス(Skeldale House)」について
物語に登場する「スケルデール・ハウス」とは、物語の中でジェイムズ先生がアシスタント獣医師として雇われ、その後に共同経営者となった獣医診療所の呼び名で、実際に存在する建物です。診療所は住居も兼ねていて、ヘリオット先生の実在モデルのワイト氏は結婚後に転居するまでのあいだ、実際にこの建物に居住しながら診療を行っていました。
スケルデール・ハウスは、ワイト氏が亡くなった後に地元行政が買い取り、140万ポンドをかけて改修工事が行われました。1940年代の頃の住居スペースや、BBCでテレビシリーズされた時に使用された撮影スタジオの再現が新たに加わえられ、「Wold of James Herriot」という博物館として一般に公開され、現在に至ります。
物語の舞台「ダロウビー(Darrowby)」の本当の名前は、「サースク(Thirsk)」
物語に登場するダロウビー(Darrowby)とは、スケルデール・ハウスがある街の名称です。物語の中では、診療所の電話に出る時に「はい、ダロウビー85です」という風に使われています。ですが実際には、スケルデール・ハウスがあるのはノース・ヨークシャーにある田舎町サースク(Thirsk)です。