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2. 農家ゾーン(江戸中期~後期)
開拓が進み新田村落として発展した小平一帯。小平で一番小さい新田村だった現在の回田町エリアでは、元文年間(1736年~1740年)頃から定住する農民も現れ、屋敷も建ち始めます。明和8年(1771年)には15軒の農家が定住していたことが、記録に残っています。
ここ「農家ゾーン」は、江戸中期~後期にかけて存在した武蔵野新田の農家の家屋や穀櫃(こくびつ)を移築復元し、高垣や井戸、竹やぶなどとともに、当時の景観や生活の様子を再現し紹介しています。
旧神山家住宅主屋
小平市に現在ある回田町(めぐりたちょう)と呼ばれるエリアは、昔は廻り田新田と呼ばれていました。そんな場所に18世紀後半には定住していたと考えられている神山家は、曳屋(建物をそのままの状態で移動しすること)をして建てられた家屋に住んでいました。この「旧神山家住宅主屋」は解体保存されていたその家屋を移築して復元したもので、現在は小平市の有形文化財に指定されています。
この建物では、江戸中期~後期における、小平の新田開拓農家の生活の様子や、その移り変わりを知ることができます。神山家は「すみや」という屋号を持っていて、炭を焼いて売っていたことが、残っていた2基の炭焼き窯からもわかっています。明治以降に養蚕が盛んになると、畑が桑畑に変わったり、春には「うまや」のホイロで茶葉を熱し、沢山のお茶を作るなどもしていたそうです。
たたきの広い台所には大小のかまどや水がめ、流しなどがあり、しゃもじや柄杓、桶など、当時の台所用品も収納されています。
台所からは板続きに囲炉裏のある勝手があり、こちらは靴を脱いで上がることができます。
勝手の隣には板続きに座敷があり、さらにその奥には畳の間があります。これらのスペースも靴を脱いで上がることができますので、柱や天井、壁、扉などを間近に観察したり、畳や板の間の感触を楽しんだりすることができます。
扉を開けた座敷や畳の間は開放的で気持ちがよく、しばらく座って物思いにふけってみるのも良いでしょう。分厚く垂れ下がる瓦葺屋根や生い茂る高垣を眺めていると、これらが家屋や住人を雨風から守る心強い存在だという事を実感します。
水車小屋
明暦2年(1656年)に小川村が誕生し、水が乏しかったこの地に玉川上水の水がひかれて、小川が流れるようになります。その末流は飲料水になり、あちこちに仕掛けられた水車では脱穀や製粉が行われました。天明8年(1788年)の調べには、玉川上水から引かれた分水には33ヶ所もの水車があったと記録されています。
土地が平らな小平一帯では分水の流れが緩やかだったため、水車の出力を増すために落差をつけるなどの工夫をしたそうです。この水車小屋は、コトコトと音を立ててゆっくりとまわる水車とともに、その工夫がどの様なものであったのかを見ることができます。
木造平屋の屋内には、つき臼や挽臼などが置かれ、水車に繋がるつき臼や挽臼の構造を間近に観察することもできます。
ちなみに、昭和25年(1950年)に、小平市内にあった最後の水車が停止したそうです。
旧鈴木家住宅穀櫃(こくびつ)
小平市有形文化財に指定されている建物で、解体保存された後にここへ移築復元されました。建築年代は明らかではありませんが、板戸の裏に墨で書かれた茅屋根の葺替えにちなんだ歌と年号から、江戸末期から明治初期と考えられています。
穀櫃(こくびつ)は、天災や飢饉の対策として備荒貯蓄策をたてた幕府が、各村の役宅に建てた稗倉(ひえぐら)です。穀櫃には稗(ひえ)や粟(あわ)、黍(きび)、小麦などの穀類を蓄えて、災害や飢饉の際には村人に支給されました。
この「旧鈴木家住宅穀櫃」は、元々は現在の花小金井にあった秋山家に建てられたもので、大正10年(1920年)頃に鈴木家が譲り受けて移築し、物置として使っていました。昭和54年(1979年)に小平市へ寄贈された時は屋根に鉄板が被せられていましたが、梁(はり)に残っていた扠首尻(さすじり)の孔から、元々は茅葺きの屋根であった事が判明したそうです。
管理棟
建物の歴史などについての解説がないため詳細はわからないのですが、瓦屋根が立派な2階建ての日本家屋の建物で、1階に受付があります。
受付ではガイドツアーの申し込み受付のほか、竹とんぼやベーゴマなどの懐かしいおもちゃや小平の特産品などの販売、小平や東京の観光案内パンフレットなどが置いてあります。
管理棟の裏にある中庭のような広場には竹馬や輪投げなどが置いてあり、どれも自由に遊ぶことができます。売店でベーゴマを購入して、ベーゴマ床(ベーゴマを回して競う土俵)で遊んでみるのも良いですね。
3. 近代ゾーン(明治以降)
旧小平小川郵便局舎
明治42年(1908年)に建てられたもので、大正末期頃に活躍していた当時の局舎を復元した建物です。
明治4年(1871年)、東京日本橋に日本で初めて郵便役所が開業されると、全国の各地に郵便役所や郵便取扱所が建てられました。記録によると、小平の郵便局は名主小川家の敷地に建てられ、明治14年(1881年)から明治41年(1908年)までの28年間営業していたことがわかっています。その後は、妙法寺の境内に新しく建築されたこの局舎で郵便業務が行われるようになりました。
この局舎が建った当初は、郵便物の集配や為替、貯金などの郵便業務が行われていましたが、大正10年(1921年)になると電話交換の業務も加わり、電話室や電話交換室も設置。その頃の局舎を復元したこの建物は、明治末期から昭和期に活躍した郵便局の様子を知ることができる貴重な建物として、市指定有形文化財に指定され大切に管理されています。
消防小屋
昭和3年(1928年)につくられた手動ポンプ車や、刺股(さすまた)などを展示している建物です。
小平に残っている消防に関する記録では、江戸時代の貞享元年(1684)年までさかのぼることができます。当時は村の中に設置された番所に人が詰め、15歳以上の男性は、火事や泥棒の被害があったら棒などを持って直ちに駆けつけなければいけませんでした。警護に使われた武器の一つだった刺股(さすまた)が消防小屋に置かれているのは、消防団がそういった役割を担っていたからです。