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9位:平戸城(長崎)
- 出典:tripnote.jpphoto by 月夜野さん
平戸藩主松浦氏の居城で、別名「亀岡城」と呼ばれています。明治4年の廃城令によりすべての建物が取り壊され、現在私たちが見る平戸城は、昭和37年に復元されたものです。しかし、狸櫓と北虎口門だけは当時の姿で残っており、当時の様子を知る貴重な建造物となっています。
城の中からは平戸オランダ商館や、平戸ザビエル記念教会などを一望することができます。
- 平戸城
- 長崎 / 城 / 穴場観光スポット / 桜の名所
- 住所:長崎県平戸市岩の上町1458地図で見る
- 電話:0950-22-2201
- Web:http://www.hira-shin.jp/hirado-castle/
9位:鶴丸城跡(鹿児島)
- 出典:tripnote.jpphoto by ta03z14さん
島津家第18代当主・島津家久(しまづいえひさ)が築いた、「鶴丸城(鹿児島城)」の城跡。天守閣を持たない質素なお城でしたが、明治初期に焼失。石垣には西南戦争で政府軍から受けた弾丸の跡が残されています。2020年には、かつて国内でも最大級とされた「御楼門」が復元されました。
また城跡内には、鹿児島県の歴史や美術、工芸などの貴重な資料が展示されている博物館「鹿児島県歴史資料センター黎明館」もあります。
- 鶴丸城跡
- 鹿児島 / 遺跡・史跡 / 桜の名所 / 観光名所 / 城
- 住所:鹿児島県鹿児島市城山町7-2地図で見る
- 電話:099-222-5100(鹿児島県歴史資料センター黎明館)
- Web:http://www.kagoshima-kankou.com/guide/12332/
11位:佐賀城跡・佐賀城本丸歴史館(佐賀)
- 出典:tripnote.jp何度も火災に遭い焼失した佐賀城の石垣は今も残っています
鍋島氏の居城だった佐賀城は、明治時代初期に起こった佐賀の乱によりほとんどが焼失。現在残っているのは鯱の門と続櫓のみで、国の重要文化財に指定されています。
- 出典:tripnote.jp佐賀城本丸御殿の一部を復元
佐賀城跡に本丸御殿の一部を忠実に復元した「佐賀城本丸歴史館」は、木造復元建物としては日本最大級の2,500㎡。幕末・維新期の佐賀藩をわかりやすく紹介しています。
- 佐賀城跡・佐賀城本丸歴史館
- 佐賀 / 城 / 一人旅 / 博物館 / 観光名所 / 公園 / 桜の名所 / 歴史博物館
- 住所:佐賀市城内2-18-1地図で見る
- 電話:0952-41-7550
- Web:http://saga-museum.jp/sagajou/
12位:名護屋城跡(佐賀)
- 出典:tripnote.jp名護屋城跡
豊臣秀吉が朝鮮出兵の為に築城させたお城です。当時としては大阪城に次ぐ規模を誇った巨城で、朝鮮出兵に際し多くの大名が参集、一時は20万人を超える人が集まる巨大な城下町となりました。現在残っているのは石垣のみですが、周辺には徳川家康や前田利家を始め当時の名だたる武将たちの陣跡があり、歴史ロマンが感じられます。
- 出典:tripnote.jp名護屋城跡
また高台となっている天守閣の跡地からは、玄界灘をはじめとする雄大な景色を眺望できるほか、春には桜の名所としても人気の高いスポットです。
13位:秋月城跡(福岡)
- 出典:tripnote.jpphoto by colgaさん
福岡県の指定史跡に認定されている名勝で、寛永元年(1624年)に黒田長興によって築城された城の跡。城下町の風情がのこり「筑前の小京都」と呼ばれています。
- 出典:tripnote.jpphoto by m さん
春には桜、秋には紅葉の名所としても知られ、特にかつて大手門として使われていた黒門周辺が紅葉の絶景ポイント。赤く染まったもみじと、黒門との美しいコントラストを見ることができます。
13位:府内城(大分)
- 出典:tripnote.jpphoto by よんじょーさん
大分市にある、かつての府内藩主の居城跡。慶長4年(1599年)、豊臣秀吉の家臣・福原直高により築城されました。
- 出典:tripnote.jpphoto by 岩井 眞太朗さん
現在は県指定文化財の「宗門櫓(しゅうもんやぐら)」に「人質櫓(ひとじちやぐら)」、石垣、お堀などが残っているほか、大手門や廊下橋など一部の建物も復元されています。またお堀沿いには桜の木が植えられており、開花時期にはお花見客が多く訪れます。
- 府内城
- 大分 / 城 / 公園 / 桜の名所
- 住所:大分市荷揚町地図で見る
- Web:https://www.city.oita.oita.jp/o204/bunkasports/shi...
15位:人吉城跡(熊本)
- 出典:tripnote.jp1862年の火災を機に、防火のため石垣上部に突き出しがある「武者返し」と呼ばれる西洋式石垣が採用されました。
人吉城は、鎌倉時代のはじめ人吉の地頭として着任した相良長頼(ながより)が築城したと伝えられています。1589年、20代相良長毎(ながつね)が大改修を行い、その時設けられたのが「武者返し」と呼ばれる、城壁の上に突き出した格好で石が積まれた石垣。こういった石垣は全国的にも珍しく、日本百名城にも選ばれています。
※本記事のランキングは、トリップノートのアプリでトラベラー会員が登録した「行ったスポット」のデータ(2023年3月時点)を元に算出しています。