小倉城周辺は城下町であり、関門海峡にも近い事から、古くから九州各地への交通の起点として、非常に栄えてきました。小倉の町に入ると、急にビルなどが建ち並び、城下町の名残を感じさせます。北九州市の中心部にあり、八坂神社や小倉庭園が隣接し、歴史散策が楽しめる場所です。小倉は、戦国一の美女&才女と言われた細川ガラシャや、佐々木小次郎と巌流島で決闘を行った、宮本武蔵とも縁のある地。歴史を感じる小倉城巡りへ出かけてみませんか。
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小倉城の歴史
戦国末期に、中国地方の毛利氏が現在の地に城を築いたのが始まり。後に関ケ原の合戦の功労として、細川忠興が入国、1602年から7年をかけて本格的に築城し、小倉城が建てられました。後に小笠原忠真が藩主となり、徳川家光より、九州諸大名監視という重大な命をうけました。
九州各地へ通ずる玄関口として大いに栄えましたが、1837年に城内より火災が発生し、全焼することになります。2年後に天守閣以外、再建されました。
幕末の時代に、長州藩を攻める基地となりましたが、1866年、戦線を後退させる事となり、自ら小倉城へ火を放つ事に。2度も焼け落ちてしまったんですね。現在の小倉城は、市民の熱望により、1959年に再建されたそうです。
珍しい唐造りの天守閣をもつ小倉城
城の特徴として、全国でも珍しい「唐造り」と呼ばれる建築様式で建てられています。この唐造りとは、4階と5階の間に屋根のひさしが無く、下の4階よりも、上階の5階が膨らんでいます。この様な独特の天守閣を持つ城は全国でも珍しいとされています。
天守の最上階が、黒く塗られている様子は、じっと、小倉の町を眺め、見守っているようですね。
小倉城ゆかりの人物
関ケ原の功労者 細川忠興
関ヶ原の戦いでは東軍として参戦し、他の大名に大きな影響を与えた人物。愛妻家(!?)としても有名で、美しい妻に見とれた庭師を自ら手打ちにしたという逸話があるほど。7年かけ、小倉城を築城した人物。
戦国一の美女&才女 細川ガラシャ
戦国一の美女であり、才女とも噂された、明智光秀の娘、細川ガラシャ(旧姓:明智玉)。関ケ原合戦の際、石田三成に人質となるよう言われ、拒否。キリシタンの為、自決できないガラシャは、家臣に命じ命を絶ちました。後に、小倉で盛大なミサが行われたと言われています。
最強の剣豪 宮本武蔵
兵法書「五輪書(ごりんのしょ)」を書いた兵法家であり、一度も負けた事がない、最強の男と呼ばれた宮本武蔵。養子の伊織が小笠原藩の家老だった事もあり、7年間を小倉で過ごしたそうです。武蔵は絵が上手いことでも有名ですね。
小倉城内のみどころ
歴史ゾーン
城内へ入ると、1階には「歴史ゾーン」があります。小倉の城下町をジオラマで再現されており、細部まで、再現されたジオラマは必見!双眼鏡で、江戸時代の生活を覗くこともできますよ。
迎え虎と送り虎は小倉城が消失した後1866年の寅年に因んで書かれたもの。どの位置から見ても真正面に見えるので、是非試してみたいですね。
体験ゾーン
大名かごに乗れます!殿様気分、もしくはお姫様気分でかご体験。
島原の乱出陣前の軍議の様子が人形劇で見れます。武将の衣装や、物語を楽しんで下さいね。
展望ゾーン
天守閣からは小倉の町が一望できます。桜の時期の眺めは特に美しいですね。
おわりに
九州各地への玄関口として栄えた小倉城はいかがでしたでしょうか。
1階から、天守閣の展望台まで、見どころ沢山の小倉城でした。写真撮影禁止だったので、掲載出来ませんでしたが、中には、武将が付けた甲冑や、使用されたであろう、武士の刀なども見る事がでます。ジオラマなどもありますので、お子様から、歴史好きのお父さんまで、家族でも楽しめるスポットだと思います。
近くには、小倉庭園や、八坂神社があり、少し車を走らせば、門司港レトロなど観光スポットが多い場所なので、小倉城と合わせて、楽しんで下さいね。
- 小倉城
- 北九州 / 城 / 観光名所 / 紅葉 / 公園 / 桜の名所
- 住所:福岡県北九州市小倉北区城内2-1地図で見る
- 電話:093-561-1210
- Web:http://www.kokura-castle.jp/