東京都八王子市にある八王子城跡は、20~30分程度のトレッキングをしながら、歴史も学べるおすすめスポット。戦国武将が城攻めをする気分で山を登ったり、付近の滝で涼んだり、整備された遺構を散策したり、様々な楽しみ方と見どころがあります。
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八王子城の歴史
八王子城の築城は1582年頃。戦国時代に小田原を本拠地としていた後北条氏(ごほうじょうし)の三代目、北条氏康(うじやす)の三男である北条氏照(うじてる)によって築かれました。氏照は元々、この地から8キロほど離れた滝山城を拠点としていましたが、その城が武田信玄によって攻められ、その経験からより堅牢な城の築城の必要性を感じ八王子城を築城しました。
しかし、1590年、豊臣方の前田利家・上杉景勝軍に攻められわずか1日で落城。この落城が決め手となり、北条氏本拠地の小田原城は開城となり、氏照は兄の氏政(うじまさ)と共に切腹。北条氏は滅亡しました。落城時に城はまだ未完成だったと考えられており、八王子城は今なお詳細が分からない謎多き城の一つでもあります。
出発前にガイダンス施設で八王子城について学ぼう
八王子城跡散策の拠点となるガイダンス施設。入館料は無料ながら、城主の北条氏照や、八王子城の歴史について映像やパネルなどで詳しく展示されています。また椅子とテーブルが設置された休憩スペースやトイレもありますので、まずは出発前にこちらに立ち寄っていきましょう。
- 八王子城跡ガイダンス施設
- 立川・八王子・日野 / 観光案内所・ビジターセンター
- 住所:東京都八王子市元八王子町3-2664-2地図で見る
- 電話:042‐663‐2800
- Web:https://www.city.hachioji.tokyo.jp/kankobunka/003/...
八王子城跡散策に出発!
八王子城跡は、ガイダンス施設の先にある管理棟を基準に2つのエリアに分かれます。戦闘時に要塞となる要害地区(山上エリア)と、城主氏照の館跡などの生活エリア居館地区(山麓エリア)です。
まずは、要害地区からご案内します。
要害地区エリアの見どころ
要害地区は、戦闘時の要塞となる場所だけあって入り口から早速山登りとなります。ある程度整備はされていますが、トレッキングシューズやスニーカーなどの歩きやすい靴は必須です。またこの登り口から先には自動販売機や売店もありませんので、飲み物は事前に購入しておきましょう。本丸までは約30分程度の道のりです。
金子曲輪
登り口から10分弱で最初に到着する遺構が金子曲輪。金子三郎右衛門家重(かねこさぶろうえもんいえしげ)が守備したと言われる場所です。このように所々でお城の遺構に出会えるのは山城トレッキングならでは。八王子城跡では、遺構跡には説明書きと合わせて八王子城に関するコラムが書かれた案内板が立っているので、それらを読みながら歩くとより理解が深まります。
展望スポット
九合目を過ぎてすぐ、一気に視界が開ける展望スポットがあります。関東平野が一望でき、晴れた日には八王子市内、西武ドームや東京スカイツリーまで見渡せます。
八王子神社
氏照が八王子城築城にあたり、城の守護神とした八王子権現が祀られています。元々この神社が建つ山に城を築いたことが、八王子城の名前の由来になったと言われています。
本丸跡
八王子神社からさらに登った先が本丸跡です。城の中心で最も重要な曲輪ですが、あまり広いスペースではないことから大きな建築物はなかったと考えられています。
松木曲輪
この辺りは中山勘解由家範(なかやまかげゆいえのり)が守っていたと言われています。八王子城攻めの際、家範は前田利家の軍勢と奮闘しましたが、防ぎきることができませんでした。しかし、家範の武勇ぶりを惜しんで利家は助命を受け入れたと言われています。また、残された遺児は徳川家康に仕え、水戸徳川家の家老になりました。
城のメインとなる本丸跡よりも、こちらの松木曲輪の方が眺望もよくベンチもありますので、休憩スペースにぴったりな場所です。
居館地区エリアの見どころ
居住スペースであったこちらのエリアは、要害地区とは一転してほぼ平坦。発掘調査に基づく復元整備もされており、在りし日の姿が分かりやすいエリアでもあります。
古道
戦国時代、御主殿(城主の屋敷)へ入る道として使われていたと考えられています。当時は城山川下流へとさらに続いていたと考えられています。現在はその地形を利用したまま整備され、御主殿跡へと続く道となっています。
曳橋(ひきばし)
御主殿跡へと続く通路として、城山川へとかけられた曳橋。城山川の両岸に橋を架けるための橋台石垣が発見され、橋があったことはわかっていますが実際どのような構造の橋がかかっていたのかは分かっていません。敵の侵入を防ぐために、壊せる簡単な木橋をかけていたのではないかと考えられています。現在の橋は当時の位置と異なっていますが、景観にあうよう木造でできています。
虎口(こぐち)
虎口とは、曲輪の出入り口のこと。(ちなみに、曲輪は山の斜面を削って作った平坦な場所のことです)途中でコの字型に折れ曲がっている桝形(ますがた)虎口という形で、四方から攻撃が可能となるのが特徴です。石垣や石畳は当時のものを利用し、再現されています。
御主殿跡
築城者の北条氏照の館などがあったとされています。近年の発掘調査の結果、建物の礎石や庭園、水路跡などが確認されました。復元整備により、遺構跡が忠実に再現されています。
御主殿の滝
散策最後にふさわしい癒しスポット。と言いたいところですが、実はこの滝にまつわる非常に悲しい物語があります。八王子城は、氏照が主力部隊を連れて不在にしている際に攻められて落城しました。その際、攻める豊臣軍3万5,000~5万に対し、八王子城側は老兵や女性や子供などわずか3,000人。御主殿にいた女性や子供までもが最後はこの滝の上で自害し、川の水は血の赤で三日三晩染まったと言われています。
最後に
通常のトレッキングとは一味違う山城トレッキング。城攻め気分で歩いたり、歴史を学びながら歩けば、山も滝も普段とは違った見方ができるのではないでしょうか。