富士山は昔から人々の信仰を集めてきた神聖な山。江戸時代には富士山に登って参拝する「富士詣で(ふじもうで)」が流行し、関東各地には富士山を模した「富士塚」がつくられました。上まで登ると富士山登拝と同じご利益が得られるといわれた「富士塚」は、今でも都内各所の神社に残っています。中には山開きの時期に合わせて、毎年盛大にお祭りを行うところもあるんです。
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富士詣でが江戸時代に大流行!
昔から噴火を繰り返してきた富士山は、古くから人々に畏れられ、ご神体として崇められてきました。富士山麓に建てられた浅間(せんげん又はあさま)神社は、噴火を鎮めるために富士山を神として祀ったものです。中でも静岡県富士宮市にある「富士山本宮浅間大社」は、全国に約1,300か所ある浅間神社の総本宮とされ、富士山の山頂に奥宮があります。
室町時代には、富士山が持つ霊力・神力を得ようとする多くの修験者たちが富士山の頂上を目指し、やがて少しずつ信仰登山が広がっていきました。
富士山の姿は江戸からもきれいに見えたため、人々にとっては身近で憧れの山でもありました。ただ、富士山参拝には莫大な費用と時間がかかるので、誰もが行けるというわけではありません。江戸からの富士山登拝には、どんなに短くても8日間かかったといいます。そのため、富士山信仰のための組織「富士講」がつくられました。お金を集めて代表者が富士山に登拝するという仕組みができたのです。
また、富士詣でには旅という要素もあったため、「富士講」は江戸時代大流行し、人々にとって身近な信仰となりました。
「富士塚」ってどんなもの?
そんな中、関東を中心につくられたのが「富士塚」です。「富士塚」とは富士講の人たちが富士山を模してつくった塚のこと。当時、富士山は女人禁制だったこともあり、女性やお年寄りなど、富士山に登拝することができない人たちが手軽にお参りできるようにとつくられました。
「富士塚」を参詣すると、富士山登拝と同じご利益が得られるとされ、いわば身近にある聖地として江戸の人々に親しまれたのです。現在も都内各地の神社に富士塚が残っています。
【1】十条冨士神社(北区十条)
江戸時代中期の明和3年(1766年)頃に古墳とされる塚を利用して築かれた「十条冨士塚」が、そのまま神社になっています。いわゆる神社の社殿はなく、冨士塚の山頂にある小さな石祠に登拝するスタイルで、1991年に北区の有形民俗文化財に指定されました。
毎年6月30日と7月1日には富士山の山開きに合わせて大祭が行われます。地元の人には「お冨士さん」と呼ばれ、大事に守られてきたお祭りなのです。筆者は2018年の大祭の日に訪れたのですが、冨士塚を参拝しようとたくさんの人たちが道路まで列をつくっていました。
神社の参拝入口を入るとテントが張られ、魔よけの麦わら蛇(むぎわらじゃ)や護摩木(ごまぎ)が頒布されています。せっかくなので、筆者は「開運招福」の護摩木に願い事を書いてみました!
両脇にたくさんの幟(のぼり)がたてられた急な階段を上り、冨士塚を参拝します。山頂の石祠脇の炉の中では、先ほど願い事を書いた護摩木のお炊き上げが行われていました。その煙と一緒に火の神が天に昇り、護摩木に込められた願いが届けられるのだそうですよ。日常ではちょっとできない体験!
毎年大祭の日には十条冨士神社そばの道沿いにたくさんの露店が並び、大勢の参拝客で賑わいます。この年はちょうど土日と重なったこともあり、身動きできないくらいの人、人、人で溢れかえっていました。
【2】鳩森八幡神社(渋谷区千駄ヶ谷)
千駄ヶ谷にある「鳩森八幡神社」の境内には円墳状に盛り土をした「千駄ヶ谷の富士塚」があります。とてもりっぱな富士塚で、頂上近くには富士山の溶岩が配置されています。
この富士塚は寛政元年(1789年)につくられたといわれ、山頂には奥宮、富士塚の麓には里宮(浅間社)が配されるなど、富士山の特徴が再現されているんです。まさに富士山に登ったような気分。1981年には都指定有形民俗文化財に指定されました。
- 出典:twitter.com
また、鳩森八幡神社を参拝した際におすすめなのがこの鳩みくじ!可愛すぎて、なんだか癒されませんか?大吉じゃなくても、ついつい大事にとっておいちゃいそう♡
- 出典:twitter.com鳩みくじ、優しい色合いが可愛らしい♡ 初穂料 ¥100
- 写真:自由旅クリエイターにじねこMii
- 鳩森八幡神社
- 新宿 / 神社 / デート
- 住所:東京都渋谷区千駄ヶ谷一丁目1番24号地図で見る
- 電話:03-3401-1284
- Web:http://www.hatonomori-shrine.or.jp/