写真:toshelイラン南西部にある古代エラム王国の壮麗な遺跡「チョガ・ザンビール」は、紀元前1250年頃に建てられたジッグラト(聖塔)です。1979年にイラン初のユネスコ世界遺産に登録された歴史的・文化的価値のある遺跡です。
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古代エラム王国の壮麗なジッグラト
イラン南西部のフーゼスターン州には、古代エラム王国の壮麗な遺跡チョガ・ザンビールが静かに佇んでいます。1935年に油田調査をしている最中に発見されたこのジッグラト(聖塔)は、紀元前13世紀にエラムの王が新たな宗教都市を建設した時の神殿です。ウンタシュ・ナピリシャ王によって建設され、宗教都市ドゥル・ウンタシュとして栄えました。1979年にはイラン初のユネスコ世界遺産に登録され、その歴史的・文化的価値が認められています。
エラム王国:古代オリエント文明
エラム王国は、紀元前3200年頃から紀元前539年まで、このジッグラトを含む現在のイラン南西部(フーゼスターン州)を中心に栄えた古代オリエントの王国です。メソポタミア文明と密接な関係を持ちながらも、独自の文化と政治体制を築きました。
特徴と歴史
言語と文化
エラム人は系統不明のエラム語を話し、独自の文字(原エラム文字)を使用しました。
政治体制
王位は親子ではなく、兄弟間で継承される独特の制度を持っていました。
主要都市
スサとアンシャンが中心都市として栄えました。
メソポタミアとの関係
シュメールやアッカド帝国と戦い、時には支配され、時にはバビロニア王朝を滅ぼすなど、オリエントの歴史に深く関与しました。
滅亡
紀元前539年、アケメネス朝ペルシアのキュロス2世によって征服され、エラム王国は終焉を迎えました。
エラム王国は、メソポタミア文明とイラン高原の文化が交差する地点に位置し、後のペルシア文明にも影響を与えました。その遺産は、スーサ遺跡などで今も見ることができます。
チョガ・ザンビールの歴史的背景
古代エラム王国のウンタシュ・ナピリシャ王は、神々への敬意を表すために、この都市を建設しました。特に、エラムの主神であるインシュシナク神を崇拝する目的で、壮大なジッグラトを中心に都市が構築されました。都市の名称「ドゥル・ウンタシュ」は、「ウンタシュの砦」という意味を持ちます。
都市は三重の防壁によって守られており、それぞれの区域には王宮、葬祭施設、神殿、住居が配置されていました。しかし、ウンタシュ・ナピリシャ王の死後、都市の拡張は停止し、紀元前640年にはアッシリア帝国のアッシュール・バニパル王によって破壊され、廃墟となりました。
ジッグラトの構造と技術
チョガ・ザンビールのジッグラトはレンガ造りの五層構造であり、当初の高さは約53メートルにも達していたとされています。しかし、現在は崩壊が進み、約24.75メートルの高さが残っています。ジッグラトの基底部は約105メートル四方で、その規模の大きさからも当時の高度な建築技術が伺えます。
壁面には、エラム語やアッカド語で刻まれた楔形文字が多数残されており、そこには神々の名が記されています。このことから、宗教儀式が頻繁に行われていたことがわかります。また、ジッグラト内部には、神殿や祭壇が設けられ、神官たちが儀式を執り行う場として機能していました。
建設中に誤って踏んでしまったのか、古代人の足跡の遺る床もあります。
ジッグラトの文化的意義:古代メソポタミアの神聖なる塔
ジッグラトは、古代メソポタミア文明において築かれた階段状の聖塔であり、宗教的・政治的な中心として機能しました。シュメール、アッカド、バビロニアなどの都市国家で建設され、その特徴的な構造は都市の象徴として重要な役割を果たしました。
宗教的意義
ジッグラトは、都市の守護神に捧げられた神殿として建設されました。最上部には神殿が設けられ、司祭や王が定期的に参拝し、豊穣や平和を祈願しました。神殿は「神の住まう場所」とされ、神々との交信の場として機能しました。チョガ・ザンビールは四方向から上階へ上ることができますが、こちらの面は特に7階(頂上)に祀られたインシュシナク神の祭壇まで直接行ける階段です。筆者はそれを知らずにここへ来た時、他の場所にはない恐怖めいたものを感じました。
社会的・政治的役割
ジッグラトは都市国家の中心に位置し、住民の精神的支柱となりました。王権と宗教が密接に結びついていたため、ジッグラトは統治の象徴としても重要でした。都市の権威を示す建造物として、住民の結束を強める役割を果たしました。
建築技術と文化的影響
ジッグラトの構造は、複数の層が積み重なる階段状の台形を基本としており、最上部へと続く階段が設けられていました。日干しレンガや焼成レンガを用いた建築技術は、後のピラミッドやテオティワカンの段状ピラミッドにも影響を与えたと考えられています。
経済活動の中心
ジッグラトの建設には大量の労働力と資材が必要であり、都市の経済活動の中心となりました。建設プロジェクトを通じて職人や労働者が雇用され、都市の発展に寄与しました。また、祭礼や市場がジッグラト周辺で活況を帯び、商業活動の場としても機能しました。
ジッグラトは、単なる建築物ではなく、宗教・政治・経済の中心として古代メソポタミア文明を支えた重要な遺産です。その影響は後世の建築や文化にも及び、文明の発展に大きく貢献しました。
世界遺産としての価値と保存状態
チョガ・ザンビールはユネスコ世界遺産に登録されています:
長い年月の間に風化しながらも、チョガ・ザンビールはその姿を現代に留めています。近年、考古学者たちは遺跡の修復作業を進めており、歴史の貴重な証拠を保存しようとしています。
現代のチョガ・ザンビール
現在、チョガ・ザンビールは多くの観光客が訪れるイランの重要な遺跡の一つとなっています。遺跡を訪れることで、古代エラム王国の壮麗な建築技術を目の当たりにし、その歴史と文化の奥深さを感じることができます。また、周辺にはエラム時代の遺跡が点在しており、シャルル・ダムやスーサ遺跡と合わせて訪れるのもおすすめです。
もしイランを訪れる機会があれば、ぜひこの壮大なジッグラトを巡り、古代の神秘に触れてみてください。歴史の息吹を感じながら、遥かなるエラム王国の栄光に思いを馳せることができるでしょう。
チョガ・ザンビールの入場料
チョガ・ザンビールの入場料は2,500,000イラン・リヤル(およそ850円(2025/6現在))です。
チョガ・ザンビールの行き方
日本からイランへの直行便はなく、中東やEUを経由して首都テヘランやその他の国際空港へ入国します。チョガ・ザンビールに一番近い国内空港はアフワーズです。
アフワーズからタクシーでおよそ二時間です。
訪問は冬がオススメ
筆者の訪ねた4月末は既に40℃を超えておりました。砂漠のため非常に暑く体力を奪われました。訪問は11月から1月までがオススメです。
















































