岡山県総社市にある標高約400mの鬼城山(きのじょうざん)に築かれた、古代山城の「鬼ノ城(きのじょう)」。近年の発掘調査から、築城時期は7世紀後半とされていますが、日本書紀などの歴史書にも記載がなく、いまだその詳細は謎の城です。当時から残る遺構や復元された門などを見ながら、古代山城散策を楽しんでみましょう。
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鬼ノ城とは
鬼ノ城の歴史
鬼ノ城は、近年の調査から7世紀後半に築かれた可能性が高いとされており、663年に朝鮮半島で起きた白村江の戦いの後に築かれた国防施設であるとも考えられています。しかし、720年に完成した歴史書「日本書紀」にも記載がなく、正確な築城時期がはっきりとしていない謎の多い城です。
鬼ノ城の特徴
鬼ノ城が築城された鬼城山は、標高約400m。すり鉢を伏せたような形をしており、その8~9合目のあたりを全長約2.8kmの城壁が取り囲んでいます。平成18年2月には、日本百名城の一つに選定されました。
鬼ノ城を巡ってみよう
鬼ノ城には、いくつかの散策コースがあります。1.5km程度の短いものから、4.5kmの1周コースまでありますが、道のアップダウンはほとんどありません。遊歩道の途中では当時の遺構を見ることができるほか、総社平野を見晴らせるビューポイントもあります。
まずは、入口にあるビジターセンターで鬼ノ城について学んでから、古代山城巡りに出発しましょう。ビジターセンターにはボランティアスタッフの方もおられるので、ガイドをお願いするのもオススメです。
学習広場から見る西門の復元
まずは学習広場と呼ばれる展望スペースへ。ここから、復元された西門がよく見えます。
城門は東西南北4カ所にありますが、復元されているのはこの西門だけです。
この場所からは総社平野が一望できます。すっきりと晴れた日には、瀬戸内海に浮かぶ小豆島を見ることもできるそうです。この場所からであれば、海から攻めてくる船も一目瞭然。国防施設としてこの山の上に建てられたとされるのも頷けます。
復元された西門を間近で
この西門が、鬼ノ城の主たる進入路と考えられています。
木造三階建ての立派な造りですが、実際の姿は不明なため、同時期に造られた城の資料を元に推定復元されたものです。
入口の足元の石敷き。こちらの石は、築城当時のままだそうです!
西門以外の3カ所の門跡
1周コースを歩くと、西門以外の門跡も確認することができます。
南門、東門、北門は懸門構造。入口に侵入しにくい城壁が設けられていて、防御機能が高い門です。
排水施設も完備!6カ所の水門
鬼ノ城には、排水のための水門も完備されていたようです。その数は6カ所もあり、しっかりと整備されていたことが分かります。
中には、今も水が湧き出しているものもありますし、
草に覆われて見落としてしまいそうなものまであります。
石垣の城壁
全長2.8kmの城壁の基本は、高さ約6mの版築土塁です。版築土塁とは、異なる性質の土や瓦礫、砂などを突き固めて何層にも積み上げて盛る壁のことです。
しかし、防御のため要所には石垣が築かれていて、今もその姿を確認することができます。
アクセス
鬼ノ城へのアクセスは、JR服部駅から徒歩約5km、またはJR総社駅から車で20分。
JR総社駅には常駐タクシーがありますが、最寄りの服部駅は無人駅のため、ここからタクシーを利用したい場合は事前予約が必要です。服部駅から鬼ノ城方面に約2km行ったところに砂川公園があり、ここから無料送迎バスも出ています。
謎だからこそ想像して楽しもう
城門や水門などのような遺構もありますが、復元された西門でさえあくまでも推定に基いているという、多くの謎に包まれた鬼ノ城。この周辺には住居跡が見つかっていないため、城のみが築城されていたと考えられています。
1,300年以上も前に、誰の発案でこの山の上に資材を運び、どのように城を築いてきたのか。そして、どんな人々がこの城を守っていたのか。想像すればするほど楽しい古代ロマンを、ぜひ感じてみてください。