
岩手で唯一、出雲大社の御分霊をうけていることで縁結びのパワースポットとして有名です。遠野ならではの神様を祀り、秋には例大祭が開催されることや、猫神社があることでも人気の神社。そんな遠野郷八幡宮の魅力に迫ってみましょう。
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遠野郷八幡宮の歴史
創建は定かではありませんが、1189年(文治5年)に平泉の藤原氏追討に従軍して功積をあげ、源頼朝から遠野郷を賜ったのが阿曽沼氏でした。阿曽沼氏は栃木県に本領があったことから、宇夫方広房を代官として送りました。
その際、八幡神をまつって遠野郷を統治します。その後、横田城が築かれ、城の鬼門である東北の方角に八幡宮を勧請して崇敬したのが始まりとされています。
遠野郷八幡宮の御祭神と御利益
地域の守り神として信仰を集めている遠野郷八幡宮ですが、大国主神をはじめ5柱を祀り、以下のような多くのご利益があるとされています。
大国主神(おおくにぬしのみこと) 縁結び、福の神、家運隆盛、夫婦和合
誉田別尊(ほんだわけのみこと) 文武の神・勝負事の神、国家鎮護
事代主神(ことしろぬしのかみ) 商売繁盛、海上安全、大漁の守護神
少彦名神(すくなひこなのかみ) 健康長寿、病気平癒
御年神(みとしのかみ) 五穀豊穣、家内安全
その他にも、『遠野物語』に登場するゴンゲサマ(権現様)を祀る神社でもあり、心願成就、合格祈願などあらゆるご利益があるとされています。
他にも参拝したいお社
本殿をお参りしたあとは、自分の干支に合わせた守護神社の十二支社、朱塗りの稲荷社・山神社・天神社・甲子社があるので参拝しましょう。
珍しい猫神社も
遠野郷八幡宮には、全国的にも珍しい猫神社があります。猫神社の建立には、次のようないきさつがあったそうです。2001年(平成13年)に幼名をトラキチと名付けられた猫は、遠野市松崎町八幡で生まれます。トラキチは、生後間もなく里子に出されますが、気性が荒く家主と仲良くできず生家に引き戻されます。しかし間もなく家出したトラキチは、野良猫となります。同年、例祭宵宮祭で神前に供えていた魚を食べられる事件が起き、一匹のトラ猫が本殿より逃走する姿が目撃されます。
当初、神主も敬遠していましたが、以前、神社で飼っていたトラ猫とそっくりだったことから「生まれ変わりでは」と、五匹目の社務猫として迎えられ「オトラ」と命名されました。毎日朝夕に神社参拝を欠かさず、社務所から神社まで参拝者を先導して歩く姿が雑誌やテレビにも取り上げられ、遠野郷八幡宮の名を広めたとも言われています。しかし2013年(平成25年)9月本殿に参拝する姿を最後に八幡山へと消えたそうです。
その後もオトラサマを偲び参拝する方も多いことから、その功績を称えオトラサマの姿を納めた猫神社が建立されました。社務所には、可愛らしい猫の御朱印が数種類あり、好みの御朱印(¥100)をいただくことができます。
遠野の河童は赤い?
柳田国男著の「遠野物語」には“他の地方の河童は緑といわれているが、遠野の河童は赤い。口が大きい”と記されています。遠野郷八幡宮の手水舎には、それを忠実に表現した焼き物が使用されています。お参りの際は、お見逃しなく。
広大で美しい馬場も見どころの一つ
遠野郷八幡宮の本殿前には広大な芝生が広がります。これは1661年(寛文元年)青森県八戸から遠野に村替えした南部直栄が造営したもので、一周450m、最大幅50mという広大な芝生の馬場になっています。このような馬場を持つ神社は、全国に2か所のみで、もう一つが島根県津和野の鷲原八幡宮です。そちらの馬場の直線が235m、幅が23mですから、遠野郷八幡宮の馬場の広さが際立ちますね。
このような馬場が造られたのは、中世紀、遠野が馬の大産出地であったことが関係していますが、もう一つの要因があります。南部氏が八戸から遠野へ移動して来た際、統治者不在の期間が長かったため遠野は荒れ放題だったそうです。それを治めるために「お祭り」に着目し、人々が集まれる馬場を整備し流鏑馬を奉納させ、神楽やしし踊りなどの芸能を踊らせ、人々の不満や不安を解消させたわけです。士農工商を超えた領民が一堂に会する交流の場こそ「遠野郷八幡宮例祭」の礎となるものでした。現在でも、9月中旬に行われる例大祭が有名で、地元の郷土芸能が一堂に会し、流鏑馬や神楽などが披露され多くの観光客が訪れます。

- 遠野郷八幡宮
- 遠野市 / 神社
- 住所:岩手県遠野市松崎町白岩23地割19地図で見る
- 電話:0198-62-2647
- Web:https://www.tono8man.com/