この記事の目次表示
奥の院の最も神聖な場所へ
玉川が隔てる聖域への道
奥の院の裏山の霊峰・楊柳山(ようりゅうざん)からの水が流れている玉川。橋の上流には卒塔婆(そとうば)と呼ばれる板が建てられています。水難事故や難産で亡くなった人たちの魂を清めて供養するためのもの。
この川には高野山七不思議のひとつ玉川の魚の伝承が残っています。…弘法大師は、玉川の魚を串刺しにして焼いていた男から、その魚を買い取った。その魚を川に放すと泳ぎだした…この言い伝えから玉川の魚にある斑点は串の跡と信じられ、今でも高野山の人たちは、ここの魚は食べないそうです。
橋が架けられていなかった時代、参拝者は必ず玉川に入って身を清めてから、弘法大師のいる御廟に向かいました。今も水行場が残され、高野山真言宗の信者たちが水行を行っています。
水行をしたい方は、御廟橋の手前にある水向地蔵のうち、どれか一体を選んで、水をかけると自分を清めたことと同じになるのだとか。
- 水向地蔵
- 高野町(伊都郡) / その他スポット
- 住所:和歌山県伊都郡高野町高野山550地図で見る
- Web:http://www.koyasan.or.jp
撮影禁止!真の聖域・弘法大師御廟
御廟橋では、朝6時と10時30分に生身供(しょうじんぐ)が行なわれます。今も空海が瞑想を続けているという、橋の向こうの弘法大師御廟に食事を運ぶ儀式です。御廟橋を渡る前と帰ってきた後には、合掌と一礼をお忘れなく。ちなみに、ここから先は撮影禁止です。
橋の奥に見える建物が燈篭堂。1,000年近く燃え続けている消えずの火が二つあります。一つは白河天皇が火を灯した白河灯、富豪の万灯とも呼ばれるもの。もう一つは、近親上人が献じた近親灯(きしんとう)で、自らの髪を切り売ったお金で献灯したお照にちなんで貧女の一灯ともいわれています。日が暮れると明かりがさらに引き立ってとても神秘的。
奥の院ではナイトツアーも行われているので、高野山に宿泊される方は参加してみては?
その奥にあるのが、弘法大師御廟。巡礼者が目指す最終目的地です。835年、62歳で入定した空海が今でも瞑想を続けているといわれ、そこで祈れば、弘法大師が必ず答えてくれるそうですよ。
- 高野山 奥の院 御廟橋
- 高野町(伊都郡) / 橋
- 住所:和歌山県伊都郡高野町高野山550地図で見る
- Web:http://www.koyasan.or.jp
【関連記事】[高野山]幻想的な体験!普賢院の宿坊と恵光院のナイトツアー
参拝を終えて、ほっと一息
参拝から戻ったら、社務所へ。ここでは巡礼者が納経帳に印だけでなく、御朱印もお願いできます。和歌山県などが開催しているスタンプラリーもありますが、スタンプを御朱印帳には押さないように!御朱印がいただけなくなります。
休憩所は自由に使えます。1日に何度か説法も行われているので、聞いてみたい方は、社務所でお尋ねください。
刻み続ける歴史!増え続ける奥の院の墓
被害者を悼む災害慰霊碑
これまでは歴史の記録に残る人物などの墓石を紹介してきましたが、奥の院では私たちの記憶に新しい被害の墓石や慰霊碑が、今もなお、どんどん作られています。
太平洋戦争の戦死者や阪神淡路大震災、2011年未曾有の大災害をもたらした東日本大震災の慰霊碑も建てられました。この慰霊碑が、数百年後にこの奥の院を訪れた人々に、被害の甚大さを伝えてくれるでしょう。
番外編!おもしろ墓石を探せ
これまでお墓は家族単位で作られてきましたが、最近になって変化が…企業のものも作られているんです。巨木によって静寂に守られていた旧参道一の橋から御廟橋の間にあるのが、パナソニックと江崎グリコの墓。
パナソニックの創始者の松下幸之助は和歌山出身なので、縁が深いのかも。企業のお墓には名刺を入れる箱も作られています。
新参道と呼ばれる御廟橋と中の橋会館を結ぶ道には、おもしろい企業のお墓がたくさん!コーヒーカップのUCCやヤクルト形をした墓石。奥の院って意外と柔軟…
一瞬、目を疑いますが、ロケットが建てられているのは新明和工業の墓石。そして極め付けは、シロアリ対策協会のお墓。形は普通ですが、文言が…「しろあり やすらかにねむれ」。不謹慎とは思いつつ、ちょっと笑ってしまうかも。
- 高野山 奥之院
- 高野町(伊都郡) / 寺 / パワースポット / インスタ映え / 紅葉
- 住所:和歌山県伊都郡高野町高野山550地図で見る
- Web:http://www.koyasan.or.jp