神戸一の繁華街、三宮駅近くにある「生田神社」から、徒歩10分ほどのところにある「四宮神社」。とても小さな神社なのに、芸能人もお忍びで参拝に来るとか?!そんな四宮神社について、詳しくご紹介いたします。
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神戸八社の一つ【四宮(よのみや)神社】
神戸一の繁華街が 三宮(さんのみや)であることは有名ですが、なぜその地名なのかご存知でしょうか?「三があるということは、他の数字もある?」と思われた方は正解です! 神戸には、「神戸八社」 と呼ばれる一〜八の数字がついた神社があるのです。
今回ご紹介するのは、その八社の一つ【四宮神社】ですが、なぜ八社もあるのか気になりませんか?
「神戸八社」は別名「生田裔神八社」
- 出典:tripnote.jp生田神社
三宮駅 から近いところに、神戸三大神社の一つの 生田神社 があります。生田神社は、201年に 神功皇后 が建立して以来、多くの民から崇敬を受けてきました。長い長い歴史を刻み、神戸という街を古代から作ってきた神社として、今でも多くの人が参拝に来られます。
その建立の際、 神功皇后 は、生田神社を守り囲むように8つの 裔社(えいしゃ) も建立します。これを 神戸八社、または 生田裔神八社(いくたえいしんはちしゃ)と呼びます。
“裔(えい)” とは “子孫” という意味。生田神社の主祭神、稚日女尊(わかひるめのみこと)は天照大神の幼少の頃の呼び名で、天照大神が産んだ八神それぞれが、一〜八社の主祭神となっているので(七宮神社だけは別例)、「裔社」と呼ばれています。
生田神社の裔社「八社巡り」も観光客に人気
生田神社、そして生田裔神八社を建立した 神功皇后 は、これらの神社を巡拝されました。その順番が今の数字に表れています。
古来から、節分の日にこの八社を巡拝して、厄を払い願いを祈る風習「八社巡り」があります。今では節分に限らず、地元の方も観光客も、多くの人が「八社巡り」でご朱印を集めるなどしています。
【四宮神社】が芸能人までも訪れるワケ
四宮神社 は、4番目の巡礼社ではありますが、もちろん四宮神社にだけ訪れる方も多くいます。その中でも、よく聞かれるのが 芸能人 もお忍びで参拝される、という話。そのわけは、四宮神社に祀られている「市杵島姫命(イチキシマヒメ)」にあります。
イチキシマヒメ は「弁財天」とも言われ、「弁才天」とも書きます。七福神の唯一の女神「弁天様」、といえば分かりやすいですね。弁天様は本来はインドの神様なので、なぜ日本の神様と同一神なの?と思われるかもしれませんが、インドから中国を経て日本に伝わるまで長い長い年月が経ち、同一化していったと言われています。
というのも、イチキシマヒメと弁天様には共通点があるからです。美しい女神、水を司る神、技芸や芸能、学問、商売繁盛にご利益があること など。
この中でも、「弁財天」「弁才天」という名があるように、とりわけ財と才能、すなわち 技芸や芸能で財をもたらす ことにご利益があるとされるのが、 四宮神社 です。
「花街」として賑わった「花隈」の守り神
日本全国には、弁天様が祀られている神社は他にもたくさんありますが、なぜ 四宮神社 は特に 技芸と財 として注目を集め、芸能人が訪れるまでに至ったのでしょうか?
それは、「花隈(はなくま)」という街の中にあることが大きな要因です。JR元町駅とJR神戸駅の中間あたりにある 花隈、実はこの一帯は、戦前は神戸随一の 花街 としてとても賑わっていたのです。
広義では 遊郭 にまとめられますが、花街 で働く女性は、ただ体を売るだけではなく、美しく技芸が達者 で 商売繁盛 の役に立たなければ生きていけません。だから、美しさを得る、技芸や芸能が達者になる、商売繁盛・・・といったご利益を得ようと、多くの芸妓が足繁く参拝していたのです。言うなれば 花街の守り神。だから、芸能人として開花したい人がお忍びで参拝に来るようになったのですね。
「鬼門鎮護の神」でもある【四宮神社】
もう一つ、四宮神社 が崇められるワケがあります。それは「鬼門鎮護の神」でもあること。これは、弁天様には直接関係はなく、立地に大いな関係があります。
織田信長 が活躍していた安土桃山時代、花隈 には 花隈城 がありました。織田信長が荒木村重に命じて築かせた城です。その花隈城の 北東 、すなわち 鬼門 に位置していたのが 四宮神社。
鬼門(北東)は鬼が出入りできる方角として忌み嫌われ、かつては都や城を守るべく、鬼門や裏鬼門に、守り神として神社を設置していました。四宮神社は 花隈城の「鬼門鎮護の神」として崇められていたのです。
四宮神社を海側へ行くと、「花隈公園」という城壁のような石垣で造られた公園があります。これは観光客用に造られたもので、本当の花隈城は今となっては跡形もありません。でも、四宮神社が 花隈城の「鬼門鎮護の神」であったのですね。
そんなこともあり、さまざまな時代を経ても、今もなお地元の人たちに親しみのある神社として佇んでいます。夏祭りや餅つきなども境内で行っているのですよ♪