聖域・奥の院は高野山の信仰の中心。弘法大師・空海が今もなお、世の平和と人の幸せを願って瞑想を続けていると信じられています。弘法大師が入定しているという御廟までの2㎞の参道には、樹齢数百年を超える大樹が連なり、その間に20万基を超えるという諸大名から庶民の墓石や慰霊碑などが並んでいます。その静かで厳かな空間は、墓地であることを忘れるくらい安らかで穏やかな時間を与えてくれます。日本人だけでなく、外国人をも魅了する仏教の聖地・奥の院をご案内します。
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樹齢1,000年以上の並木が誘う聖域へ
高野槇や杉の巨木が守る参道
高野山の町の中心からバスで5分ほど、一の橋口か奥の院口のバス停で降りて奥の院へ向かうと見えてくるのが一の橋。正式には大渡端(おおばし)とも呼ばれる弘法大師御廟(ごびょう)に向かう参道の入り口です。
一の橋の前では、入る時も出る時も、合掌と一礼をするのが作法…気がひきしまります。
まず圧倒されるのが、道の脇を連なる巨木たち。自分一人の腕では抱え込めない太さの木々は、古いもので樹齢1,000年以上とか…思わず見上げてしまいます。
- 高野山 奥の院 表参道 一の橋
- 高野町(伊都郡)
- 住所:和歌山県伊都郡高野町高野山555地図で見る
- Web:http://www.koyasan.or.jp
苔むした墓石と木々の中を進む
聞こえてくるのは鳥のさえずりと木々のざわめきだけ。無心になって歩くのが心地好くなってきます。
時折、すけ笠に白装束の人たちとすれ違いますが、よく見ると外国人巡礼者かもしれません。
大小様々なお墓が立ち並ぶ中、いろんなお地蔵さまが…木の株に埋もれていたり、切り株に乗せられていたり…大きなものにも小さなものにも、ほとんど服を着せられているのが印象的。厳しい冬の寒さでも、寒くないようにと着せてくれた人々がいたのでしょうか。
長く感じるはずの距離ですが、いつまでも歩ける気がします。湧き水が流れる参道の小さな側溝も苔むして、悠久の時の流れを感じそう。
聞こえてくるかも?静寂が伝える歴史の記録
穏やかに眠る諸大名と名士の痕跡
参道にはおよそ1,200年間の歴史や痕跡が刻まれています。
弘法大師が休憩で腰掛けたと伝えられている石、腰掛け石(息処石)。その近くには武田信玄公の墓所もあります。
紀州徳川出身の第8代将軍吉宗公の墓、一方で、徳川が滅ぼした豊臣家の墓も…
真言密教には誰もがみな平等であるという教えがあるため、ここでは敵味方の区別がなく供養されています。生前の因縁すらも包み込むその懐の深さが、この安らかな空間を作っているのでしょうか。ちなみに高野山内には徳川家霊台があり、金剛峰寺の家紋やは豊臣のものです。
松尾芭蕉も1688年に奥の院を訪れています。「父母の しきりに恋し 雉子の声」…雉子(きじ)は、子を思う気持ちが強い鳥だとされるが、その声を高野山で聞くと、亡くなった両親のことがひとしお偲ばれる…という意味の俳句です。
雉子は春先から初夏にかけて繁殖期に鳴くそうです。耳をすませば、芭蕉の気持ちになれるかも。
残る不思議な言い伝え
一の橋と御廟橋の中間にある中の橋。手水橋(ちょうずばし)とも呼ばれます。この橋の架かる川は、三途の川を表しているといわれ、中の橋から先は死の世界に入るとか…もう一つの聖地壇上伽藍が修行僧たちの生の修行場だとすれば、奥の院は死の修行場なのかもしれません。
中の橋を渡ってすぐのところにあるのが、汗かき地蔵。その名の通り、いつも汗をかいていると伝えられるお地蔵さまです。そのわけは、人々の苦しみを身代わりに受けているからとか。本当の苦労を知っている人ほど謙虚なもの...小さなお堂なので素通りしがちですが、参拝を忘れずに。
汗かき地蔵のすぐ脇にあるのが姿見の井戸。別名は薬井です。弘法大師が掘ったと伝えられ、昔から井戸の水で目を洗えば、どんな目の病気も治ったといわれています。
ただ、恐ろしい言い伝えも…井戸を覗き込んで自分が映っていなければ3年以内に死ぬ…試すも試さないも自己責任でお願いします。
しばらく参道を進むと見えてくる階段が覚鑁坂(かくばんざか)。43の階段は、42(死に)を超えるという意味があるそうです。
そして、この階段にも別名が…京都の清水寺近くの坂と同じ三年坂。由来はもちろん、途中で転ぶと3年以内に死ぬと伝えられているためです。歩くときはご注意ください。
- 汗かき地蔵
- 高野町(伊都郡) / その他スポット
- 住所:和歌山県伊都郡高野町高野山555地図で見る
- Web:http://www.koyasan.or.jp