高野山の玄関口として知られた九度山は、弘法大師・空海の母が晩年に住んだ場所でした。女人禁制が続いた高野山に代わって、慈尊院は女人高野として、1,000年以上にわたり女たちの思いや願いを受けとめ続けています。名前の由来は弘法大師と慈尊院に滞在した母の物語から来ているとも伝えられている九度山。真田幸村だけではなく、弘法大師の痕跡や慈尊院があり、歴史の古い果物・柿の産地でもある高野山の玄関口をご紹介します。
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高野山と深い縁がある町・九度山
高野山への途中駅!九度山
高野山駅への途中駅九度山。駅は真田幸村一色ですが、もともとは高野山への入り口として1,000年以上も前から知られています。
ここ九度山は知られざる歴史の主要人物がひそかに住んだ場所でもありました。
蟄居を命じられた真田幸村はもちろん、明治時代に不平等条約の解消や下関条約を締結した外務大臣・陸奥宗光も、幼少期には謀反の疑いをかけられた父親から引き離されて九度山に流されていたといいます。
高野山奥の院でみんな平等に祀られているように、誰でも受け入れる九度山。高野山と相通ずる懐の深さがあるようです。
九度山の町に残る弘法大師の痕跡
子供の頃から大阪府和泉市にある槇尾山の弁財天を信仰していた弘法大師は、高野山を開いた後も毎月九度は紀ノ川の向こうにある槇尾山を参詣していました。
ところが川が増水したとき、弁財天が現れ「参詣するのはこの土地でいい」と伝えた場所が、この対面石なのだとか。母と対面した場所という説もありますが、それは明治時代に作られた話のようです。
紀ノ川へ流れ出る丹生川を渡り、道の駅くどやまを過ぎ、紀ノ川沿いを進むと左手に慈尊院への参道が見えてきます。参道には慈尊院に関連する建物が…
ここの寺紋は高野山金剛峰寺と同じ三つ巴と豊臣家の家紋。高野山とのつながりを感じます。
女人高野!1,200年を迎えた慈尊院
乳がんのお守りも!あとを絶たない女性の祈願
およそ1,200年前、高野山を一目見ようと四国からやってきた、弘法大師の母、玉依(たまより)御前。しかし、高野山は女人禁制。たとえ母といえども入山は許されませんでした。そのため、ここ慈尊院(当時の寺務所)に滞在したと伝えられています。
母が亡くなった時、弘法大師は母が弥勒菩薩になった夢を見て、廟堂を建てたといわれています。
一瞬目を疑う慈尊院の絵馬...女性の乳房をかたどったものです。女性の高野山参りの最終地であったため、子宝、安産、育児、授乳等の女性にまつわるご利益があるといわれています。昔から大勢の女性たちがこの慈尊院へ参拝に訪れました。
今でも全国各地から婦人科系の病を患った女性はもちろん、その伴侶も訪れて、祈願をしていくそうです。地元の紀和ブレストセンターと一緒に制作したという乳がんのお守りもあります。社務所では親切な住職がお守りの御利益などを説明してくれますよ。
弘法大師は孝行息子!九度山の由来
弘法大師は月に九度、母を訪ねたと伝えられています。それが町の名前の由来、九度山。
母に会おうと、3日に1度のペースで、20キロ以上の道のりを高野山から歩いてやってきた弘法大師。今も昔も、そして聖人にとっても母親の存在は特別なものなのだと改めて思います。
今にも崩れ落ちそうな慈尊院を囲む土塀・築地塀は県指定文化財。和歌山県で一番古い壁なのだとか。境内の周囲三方向を約250mにわたって慈尊院を守っています。
- 慈尊院
- 九度山町(伊都郡) / 女子旅 / パワースポット / 寺 / 穴場観光スポット / 世界遺産
- 住所:和歌山県伊都郡九度山町大字慈尊院832地図で見る
- 電話:0736-54-2214
- Web:http://jison-in.org/
子を思う母の気分で?丹生官省府神社
慈尊院の門を入って正面にあるのが、丹生官省府(にゅうかんしょうふ)神社。高野山の広大な領地の守り神です。
高野山に入れない女性たちは高台にあるこの場所から高野山を眺めていました。神主さんによると拝殿から見て右側の灯篭の先のあたりに見える尖った山、これが高野山だとか。
丹生官省府神社と慈尊院は、もともとは1,000年以上も同じ神社仏閣とされていましたが、明治時代の神仏分離の政策で、お寺と神社とに分けられたそうです。
- 丹生官省符神社
- 九度山町(伊都郡) / 神社 / 世界遺産
- 住所:和歌山県伊都郡九度山町慈尊院835地図で見る
- 電話:0736-54-2754
- Web:http://niujinja.sakura.ne.jp/