京都・河原町エリアには、新選組の活躍で有名な池田屋跡地をはじめ、坂本龍馬が暗殺された近江屋跡地など、幕末の英傑にまつわる史跡がたくさんあります。今回は、木屋町通(きやまちどおり)を中心に、幕末の軌跡をたどるお散歩コースをご紹介します。
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坂本龍馬遭難の地・近江屋(おうみや)跡地
坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺されたことで知られる近江屋跡地は、河原町通の四条河原町と河原町三条の間にあります。
現在は当時の建物は残っておらず、史跡としての石碑と説明書きの書かれた立札が立っているのみですが、龍馬ファンなら是非とも訪れたい場所のひとつです。
坂本龍馬の京都駐屯地・酢屋(すや)
京都での龍馬の駐屯地だった木材店、酢屋。実際に龍馬が住んでいた2階は当時の間取りが復元されており、今も大切に保存されています。
酢屋は海援隊の京都の拠点でもあり、昭和3年には天井裏から「海援隊日記」や「異国船渡来日記」などが発見されました。特に「海援隊日記」は龍馬の最期が記述された貴重な史料となっています。
- 酢屋
- 二条・烏丸・河原町 / その他スポット / 雑貨・インテリア
- 住所:京都市中京区河原町三条下ル龍馬通地図で見る
- 電話:075-211-7700
- Web:http://www.kyoto-suya.co.jp/ryoma/index.html
土佐藩邸跡(とさはんていあと)
龍馬をはじめ、幕末に活躍した多くの土佐藩士達が出入りしていた土佐藩邸の跡地です。
正確には、現在の旧立誠小学校一帯が土佐藩邸でしたが、現在は木屋町通に名残りの石碑が残っているのみです。
池田屋跡地
三条通にある池田屋騒動の跡地。1864年6月5日、近藤勇率いる新選組隊士が当時この地で営業していた旅籠「池田屋」で尊王攘夷(そんのうじょうい)派を襲撃したのは、あまりにも有名な話です。
新選組と言えば池田屋を思い浮かべる人も多いと思いますが、それだけ大きく歴史に影響を残した池田屋は現在、「旅籠茶屋(はたごぢゃや) 池田屋 はなの舞」となってその姿を後世に伝えています。
店内は、時代劇などの池田屋騒動シーンでお馴染みの大階段や、当時の帳場の様子などが再現されており、お食事のみならずアミューズメント的要素も楽しむことが出来ます。
- 旅籠茶屋 池田屋 はなの舞
- 二条・烏丸・河原町 / 居酒屋
- 住所:京都府京都市中京区三条通河原町東入中島町82 申和三条ビル地図で見る
- 電話:075-257-8122
- Web:https://www.chimney.co.jp/shop/kansai/0633ikedaya/
新選組隊士の刀傷跡・三条大橋
三条大橋のかたわらにある弥次喜多像のたもとから歩いて2本目の擬宝珠(ぎぼし)には、池田屋騒動の時に新撰組隊士が付けたものと伝わる刀傷が残っています。
傷自体はそんなに大きな物ではありませんが、記念に触っていく人が多いためか傷の部分が変色しているので、すぐに見つけることが出来るはずです。
佐久間象山(しょうざん)遭難の地
動乱の京都で開国佐幕派の策士として活動していた佐久間象山。幕末きっての思想家、兵学者であった象山の教え子には、勝海舟(かつかいしゅう)、吉田松陰、坂本龍馬などが名を連ね、象山の思想や知識に多くの影響を受けていました。
しかし、元治元年(1864年)、三条小橋にほど近い場所で、尊王攘夷派の刺客によって暗殺されてしまいます。
石碑は三条通木屋町、三條小橋のたもとにありますが、実際に暗殺された場所はもう少し北のほうだそうです。
- 佐久間象山・大村益次郎遭難の碑
- 二条・烏丸・河原町 / その他スポット
- 住所:二条木屋町下る一之船入町地図で見る
古高俊太郎(ふるたかしゅんたろう)邸宅跡
薪炭商、古高俊太郎が升屋を構えていた跡地です。古高は商人の立場を利用して諜報活動や武器類の調達に奔走しましたが、その結果、新選組に捕まり拷問されてしまいます。
激しい拷問の中、ついに古高は御所に火を放ち天皇を強奪する計画があることを自白してしまい、それが池田屋騒動のきっかけとなったのでした。
終わりに
今回ご紹介したコースは、すべて徒歩圏内でまわることが出来るお散歩コースとなっています。河原町界隈に行く機会がある幕末ファンの方は、是非一度立ち寄ってみてくださいね。