アヤソフィアはトルコ・イスタンブールで一二を争う観光スポットとして有名な博物館です。ビザンツ建築の最高傑作といわれるアヤソフィアは、長い歴史とともに、何度もその姿を変えて現在に至るということをご存知ですか?聖母子像やモザイク画など、魅力満載のアヤソフィアの見どころを、余すところなくご紹介します!
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アヤソフィアとは?
ビザンツ建築の最高傑作
アヤソフィアはトルコ語でAyasofya Müzesi(アヤソフィア・ミュゼスィ)といい、トルコ・イスタンブールのスルタンアフメット地区にある博物館です。
西暦325年、コンスタンティヌス1世のときにアヤソフィアのもととなる教会の建築が始まりました。古い時代の遺構がいまも敷地内に残っています。
その後は何度か焼失を繰り返しますが、537年、ユスティニアヌス皇帝のときにビザンツ様式の大聖堂が完成し、ビザンツ帝国時代が終わるまではギリシア正教の大本山として君臨し続けました。
聖堂からモスク、そして博物館へ
1453年、コンスタンティノープルが陥落してオスマン帝国の時代が始まると、当時のスルタン(オスマン帝国の支配者)、メフメット2世によって、聖堂はモスクに変えられました。モスクに付属する泉亭といわれる、礼拝前に身体を洗い清める場所が、エントランス付近に残されています。
イスラム文化を思わせる、美しいアラビア文字にも注目です。
その後、時代を経て、トルコの初代大統領アタテュルクによってアヤソフィアは博物館として一般公開されるようになり、現在に至ります。時代によって何度も姿を変えたアヤソフィアには見どころがたくさん!どこに注目すればより楽しめるのか、ご紹介します!
アヤソフィアの見どころ☆1階部分
宗教が共存する空間を体感しよう!
1,600年以上前から続く歴史の重さを感じさせる空間に、きっと息をのむに違いない1階部分。入場してまず見えてくるのは、ビザンツ文化の象徴であるモザイク画です。キリストと、キリストに礼拝をする皇帝が画かれています。
そして歩を進めると、大きなドーム状の天井に覆われた聖堂部分に入ることができます。
天井に描かれた聖母子像(ビザンツ帝国時代のもの)と、アッラーやムハンマドの名が書かれた大きな円盤(オスマン帝国時代のもの)が、同じ空間にあるのは、アヤソフィアが辿った複雑な歴史を物語っています。
南西側の玄関にあるモザイク画
中央に立つ聖母子の左側にはアヤソフィアを捧げるユスティニアヌス、右側にはコンスタンティノープルの街(イスタンブール)を捧げるコンスタンティヌスが画かれたモザイク画です。
玄関の上部にあるので見落としがちですが、歴史あるアヤソフィアならではのモザイク画なので是非見つけてください!
モスクとしてのアヤソフィア
オスマン帝国時代になってからは、アヤソフィアはモスクに変えられたため、カアバ神殿(メッカ)の方向を示すミフラーブや、説教壇のミンバルが設置されました。
ミンバルは近くでみることができるので迫力があります。
オスマン帝国時代、ここはイスラム教徒たちの礼拝の場であったことがわかります。また、聖母子像やアッラーの円盤のある方面の壁にひっそりと隠されたように、セラミックのタイルがあります。
鮮やかな色彩がひときわ目を引くこのタイルは、カアバの方向を描いているもので、アヤソフィアがモスクになってからの時代のものです。16世紀、17世紀ごろの美しい青のイズニックタイルが使われています。
スルタン マフムド1世の書斎
金ピカの装飾が見事なこの書斎は、時のスルタン、マフムド1世によって1739年に造られたものです。
16~18世紀にかけての様々な種類のタイル(イズニック、キュタフヤ)で装飾されています。
木製の梯子
二階の天井部分にまで届きそうなほどの背の高い梯子がひっそりと壁に埋め込まれるようにして収納されています。
この巨大な木製の梯子は19世紀後半に手作りされたもので、アヤソフィアの修復作業や掃除のときに使われたものです。
大理石の瓶
背の高さ以上の大きさで、美しい大理石でできている大きな壺のような形の瓶は、時のスルタン、ムラト3世によって古代都市ペルガモン(トルコ西部の都市)からもたらされたものです。
特別な日に水や飲み物を配るために使われていました。紀元前4~3世紀の古代ギリシャ時代のもので、一枚岩だというから驚きです!
すすり泣く柱
アヤソフィア内部に数ある柱のなかで、一本だけ穴があいている柱があります。よく見ると、穴の周辺の色がはげています。
別名、聖母マリアの手形ともいわれているこの柱は、穴に親指を入れて、残りの指を柱から離さずにぐるりと円を描くように回せたら、願い事が叶うなど、数々の言い伝えや伝説があります。見つけたら是非試してみましょう!