静岡県湖西市にある新居関所は、江戸時代に東海道の浜名湖西岸に設置され、箱根関所とあわせて最も重要な関所とされていました。現在は国の特別史跡に指定されており、日本で唯一、建物が残る関所として、歴史的に貴重なスポットです。周囲にはかつての宿場町の名残が残り、内部まで見学できる古い建物を関所から歩いて巡ることもできます。この記事では「新居関所」と、関所から徒歩数分で行くことができる、旅籠だった「紀伊国屋資料館」、芸者置屋だった「小松楼まちづくり交流館」を、あわせて紹介します。
この記事の目次表示
新居関所の歴史
新居関所はどういう場所で、なぜ建物が残ったのでしょうか?その歴史から説明させていただきます。
山の箱根関所 海の今切関所(新居関所)
新居関所は、江戸時代の東海道に設けられた関所で、浜名湖の西岸にある新居宿と東岸にある舞坂宿の間にありました。江戸幕府により最も重い関所と位置づけられていた東海道の関所が箱根関所と新居関所の2つであり、箱根関所とともに、厳しい取り調べが行われていたのです。
関連記事:歴史資料に基づき復元した【箱根関所】で江戸時代の旅人気分を体感!
ちなみに、現在は新居関所という名称ですが、荒井(新居)は町の名前であり、関所の正式名称は「今切(いまぎれ)関所」でした。
移転、倒壊を繰り返し・・・
- 出典:commons.wikimedia.org作者 Koshi2016 (投稿者自身による作品) [CC BY-SA 4.0 (http://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0)], ウィキメディア・コモンズ経由で
浜名湖と海がつながる開口部の西岸に建てられた新居関所は、津波や地震で何度も倒壊、移転を繰り返してしまいます。この付近の東海道が通行ができなくなった時期もあり、浜名湖の北を通る本坂通(ほんさかどおり)と、新居関所の裏番所として設置された「気賀(きが)関所」も利用されていました。
- 気賀関所
- 浜松・浜名湖 / 遺跡・史跡 / 穴場観光スポット
- 住所:静岡県浜松市北区細江町気賀4577地図で見る
- 電話:053-523-2855
- Web:http://www.kigasekisho.com/index.html
日本で唯一の現存する関所
新居関所は嘉永7(1854)年にも地震で倒壊し、安政5(1858)年までの間に再建されました。ところが、明治2年(1869)に関所制度が廃止されます。各地の関所は壊されましたが、新居関所はそれほど古くない建物だったせいか、その後も小学校や役場として使われ、現在まで残ったのです。
そのような経緯から、日本で唯一の現存している関所であり、関所が利用されていた頃の当時を偲ぶことができる史跡が、新居関所なのです。
新居関所
新居関所史料館
入場は駐車場のそばにある受付からになります。チケットは3種類で、関所・紀伊国屋共通券、新居関所のみ、紀伊国屋資料館のみがありますが、お時間があればぜひ新居関所と一緒に紀伊国屋資料館も見学されることをおすすめします!
入場するとすぐに資料館です。新居関所の歴史の解説や、当時の旅人、武器など貴重な史料が展示されているので、先に資料館で予備知識をいれてからの見学がおすすめです。
渡船場跡
資料館の前には、2002年に復元された今切渡船場があります。現在では埋め立てられていますが、江戸時代の新居関所は湖岸に設けられており、渡船場の前には湖が広がっていました。
現存する建物
現在残っている建物は、面番所(めんばんしょ)・書院(しょいん)・下改勝手(したあらためかって)・足軽勝手(あしがるかって)になります。建物の中へは書院にあたる建物から入っていきます。
書院から中へ進んでいくと、面番所にはずらりと並ぶ役人が。それぞれ名前も記されています。
取り調べが行われていた面番所の前の広場。排水などを流していた石樋や、取調中に荷物を置いていたという荷物石も展示されています
面番所の建物の裏へまわると、中では女性の取り調べの様子をガラス越しに見ることができます。「入り鉄砲に出女」というのは、関所で厳しく取り締まるものを表した言葉ですが、新居関所では「入り女」=江戸へ向かう女性も厳しく取り締まっていました。
ただ、訪ねた2017年の時点では女性を取り調べていた「女改め長屋」の建物がなく、この人形がある建物は実は「足軽勝手」になります。女改め長屋は、現存してない他の建物とともに復元が進められているとのこと。今後が楽しみですね。
大御門・高札場・土塁
入場口から反対になる場所には、2015年に復元された大御門(おおごもん)、高札場(こうさつば)、土塁柵があります。この土塁で囲まれた広場は、関所に来た人の待機場所となっていました。
大御門から関所を出て、紀伊国屋資料館へ向かい街道を歩きます。途中に所々にある解説を見ながら、町並みを想像して歩くのも楽しいですよ。
紀伊国屋資料館
江戸時代の旅籠(はたご)で、紀州藩の御用宿(ごようやど)だったのがこの紀伊国屋です。旅籠は現代でいう旅館で、その中でも御用宿は役人などが公用で旅をする時に使用されました。とはいえ、紀州藩関連の客だけでなく、一般客の確保にも力を入れていたそうです。
紀伊国屋は宿場町でもあった新居の中で最大規模の旅籠でしたが、明治7年(1874年)の火災で焼失。再建されてから、昭和30年代まで営業していました。江戸時代後期の建築様式を残す貴重な建物ということで、平成13年(2001)に解体修理が行われ、公開されています。
1階の大広間では展示も行われています。旅日記から復元された食事にはうなぎの蒲焼が!うなぎのタレが入っていたというツボもあります。
風呂や台所土間なども作られています。
賓客用だったとされる奥座敷では、水滴が水面に落ちる音を竹筒から聴く仕掛け「水琴窟」も体験できます。
2階の広間では、江戸時代に使われていた形の枕も体験できます。時代劇でよく見かける枕ですが、現代の私たちにはかなり寝苦しいかもしれません。
- 旅籠紀伊国屋資料館
- 浜松・浜名湖 / 雨の日観光 / 博物館
- 住所:静岡県湖西市新居町新居1280-1地図で見る
- 電話:053-594-3821
- Web:http://kosaicity.com/shiryo.html
小松楼まちづくり交流館
紀伊国屋資料館を出てさらに数分歩いたところにあるのが、小松楼です。建物は近代のものですが、入り口の横には江戸時代の文政8年(1825年)と刻まれた石の常夜灯があります。
新居関所は関所制度が廃止された明治時代以後の役場などで利用され、周辺は官庁街となり、そこから少し離れたところに歓楽街ができました。小松楼はその歓楽街だった場所にあり、大正時代から昭和20年代まで芸者の置屋(おきや・芸者が待機している家)と小料理屋を営んでいた建物です。
建物は旧小松楼本館として国の登録有形文化財に指定され、地域の人々が活動拠点として利用しながら管理しています。1階は紀伊国屋の南にあった平屋建ての建物を移築したもので、2階を増築して営業していました。
2階の座敷には、小松楼にいた芸者さん達の写真や、当時使われていた楽器などが飾られています。ベンガラと呼ばれる赤い塗料で塗られた壁や、手すりのついた縁も、茶屋の雰囲気がありますね。
- 小松楼まちづくり交流館
- 浜松・浜名湖 / 観光案内所・ビジターセンター
- 住所:静岡県湖西市新居町新居1190-3地図で見る
- 電話:053-594-0540
- Web:http://a-machinet.org/komaturou.htm