ヤマトタケルといえば、日本神話の中でももっとも人気の高い神様の一人です。また三種神器のひとつである草薙剣(くさなぎのつるぎ)の名は、ヤマトタケルが使ったことにより名付けられたものです。今回は、ヤマトタケルが剣を使用して敵を打ち破ったことにご縁がある神社を巡る旅をご紹介します。
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静岡県焼津市 焼津神社
焼津市の名の由来
景行40年(西暦110年とされる)のこと、ヤマトタケルは父、第12代景行天皇の命に従い、あずまの国の蝦夷(えみし)討伐に向かっていました。その途中、逆賊に騙されて草むらの中で四方に火を放たれて焼き殺されそうになります。
その時に、叔母であるヤマトヒメから授かっていた天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)をもって草を薙ぎ払い、敵を破ることができました。この時から、天叢雲剣は敵を打ち払う神剣として草薙剣と呼ばれるようになったのです。
また火が野に放たれて焼け野原になったこの地を「やいつ」というようになりました。これが、焼津市の名前の由来です。
焼津神社ご祭神 ヤマトタケルノミコトの事
勇敢で利発なヤマトタケルは、兄の代わりに東征の任に就きました。この任に就く直前、ヤマトタケルは九州の熊襲征伐の任を得て戻ったばかりでした。ヤマトタケルは休む間もなく戦いに出かけなければならない兵士たちのことを慰労してやれないことを嘆いたそうです。
この東征に成功した後、美濃から伊勢へと帰還中にヤマトタケルは亡くなります。その時の兵士たちへの論功行賞(褒美)が、遺言のようになっています。
ヤマトタケルは九州から東北まで大移動を行いながら国の騒乱を鎮圧し、働きづめでした。自分が酷使されることを恨みに思いつつも戦いには勝利しましたが、挙句の果てにその身は風前の灯火となったのです。
その悔しさはいかばかりか計り知れませんが、我が身の哀れを置いても国のために働いた兵士たちへ熱いねぎらいの言葉をかけるその姿に誰もが涙し、その死を惜しみました。この時にヤマトタケルが残した、志半ばで逝く悔しさ、哀しさ、わが身の愚かしさへの自省の言葉は、長く日本人の心をとらえて離さないのです。
のぼり担ぎと神ころがしのご神事
さて、焼津神社の話に戻りますが、ここでは、珍しいお祭りが夏に行われます。その一つが8月12日の「幟担ぎ(のぼりかつぎ)祈祷」と「神ころがし」です。幟担ぎ祈祷とは、赤ちゃんが生まれて3年の間、その子の名を記した幟をもってお参りし、無事成長の祈願を受けるものです。
毎年7月1日~8月10日 8:30~17:00
8月12日当日の受付は~11:00
問い合わせ先/054-628-2444
神ころがしとは、幟担ぎ祈祷1年目の赤ちゃんが受けるもので、赤ちゃんを三度回し、鳴き声が大きいほど丈夫に育つと言われています。この神ころがしは、国選択無形民俗文化財になっています。
当日受付
初穂料/1,000円※首が座らない赤ちゃんは翌年にされるなど親御さんの判断で。
その他、東海一の荒祭りとして知られる荒祭は8月12日13日に行われます。神輿を担ぎながら4か所の御旅所を勇壮豪快に渡御し、夜11時ごろに神社に帰りつきます。焼津の人々が毎年心待ちにする祭りです。
焼津神社へのアクセス
焼津神社へは、JR焼津駅から南へ徒歩13分ほどで到着します。車の場合には無料駐車場(22台分)に停められますが、祭事の時には混雑が予想されます。
さて次は、草薙神社のご紹介です。
- 焼津神社
- 静岡 / パワースポット / 神社
- 住所:静岡県焼津市焼津二丁目七番二号地図で見る
- 電話:054-628-2444
- Web:http://yaizujinja.or.jp/
静岡県静岡市 草薙神社
ヤマトタケルが亡くなった後、父景行天皇はその死を悼み、ヤマトタケルの勲功の地をたどります。当地を訪れ、尊の奮闘の後を封じて一社を建立してヤマトタケルを奉祀し、御霊代の剣が奉納されたというのがこの草薙神社です。
「おちかたや しげきがもとを やきがまの」という祓い詞の由来
神社で御祈祷する時にのりあげられる祝詞の中にある一説、「おちかたや しげきがもとを やきがまの とがまをもちて うちはろうごとく のこれるつみはあらじものぞと・・・」の元は、ヤマトタケルが敵が放った野火を薙ぎ祓う焼津での事績によるものだそうです。
ご神木の大楠の威容
草薙神社の境内にあるご神木は、うねりながら龍のごとく天に張り出しています。外皮を残すだけになっている現在ですが、季節が来れば繁茂しご神木の威容を誇っているという事です。
草薙神社へのアクセス
草薙神社へはJR草薙駅からバスが1時間に2本ほど出ています。お車の場合は無料駐車場が数台あります。
さて、静岡のヤマトタケルを巡る旅。残すは静岡駅から北へ2.6kmのところにある静岡浅間神社へと向かいます。