「コテコテがええんやないかぃ!」そんな大阪にある5本の指に入る名所【新世界】と、そこに鎮座する【通天閣】。新世界で串カツを食べるだけ? 通天閣は見上げるだけ? いえいえ!楽しみ方はそれだけではありません。こう言う場所は楽しんだもの勝ち。ぜひ【通天閣】に登ってみてください♪
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大阪の【新世界】とは?!
【新世界】は大阪ガイドブックには必ず載っている観光名所ですね!実際に【新世界】という地名があるわけではなく、大阪ならではの「キタ」や「ミナミ」といったような、広範囲に渡る繁華街の “愛称” のようなものです。
この【新世界】が今注目されているのは、何と言っても「昭和の名残」を感じさせるレトロな街の雰囲気! でも実は、その昭和の頃、【新世界】は不景気だったんです。
キタやミナミはどんどん近代的なビルが建ちオシャレなお店も増える一方、【新世界】は変わることができなかった…それが、今になって昭和を知らない若い世代にウケており、新たな観光地として注目を浴びるようになっています。
でも…「なぜに名称が【新世界】?」 と思いませんか?
かつて【新世界】はテーマパークだった?!
新世界が出来た頃の当時は「ヨーロッパといえばパリ。アメリカといえばニューヨーク。」
そんな2大都市を真似しよう!ということで、パリの凱旋門 の上に エッフェル塔 をくっつけたような「通天閣」を建設。また ニューヨーク・コニーアイランドの遊園地「ルナパーク」を参考にし、名前もそのままの「ルナパーク」ができ、その間をロープウェイが通るまでに!(その当時の様子はこちら)
お膝元には、芝居小屋や映画館、飲食店が集まるようになり、テーマパークのような画期的な新しい街ということで【新世界】と名付けられた、というわけなのですね。
【ジャンジャン横丁】の昨今
新世界の名物通りといえば 【ジャンジャン横丁】。現在の正式名称は「南陽通商店街」ですが、やはり昔ながらのニックネームの方が知られています。
幅がとても狭いアーケードなのですが、マニアックなお店が立ち並ぶ雰囲気がまた観光客のツボをついています。串揚げで有名な大きなお店には観光客が列を成し、その間にある小さなお店は地元の人で賑わっている、そんな感じです。
【ジャンジャン横丁】は、今でこそ健全な通りになりましたが、かつては、大阪で有名な遊郭「飛田遊郭」と「新世界」をつなぐ道として賑わっていました。
ニックネームの「ジャンジャン」というのも、遊郭に行き来する人の客寄せで、あちこちで三味線をジャンジャン弾いていたからなんだそう。
「ビリケン」さんはアメリカ生まれ
新世界を散策しているとあちこちで見かけるのが、このお方。ゆるキャラやマスコットキャラクターなどではありません。
日本全国区で見ると意外と知られていないのですが、大阪では超有名!“幸福の神様” と呼ばれている【ビリケン】です。とんがった頭にツリ目の笑顔、足を前に投げ出して座っている姿で、“足の裏を撫でるとご利益がある” と言われています。
でも、このビリケンさん、 実はアメリカ生まれ!カンザスシティのイラストレーター「フローレンス・プレッツ」が、幸福の神様としてデザインしたんだそう。
この神様キャラクターがアメリカでは爆発的にヒットし、その頃オープンした「ルナパーク」にもビリケンさんがやってきました。パーク内に建てられた「ビリケン堂」は大人気だったらしく、それが今に続いています。
【通天閣】に登ってみよう!
東京タワー、スカイツリー、名古屋テレビ塔、神戸ポートタワーなどなど、各地には様々なタワーがありますが、 “天に通じる高い建物” という意味を込めて【通天閣】と名付けたのは、なかなか粋ですね。
新世界の界隈は高いビルがないので、どこからでも通天閣が見えます。そして、様々な写真スポットも。
上の写真は、通天閣の南にある「ビリケン神社」や、ふぐ料理で有名な「つぼらや」のある四辻からの光景です。
周囲の “コテコテなお店の看板” も入る、大阪らしい良いアングル!多くの観光客が写真を撮っているので、場所はきっとすぐにわかると思います。
でも、せっかく行くなら、外から写真を撮るだけじゃ、もったいない!!通天閣に登ってみましょう!
…とその前に。
少〜し通天閣の歴史についてご紹介いたします。これだけでも知っておくと、また訪問する際の面白さが増すと思いますヨ。
世界大戦での壊滅…からの復活!
冒頭にも紹介しましたが、1912年に建設された初代の通天閣は、パリの凱旋門の上にエッフェル塔!という奇抜なデザインで、「日本一高い塔!」と新世界のシンボルとして大賑いでした。しかし、第二次世界大戦の真っ只中の1943年に、脚下の映画館からの大火災に巻き込まれてしまいます。
戦時中で「金属類回収令」が発令されたこともあり、通天閣は修復されることなく、あっけなく解体。加えて、1945年3月には大阪大空襲があり、新世界自体が壊滅状態に。
でも、日本降伏後の復興中、大阪と同じく大空襲に遭った名古屋に 「名古屋テレビ塔」 ができたことに触発され、「やっぱり通天閣がないとあかん!」という地元の動きが急速に進み、1956年に2代目通天閣が開業!そして今に至る…というわけです。
ちなみに、通天閣の設計者は、 名古屋テレビ塔 や 東京タワー なども手がけた内藤多仲さん!「耐震構造の父」と呼ばれる功績者です。
以上の歴史を踏まえたところで、通天閣の内部をご紹介します!
通天閣の構造について
通天閣は主に、低層部(B1F、1F、2F、3F、3F屋上)と、展望台にあたる高層部(4F、5F)に別れています。
チケット売り場はB1Fにあるので、1Fの入口から階段で降りていきましょう。
地下へ入るとすぐにチケット売り場があります。カラフルでテーマパークのような楽しい雰囲気!
入場料がかかるのは2F〜5Fで、大人(高校生以上)は800円、5歳以上は400円です。そのほか、団体割りや障害者割りもあるので、ホームページをご確認ください。なお、B1Fのチケット売り場の外にあるお土産屋さんは入場料が無くても入れます。
1F入口の真上には【初代通天閣 復刻大天井画】
通天閣の内部に入る場合、一旦、地下へ入りますが、その前に、ぜひ天井を見上げてみてください。レトロな大天井画があります。
クジャクや季節の花々を配した華やかな天井画には、「クラブ洗粉」や「クラブ白粉」、「クラブ化粧水」に「クラブ歯磨き」と、当時、爆発的に売れた「クラブコスメチックス」の商品名が描かれています。
実は、これは初代通天閣エントランスの大天井の復刻版!平成27年に免震対策工事が行われたのですが、その際にクラブコスメチックスが寄贈したそうです。
それでは、さっそく通天閣の最上階5Fの展望台へエレベーターで昇りましょう!チケット売り場のあるB1Fから、2Fで一旦エレベーターを乗り継いで行きます。