青森県・青森市にある三内丸山遺跡。ここは、5,500年〜4,000年前の集落の跡です。遺跡には復元された住居が建ち並び、かつて確かにここに集落があり人が暮らしていたことが、目で見て理解できる作りになっています。今回は、日本最大級の縄文時代の集落跡、三内丸山遺跡を案内します。
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意外と良い三内丸山遺跡へのアクセス
遺跡というと辺鄙なところにありそうですが、三内丸山遺跡は比較的アクセスが良く、青森駅前の青森市営バス乗り場(6番)から市営バスで30分、シャトルバス乗り場(7番)から「ねぶたん号」で30分ほどで到着します。新青森駅からの場合「ねぶたん号」で15分ほどの距離です。
バスは1時間1本程度あるのでそこまで困らないと思いますが、スケジュール次第ではタクシーの使用も検討しましょう。車で直接目指せば、青森駅から20分、新青森駅から10分程度の距離です。
500の重要文化財が展示されている「さんまるミュージアム」
三内丸山遺跡への入り口となるのが、この「縄文時遊館」です。この建物を通過すれば三内丸山遺跡はすぐそこですが、まずはあわてずに三内丸山遺跡からの出土品を見ていきましょう。
「縄文時遊館」の中には「さんまるミュージアム」という入館無料の博物館があります。重要文化財500点をふくむ1,700もの展示品を持ち、縄文土器はもちろん、5,500年前に作られた緻密な作りの網かご、耳飾りやヘアピンなどの装飾品、水晶でできた透明な石鏃(矢の先端)などが展示されています。予想以上の精巧さにきっとおどろくはずです。
なお「縄文時遊館」には売店やレストラン、トイレやコインロッカーもあります。縄文時代の出土品を見学して、身支度を整えたらいよいよ三内丸山遺跡へと進みます。
当時の集落を復元展示
「縄文時遊館」を抜けると、そこには復元された縄文時代の集落が広がっています。
建ち並ぶ竪穴住居群。竪穴住居は、穴を掘って床とし、その周りに骨組みを作って屋根をふいた建物です。一口に竪穴住居といっても、屋根の作りは様々です。
茅ぶきの竪穴住居。竪穴住居と聞いてまずイメージするのはこのタイプだと思います。
樹皮ぶきの竪穴住居。
土ぶきの竪穴住居。
竪穴住居は中に入ることができます。
掘立柱建物。地面に穴を開け柱を建てて作られています。地面に炉や床の跡がないことから高床式と考えられます。
大型竪穴住居。長さは何と32メートル。集合住宅、あるいは集会場として活用されたそうです。
大型竪穴住居内部。普通の竪穴住居と比べると広さは30倍もあり、かなり堅牢な作りです。
大型掘立柱建物。柱の間隔は4.2メートルあります。直径1メートル、高さ23メートル〜25メートルの柱が建てられていたと考えられています。
大人用の墓、土坑墓。道路の両脇に列になって作られていました。ヒスイのペンダントや石器などの副葬品が入っているものも発見されました。
子ども用の墓。大人の墓とは別の場所にあり、埋設用土器に入れられて葬られていました。
今でも発掘調査の続く三内丸山遺跡
三内丸山遺跡はすでに江戸時代には知られており、山崎立朴という人物が1623年に記した『元禄日記』が、記録されている文献としては最古とされます。また、学者であり紀行家の菅江真澄が1799年に現地を訪れ、土器や土偶のスケッチと考察を残しています。
1953年になると慶應義塾大学などにより発掘調査が始まります。1967年には青森市教育委員会が調査を始め、1976年には同委員会により大人用の土坑墓56基が発見されています。1992年の発掘調査では、前例のない大規模な集落跡や土器や石器、土偶などが発見されます。1994年7月には、大型掘立柱建物の跡が発見され、保存を求める声が高まり、整備が進められます。1997年3月には国指定史跡、2000年11月には特別史跡に指定されました。
三内丸山遺跡は現在も発掘調査が進められています。調査内容は公式HPで考察と写真つきで随時更新されていくので、見ていてワクワクしてきます。
アクセスが良い上に無料で見学できる三内丸山遺跡。青森観光の際は、ぜひ予定に組みこんでみてくださいね。
関連リンク
- 三内丸山遺跡
- 青森市 / 遺跡・史跡 / 観光名所 / 遊び場 / 世界遺産 / ツーリング
- 住所:青森県青森市三内丸山地図で見る
- 電話:017-781-6078(内丸山遺跡 縄文時遊館)
- Web:http://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/