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[2]建築の専門家も注目!一級建材や輸入品をふんだんに使用した建物
館内に使用されている一級建材
館内で使用している建材は、節や傷などが一切入っていない、非常に良い部分だけを使うという贅沢な木の使い方をしています。また、海外から高級ガラスや調度品を輸入して使用している建物でもあります。
その理由は、明治40(1907)年に起こった大火の直後に、復興のシンボルとして建てたことによります。本来の初代相馬哲平氏は、質素倹約を徹底していた人でしたが、大火後、焼け出された市内の人々は簡単なバラック小屋を建てて生活していたので、いち早く、当時一級品といわれる銘木を全国から買い集め、多くの人を雇って資金を還元するために建てた家といわれています。
現在は手に入らない贅沢な建材をふんだんに使用していることから、建築の専門家にも注目されている建物です。
洋室に見られる高級ガラスや調度品
海外から取り寄せた高級ガラスや、調度品をふんだんに使用している洋室も見ごたえがあります。この洋室は大切なお客様を接待するためのお部屋で、美智子皇后陛下のご両親、正田ご夫妻もお見えになり、このお部屋で接待した記録が残っているそうです。
洋室の取っ手は、当時ヨーロッパで流行っていたガラスで、ライトを当てると発光します。
柄の入ったガラスは、当時の日本では、まだ造ることが出来なかったそうです。洋室の壁に付けられたガラスは海外からの輸入品で、大きさから考えても大変高価な品だったことが分かります。このガラスの向こう側は廊下になっており、洋室の明かりで廊下を照らす効果がありました。
[3]欄間や釘隠し、障子枠などの意匠技術
多くの大工を雇い、あまり細かい注文をせずに持てる技を存分に発揮してもらった結果、いろいろな種類の意匠技術を一軒の館で見ることができるという、非常に珍しい結果となりました。
四君子(しくんし)(「蘭」「竹」「菊」「梅」4種類の草木のことで、古来中国では吉祥文様とされていた)が彫られた欄間は大変美しいと思います。
他の部屋は別な大工が担当しており、まったく違う技術を使った欄間を見ることができます。
釘隠しも多くの種類が用いられています。一例は以下のとおりです。
また障子の繊細な桟も見事で、しかも見る角度によって見え方が違う技法が駆使されており、素晴らしいです。
建物の壁や窓枠の装飾も美しいので、是非見てみてくださいね!
[4]来客用洋室の彫刻等と「旧函館区公会堂」の類似性
函館元町のランドマーク的存在感を遺憾なく発揮している「旧函館区公会堂」は、その建設費用のほとんどを初代相馬哲平氏が寄付しています。そして旧函館区公会堂の彫刻等は、旧相馬邸の洋室をモデルにしたといわれています。
カーテンボックスや扉上の飾り彫刻の類似性
シャンデリアの飾り彫刻の類似性
絨毯と床板の造りの類似性
その他、似たところを探してみるのも面白いと思います!
[5]当時としては珍しい!お客様への気配りとしての工夫
冬はタライの水が凍る寒さになるため、来客用手洗いは、タンク下の引き出しに炭を入れて、蛇口からお湯が出る工夫をしていました。
また冬の寒さを少しでも和らげるため、洋室の窓は、当時としては珍しく二重窓になっています。内側の窓は引き戸で、外の窓はアップダウンの窓という構造で、2枚が縦横に組み合わさることで、すきま風を防ぐという工夫が施されています。
[6]国内では函館だけ!民家の下に「旧イギリス領事館」
七つの海を制覇していた大英帝国の領事館があるのは、国内では函館・横浜・下関・長崎の4箇所だけですが、そのうち一般民家から見下ろされる場所に位置するのは、函館だけです。相次ぐ大火で移転を余儀なくされているうちに、意図せず、このようなことになったそうです。
写真の赤っぽい屋根が「旧イギリス領事館」です。
[7]ブラタモリで放送!大火で焼けた柱が保存され、専門家も大注目の「函館大火資料室」
現在、2階の納戸は「函館大火資料室」として、写真の展示と、ガラス張りの窓から炭化した棟木や垂木を見ることがでるようになっています。当時のままにしてある電気配線の様子も見ることができ、学術的観点から建築家や電気関連の専門家にも注目されています。
実はこの納戸、NHKのブラタモリ放送時(平成27(2015)年)は、タモリさんが壁の下の小さな通路をくぐって、炭化した建材をご覧になっていました。その放送を視聴した見学者が増えたため、利便性を考慮し、現在は壁の一部をガラス張りにして、多くの方が見やすいようにしたとのことです。
[8] 土蔵の中を探索!約270年前の様子を忠実に写した江差屏風の展示は必見!
土蔵ギャラリーとして再利用されている蔵を探索しよう!
母屋の隣には蔵があり、現在は土蔵ギャラリーとなっています。外観を修理したので新しそうに見えますが、床や柱に至るまで、明治30(1897)年の建築当時のままで、相馬家の建物としては、唯一、明治40(1907)年の大火から生き延びた建物です。
ガイドさんによると、函館は大火が多かったことから、重要なものを保管する蔵は4重の扉で保護しており、一度火事が発生すると、扉や窓の隙間から火の粉が入らないように、外側からお味噌を塗って密閉し、蔵の中を守ったとのことです。
現在の蔵では、貴重な写真や絵画などが見られるギャラリーとして利用されています。
本物展示は8月~9月!貴重な「江差屏風」
とりわけ注目なのは、写真の「江差屏風」です。江差追分の民謡で有名な江差町は、函館駅から約70㎞、バスで約1時間20分の場所にあります。江差のニシン漁と北前船と花見客で賑わった、今から約270年前(江戸時代中期頃)の様子を、地形を含めて忠実に写したのが「江差屏風」です。
この屏風を見ると、ニシンが大量に押し寄せ、産卵で海が白くなっている様子が分かります。このニシンの豊漁により江差の経済が潤っている様子や、漁民等の風俗・習慣という細かいところまで描写されており、当時の江差を知ることができる、貴重な資料といわれています。
なお屏風は大変貴重なため、毎年8月~9月のみ本物を展示しており、他の月は複製したものを展示しているそうです。本物をご覧になりたい方は、8月~9月に訪問することをお勧めします。
余談ですが、この屏風は、松前藩付属画家であった小玉貞良氏が描いたもので、本来は松前城下を描いた屏風と一対のもので両方揃って六曲一隻の組屏風だったそうです。どちらも行方が分からなくなっていましたが、「江差屏風」は偶然アメリカのオークションで見つかり買い戻したそうですが、片割れの松前城下を描いた屏風は、依然として行方が分からないそうです。